聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2026年4月12日(復活節第2主日)(2026/04/17)

「 ブラジルナッツ効果 」

世の中には様々な創造神話(origin belief)・創世神話(creation myth)があります。生命・人類・地球から宇宙の起源に至るまで説明されているのですが、キリスト教は神様が天地の始まりから全てを創造されたと信じる宗教です。ところが、キリスト教の創造は、神様による最初の創造の出来事で完成されたのではなく、今も生成し続けているのです。キリスト教の神学の中には、プロセス神学(process theology)というジャンルがあります。進化論を取り入れた神学の一つとしてプロセス神学は、世界内のあらゆる存在は互いに関係し、影響を与え合いながら常に変化しているものであって、生成こそが世界の本質であると言っています。ましてや神様でさえ生成し続けていると言うのです。つまり、生成のプロセスの中にある神様によって創造は今も続いているのです。

取り分け人間のことを考えてみると、人間は限界を持っている存在であるがゆえに、絶えず再創造されているのですが、その典型的なパターンとして誰もが何らかの形で直面するカオス(chaos)体験のことが挙げられます。カオスという言葉は、天地創造以前の状態、つまり秩序がなくあらゆるものが混沌とした状態を指します。カオスの反対語は、創造後に整えられた秩序や調和を意味するコスモス(cosmos)です。カオスの状態からコスモスの世界をお創りになった神様は、今も私たちが時折体験する肉体的・心理的・霊的なカオスの状態から救い出して再創造の過程へと導いてくださいます。

キリストが亡くなられた後、捕まえられることを恐れて逃げたり部屋に閉じこもったりした弟子たちを通しても、それについての理解を得ることができます。師匠のキリストを亡くした後、彼らは不安と恐れ、葛藤と混沌の中にいました。希望も約束も信仰も何もかも全てを失ったと思い、自暴自棄の状態に転落してしまったと考えられます。ところが、閉じこもっていた家の中で体験した暗闇と混沌は、彼らの再創造のために必要な過程だったのです。弱々しくて卑劣な行為に見えがちですが、実は彼らに託された宣教を全うするために必要な再生の過程だったのです。それは旧約聖書に登場する預言者ヨナが、ニネヴェでの宣教を全うするため入らなくてはならなかった大きな魚の腹の中、またキリストが復活の前に入らなくてはならなかったお墓に象徴されるものだと言えます。

「ブラジルナッツ効果(The Brazil Nut Effect)」と呼ばれる自然現象があります。大きさの異なる粒子が混ざった容器に振動を与えると、一番重くて大きな粒子が上へ浮かび上がり小さな粒子が下に沈んで分離されることによって、その中に秩序が生まれる物理現象のことを指します。ブラジルナッツ効果という名前は、アーモンド・くるみ・カシューナッツなどが入ったミックスナッツの袋を振ると、粒の最も大きいブラジルナッツが上に浮かんでくることに由来します。そのメカニズムは物理や自然界だけでなく社会内の組織や人間関係など幅広い分野に影響を及ぼしています。ブラジルナッツ効果は私たちに、内外的な要因によってカオスの状態からコスモスの状態が生み出される、ということを教えてくれます。

私たちも自暴自棄の状態に転落してしまうことがあります。そしてその暗闇と混沌の中で苦しんだ挙句、十字架上のキリストのように「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ福音書27:46)と叫びたくなるときがあります。何もかも残っていない、築いてきた人間関係・家族・健康・財産・名誉などが崩れ落ち、培われた信念や価値観までもが全て解体されたと感じることもあります。限界を持っている人間であるがゆえに、私たちは何もかも崩れ落ちる暗闇と混沌の経験をするのです。ところが、弟子たちから学べるように、暗闇と混沌の経験は、まさに再創造の過程でもあるのです。キリストは、その暗闇と混沌というカオス状態にも共におられ、私たちをコスモスという更なる道へと導いてくださるのです。 
 

<福音書> ヨハネによる福音書 20章19~31節

19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。





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