「 テロワール(terroir) 」
ワインの世界では非常に重要なキーワードで、今はコーヒーやお茶、またチーズの世界においても用いられているテロワールという言葉があります。フランス語で土地や地球を意味するテール(terre)から派生し、ワインにおける産地の特徴を指す言葉です。同じ品種だとしてもぶどうの生育地の特徴によってワインの風味は異なります。テロワールとは、ワインの個性を生み出す、ぶどうが生育された土地ならではの環境と栽培方法などの総体だと言えます。具体的には以下の四つの要素がテロワールを構成します。一つ目は土壌(Soil)で、石灰質か粘土質かによって水はけやミネラル成分が違うのでワインの味わいの骨格や香りに影響します。二つ目は気候(Climate)で、気温・風・日照量、また年ごとの気候変動によってワインの熟度・酸味・アルコール度の違いが生じます。三つ目は地形(Topography)で、南向きか北向きかという方角や標高によって日照・風通し・寒暖差の違いが生じます。四つ目は人間の営み(Human factor)で、栽培方法や醸造技術、また地域の伝統や文化も土地の個性とワインの風味に影響します。
テロワールは、土地に何百年も蓄積されている風・雨・光・地層・微生物に関する記憶がぶどうの実に浸透され、またそれに人の働きと祈りが組み合わされてワインになる一種の変容物語だとも言えます。歴史を辿ってみますと、その物語にはキリスト教、ことに修道院が深く関わっていることが分かります。中世ヨーロッパでワイン造りの中心は修道院だったのですが、それは教会の礼拝に聖餐用のワインが不可欠であり、修道院がその供給の任を担っていたからです。ところが「労働することが祈ること(オラ・エト・ラボーラ;Ora et Labora)」でもあった修道士たちは、単に必要だからワインを作ったのではなく、それを一種の霊的な営みとして深化しました。大地の声に耳を傾けながら土壌を養い、風の通り道を作り、日照の角度を変え、ぶどうの木に刈込などの手入れをし、また収穫されたぶどうを除梗・破砕・発酵・熟成など、祈りだとも言える一連の工程を通して神様への奉献としてワインを製造したのです。
修道士たちは、ぶどうの生育とワイン製造を単なる農作業だけにせず、霊的な営みへと深化させたのですが、その原型は聖書、ことにキリストの教えに見出すことができます。今日の福音書の中、キリストは私たちをぶどうの木の枝に、神様を農夫にたとえて「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。私につながっている枝で実を結ばないものはみな、父が取り除き、実を結ぶものはみな、もっと豊かに実を結ぶように手入れをなさる。」(2節)と語りました。これによると、神様は枝である私たちにぶどうが豊かに実れるように働かれるのですが、「枝で実を結ばないものはみな取り除く」と少しゾッとする表現もあります。
しかし、「取り除く」と訳されたギリシャ語はアイローという言葉ですが、これには他にも「取り上げる・持ち上げる・罪を贖う」などの意味があります。それゆえ、ぶどうの木の成長期に施される農夫の手入れの観点から、枝を「取り除く(cut off、take away)」よりは「取って上げる(life up)」こととして訳するのがより適切だと考えられます。つまり十分実る可能性がある枝を無情にも取り除くのではなく、取って上げることでぶどうが実れる環境を整えてあげるということです。古代のイスラエルでは、ぶどうの枝は土にまみれた状態で育ちました。それで枝の位置によっては泥水に濡れたままになったり、ぶどうが腐ったりすることもありました。そこで農夫は、例えばその枝の下に岩を置くなどして一度持ち上げて、泥を落としてきれいにし、さらに環境の良い場所にその枝を移して成長を促し、実を結ぶように手入れをしたのです。
農夫にたとえられる憐れみ深い神様は、私たちにも同じように命の恵みを施してくださいます。神様につながっているにも拘らず、それに相応しい実を結ぶことができなかったとしても、無情にも取り除いて関係を切ってしまうことはありません。忍耐深い神様は、何度も何度も私たちを持ち上げて自分の実を結べるようにチャンスを与え、豊かさへと導いてくださいます。それが農夫でおられる神様であり、その愛の延長線上に中世の修道士たちも、現代に生きる私たちもいるのです。
<福音書> ヨハネによる福音書 15章1~8節
1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。






