「 利他的な遺伝子 」
動物は自殺するのでしょうか。昆虫類や魚類、爬虫類や哺乳類を問わず動物の世界には自殺のように見える奇妙な行為、また自分以外の存在のために命を惜しまない自己犠牲のような行為が数多く見られます。例えば、蜜蜂は攻撃時に針を刺すと自らの腹部が裂けて死にますが、巣が敵から襲われると針を刺して命を投げ出すことまでして群れを守ります。メスのタコは産卵後、数か月に渡って卵を守り続けますが、その間ほぼ食べられないので最終的には衰弱死します。また働き蟻は自らの子を産むことなく、女王や女王が生んだ卵の面倒を見たり、生まれた幼虫に食べ物を与えたり、場合によって命を懸けて守ったりするなど、自己犠牲の傾向が見られます。なぜ動物が自己犠牲などの利他的な行為をするのかについて仮説は色々あるもののまだ究明されていません。
進化生物学の開祖チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin、1809-1882)も働き蟻や蜜蜂のような社会性昆虫に見られる自己犠牲の現象を説明できずに苦しみました。ダーウィンの進化論によると、生命は徹底的にそれぞれ個体の生存と繁殖に有利な方向へ進化していくのですが、動物の自己犠牲のような利他的な行為は彼の理論を土台から揺さぶる現象だったのです。著書『種の起源(On the Origin of Species)』の8版で“克服できそうでもない特別に難しい難関で、実際に私の理論に致命的な問題だ。“と悩みを吐露したこともありましたが、死ぬまでこの謎を解くことはできませんでした。
ダーウィンの理論を引き継いだ進化生物学者・動物行動学者の一人リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins、1941-)は著書『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』)の中で、動物に見られる利他的な行為について遺伝子というキーワードを用いて説明します。彼は生物進化や自然選択の主体は個体ではなく遺伝子であるため、個体の自殺のように見える自己犠牲の行為も、結果的にはその生物全体の増殖と進化につながるのだと語りました。例えば私たちは自分という個体が人生の主役だと思いがちですが、観点を変えて遺伝子に焦点をおけば、自分は何百万年も続く遺伝子のレースの一区間を走っているランナーのひとりとして存在しているのだとも言えるのです。そのように長い進化のプロセスの中においては個体ではなく遺伝子だけが残るので、ドーキンスは遺伝子が利己的だと比喩的に表現したのです。
この進化しつつある不滅の遺伝子という概念はキリスト教の精神にもあります。キリスト教には、キリストが模範を示された自己犠牲という「利他的な遺伝子」が受け継がれています。つまり普遍的な救いと利他的な愛を究極的に表している十字架の自己犠牲、その愛の遺伝子です。今日の福音書の中、「自分の命を得る者は、それを失い、私のために命を失う者は、それを得るのである」(マタイ10:39)と語られたキリストは、自らの存在を以てそれを具現し人々を救いへと導きました。そして救われた人々によってその愛の遺伝子は受け継がれています。まさに聖路加はその系統にあります。苦しんでいる人々のために神様の愛を生きる有機体である聖路加において愛こそ不滅の遺伝子なのです。
<福音書> マタイによる福音書 10章34節~42節
34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 35わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁をしゅうとめに。
36こうして、自分の家族の者が敵となる。
37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
40「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」






