聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

今週のメッセージ詳細

今週のメッセージ

TOP > 今週のメッセージ詳細

2026年7月19日(聖霊降臨後第8主日)(2026/07/22)

「 キャンサー・ギフト 」 

「キャンサー・ギフト(Cancer Gift)」という言葉があります。英語で癌を意味するキャンサーと贈り物を意味するギフトが合わさってできた新造語として、意訳すると「癌からの贈り物」というふうになります。癌自体が望ましいことではありませんが、癌になったからこそ受け取れる何かがあるということを意味します。ほとんどの人は命に関わる病気である癌になったことをきっかけに自ら歩んできた人生を振り返るようになります。その中で、命や時間、家族の大切さに気づいたり、人生の意味や価値を見直したり、何かに感謝するようになったり、またかけがえのない出会いがあったりします。このように癌によるギフトとして恵みがもたらされるのですが、全ての人がその恵みにあずかれるわけではありません。癌を患うことによって日常や人生の目標などを失う喪失体験をし、悲嘆や挫折の中にいる人々が多くいるのです。それゆえキャンサー・ギフトとは人に対してではなく、自分の体験を語る時に限って用いられる言葉だと言えます。

そしてキャンサー・ギフトという概念は、少し視野を広げて人生のあらゆる場面や状況に適用することができます。つまり、癌のみならず重い病気・事故・災害・戦争など人生という旅路で遭遇する予期せぬ試練や苦難などにまで範囲を広げて、それによってもたらされる意味を求めることができるのです。癌になったから受け取れるギフトがあるように、突然身に降りかかってきた試練や苦難は決してあって欲しくないものではあるけれども、時と場合によってギフトとして恵みをもたらすことがあるのです。そのような理解に基づくと、分かりづらい今日の福音書の「毒麦のたとえ話」の真意に少し近づくことができます。キリストは「刈り入れまで、両方(麦と毒麦)とも育つままにしておきなさい。」(30節)という言葉をもって、なぜか麦と毒麦を一緒に成長させるように語られました。望んでもいないのに生えてしまった毒麦を無理に無くさなくてもいいのだということですが、ここでいう毒麦とは恵みをもたらすこともある試練や苦難などを象徴すると読み取ることができます。「災い転じて福となす」という諺になぞらえますと、毒麦とは自らの能動的な姿勢によって福をもたらすように転じる災いのようなものだと言えます。

13世紀のベルシアの詩人ルーミー(Rumi、1207-1273)の「ゲストハウス(The Guest House)」という詩がありますが、それを通して私たちは毒麦についての理解を深めることができます。“人間であることは、ゲストハウスであること。毎朝、新しい客が訪ねてくる。喜び、憂鬱、意地悪な気持ち、その時々の気づきが、思いがけない客としてやってくる。それら全てを歓迎してもてなしなさい。たとえそれが悲しみの集団で、荒々しく家中の家具を持ち去って空っぽにしてしまったとしても、どの客にも敬意を持って接しよう。それらは新たな喜びを迎え入れるために、あなた自身を空っぽにしてくれているのかもしれない。暗い気持ち、恥ずかしさ、悪意も、玄関で笑いながら出迎えて招き入れよう。訪れるもの全てに感謝しよう。なぜならどれもがはるか彼方から、あなたの人生のガイドとして送られてきたものなのだから。”

詩は思いがけない訪問者達がやって来て自己存在を内面から荒らすことがあるとしても、それらを歓迎するようにと勧めています。なぜなら、その訪問者らは私たちに新しい気づき・感謝・恵みを与え、真理へと導くために送られたガイドであるからです。毒麦に象徴される癌などの重い病気・事故・災害・戦争など人生という旅路で遭遇する予期せぬ試練や苦難もそのような訪問者の一つとして受け止めることができます。もちろんそれらは決して望ましいものでも神様から送られたものでもありませんが、私たちはそれを通して聴こえてくる神様のメッセージをギフトとしていただき、導きと恵みにあずかることができます。そういった意味で、試練や苦難などの毒麦を、今までの歩みを省みながらこれからの新しい生き方を模索する一つのきっかけとして活かすことが求められるのです。


<福音書> マタイによる福音書 13章24~30節、36~43節

24イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 28主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」


36それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」


今週のメッセージ一覧へ