「内なる天国 」
人類の精神史の中にはパラダイス(paradise)という概念が古くからありました。いかなる悩みや悲しみ、苦労や死も存在しない楽園のことを指します。世の様々な営みに悩まされている人々は絶えず理想郷としてパラダイスを求めてきました。そのパラダイスのことをキリスト教では天国(heaven)とも言うのですが、天国は神様や天使などがいて清浄とされる世界なので、神の国と表現されることもあります。では天国はどこにあるのでしょうか。多くの人が誤解していると思いますが、天国は死んだ後に行く場所ではありません。聖書には天国・神の国についての記述が多くありますが、キリストは以下のように教えられました。「神の国は、… 『ここにある』とか、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの中にある。」(ルカ福音書17:20‐21)。これによりますと、神の国はどこか物理的な空間ではなく、私たち一人ひとりの中にある、しかもすでにあるものだそうです。そして今日の福音書のたとえ話によりますと、その神の国は畑に撒かれた種のように成長していくものだそうです。
聖書のみならず映画や小説などで理想郷として描かれている天国・神の国に因んだ話に接することが少なからずありますが、実際にそれを自分との関連で受け止めることは難しいものです。自分の中にある神の国をより身近に感じ、さらに成長させることについてのイメージを深めるために、キリストを身ごもった聖母マリアのことを例として取り上げます。聖母マリアは、神の国を完全に具現化したイエス・キリストを身ごもり、自分の子宮の中で少しずつ形を整えながら成長させ、この世に産み出した存在です。ところが、聖母マリアは受胎告知を受ける前までは、自分が聖霊の力によってキリストを身ごもることを知りませんでした。まるで私たちが、自分の中に神の国があるにも関わらずそれを身近に感じることができず、ましてや忘れていることと同じです。ところが聖母マリアは天使の訪問を通してキリストを授かっていることを知り、「私は主の仕え女です、お言葉とおり、この身になりますように。」(ルカ1:38)という告白を持って謙虚に受け止めました。
聖母マリアのように、私たちも天使の訪問を受けることによって、自分がすでに神の国を授かっていることについての認識を深められます。科学の発達が著しい21世紀に天使なのかと思うかもしれませんが、天使は神話や聖書時代だけに登場した幻の存在ではありません。天使は古代ギリシャ語でアンゲロス(ἄγγελος;angelos)と言いますが、それは「使いの者・伝令(messenger)」という意味です。つまり天上の世界にて神様に仕えながら、時折人間の世界に御心を伝える存在です。そのように天使とは神様の御使いのことに対する象徴的な表現であって、実際に映画や絵などで見られるように翼など可視的な姿で現れるわけではありません。それゆえ、私たちが天使の訪問を受けることは、超自然的存在に会うということではなく、神様から贈られる御心を頂く一連の過程として受け止めることが望ましいです。
では私たちはいつ天使の訪問を受けるようになるのでしょうか。つまりどのようなときに御心を頂く恵みにあずかれるのでしょうか。もちろんいつどこにおいても御心を求め、いただくことができますが、とりわけ礼拝を捧げることを含めて、祈りや黙想のときに天使の訪問を受けられます。祈りや黙想は天上につながっているハシゴのようなものです。まるで旧約聖書に登場する「ヤコブのハシゴ(Jacob's Ladder)」(創世記28:10-19)のように、今も天使は祈りや黙想というハシゴを昇り降りしながら、私たちの心を神様に伝え、また御心を私たちに運んでくれます。そのように祈りや黙想をすると、何より大切な神の国がすでに私たちの中にあるということを再確認し、さらに成長へと導くことができます。祈りや黙想の中に訪ねてきた天使は私たちの魂の扉を叩いて、聖母マリアの受胎告知のときと同じように「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1:28)という挨拶と共に、大切な神の国がすでに自分の中に授けられていることを伝えてくれているのです。恵まれた人として内なる天国を成長させていくことができますように。
<福音書> マタイによる福音書 13章31~33節、44~49a節
31イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
47また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 49世の終わりにもそうなる。






