第五編 日本傳道の紀元(下)

第五編 日本傳道の紀元(下)

一、日本傳道に對する興味

 ポーツマス艦(かん)の一士官(しくわん)の通信(つうしん)が、米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)會社(くわいしや)機關紙(きくわんし)上(じやう)に發表(はつぺう)せらるゝや、監督(かんとく)ブーン師(し)の豫期(よき)せし如(ごと)く大(おほひ)いに米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)の日本(にほん)に對(たい)する注意(ちゆうい)を喚起(くわんき)し、日本傳道(にほんでんだう)の責務(さきむ)を深(ふか)く感(かん)ぜしめた。此(この)書簡(しよかん)發表後(はつぺうご)直(たゞち)に、紐育(ニユーヨーク)聖(せい)馬可(まこ)敎會(けうくわい)は劈頭(へきたう)第(だい)一に、日本(にほん)最初(さいしよ)の宣敎師(せんけうし)俸給(はうきふ)の爲(ため)に、金(きん)貳百弗(どる)を寄附(きふ)した。是(こ)れ日本(にほん)傳道(でんだう)の爲(ため)に獻(さゝ)げられたる第(だい)一の初穗(はつほ)である。之(これ)に續(つゞ)いて他地方(たちはう)からも同目的(どうもくてき)の爲(ため)に、同額(どうがく)の獻金(けんきん)があつた。
 千八百五十八年(ねん)(安政(あんせい)五年(ねん))九月(ぐわつ)、上海(シヤンハイ)宣敎師(せんけうし)長老(ちやうらう)サイル氏(し)は、病氣(びやうき)靜養(せいやう)の爲(ため)に渡來(とらい)し、暫(しば)らく我國(わがくに)に滯留(たいりう)せられたるが、歸任後(きにんご)本國(ほんごく) に長文(ちやうぶん)の通信(つうしん)を送(おく)り、詳細(しやうさい)に日本(にほん)の事情(じゞやう)を記述(きじゆつ)し最後(さいご)に直(たゞち)ちに此國(このくに)の傳道(でんだう)に着手(ちやくしゆ)するは、我(わ)が公會(こうくわい) の急務(きふむ)なりと斷言(だんげん)した。又(ま)た支那(しな)の米國(べいこく)公使館(こうしくわん)の書記(しよき)通譯官(つうやくくわん)なる博士(はかせ)ウイリヤムス氏(し)は、千八百五十八年(ねん)九月(ぐわつ)、長崎(ながさき)に在留中(ざいりうちゆう)、長老(ちやうらう)サイル氏(し)に書(しよ)を寄(よ)せ、日本傳道(にほんでんだう) に對(たい)し意見(いけん)を開陳(かいちん)せられた。此(この)兩氏(りやうし)は日本(にほん)に宣敎師(せんけうし)を派遣(はけん)するの必要(ひつえう)を認(みと)め、米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)、長老(ちやうらう)敎會(けうくわい)、リフオルムト敎會(けうくわい)の傳道(でんだう)會社(くわいしや)に宣敎師(せんけうし)派遣(はけん)を請求(せいきう)した。而(しか)して是等(これら)の諸氏(しよし)の日本(にほん)傳道(でんだう)の意見(いけん)は何(いづ)れも米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)會社(くわいしや)機關紙(きくわんし)上(じやう)に發表(はつぺう)せられたれば、米國人士(べいこくじんし)の日本傳道(にほんでんだう)に對(たい)する興味(きやうみ)を深(ふか)からしめ、諸方面(しよはうめん)より日本(にほん)に宣敎師(せんけうし)を派遣(はけん)すべしとの聲(こゑ)が起(おこ)るに至(いた)つた。此(か)くして日本傳道(にほんでんだう)の時期(じき)既(すで)に熟(じゆく)し、唯(た)だ要(えう)するものは、適當(てきたう)なる人物(じんぶつ)であつた。

二、米國聖公會傳道局總會の決議

 千八百五十九年(ねん)二月(ぐわつ)、米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)會社(くわいしや)外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、愈愈(いよいよ)日本(にほん)傳道(でんだう)事業(じげふ)を開始(かいし)し、第(だい)一の宣敎師(せんけうし)として、リギンス、ウイリヤムス兩氏(りやうし)を派遣(はけん)する事(こと)を決(けつ)し、左(さ)の趣意書(しゆいしよ)及(およ)び決議文(けつぎぶん)を發表(はつぺう)せられた。

『米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、恭(うやうや)しく其(その)本分(ほんぶん)を感(かん)じ、茲(こゝ)に神(かみ)の佑助(たすけ)に依(よ)りて、日本帝國(にほんていこく)に傳道事業(でんだうじげふ)を開始(かいし)するに決(けつ)したることを、敎職(けうしよく)及(およ)び信徒(しんと)の諸兄弟(しよけいてい)に告(つ)ぐ。
 柳々(そもそも)日本帝國(にほんていこく)が他(た)の諸國民(しよこくみん)と交親(かうしん)を開(ひら)きたりとの報道(ほうだう)は、全米國(ぜんべいこく)を通(つう)じて其人民(そのじんみん)の心(こゝろ)に深(ふか)き印象(いんしやう)を與(あた)へ、日本傳道(にほんでんだう)を開始(かいし)することを賛同(さんどう)するの意向(いかう)、一般(ぱん)米國人(べいこくいじん)の中(うち)に生(しやう)じたることは、本委員(ほんゐゐん)の信(しん)ずる所(ところ)なり。本委員(ほんゐゐん)は日本(にほん)に關(くわん)する傳道(でんだう)計畫(けいくわく)を明(あきら)かにする爲(た)めに、左(さ)の趣旨(しゆし)を發表(はつぺう)するに決(けつ)したり。

日本傳道(にほんでんだう)開始(かいし)の方針(はうしん)

 外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)中(ちゆう)の敎職者(けうしよくしや)より成(な)れる特別(とくべつ)委員(ゐゐん)は、日本帝國(にほんていこく)に傳道(でんだう)を開(ひら)くことを可(か)とせる外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)の決議(けつぎ)を受(う)け、該傳道(がいでんだう)の計畫(けいくわく)を明細(めいさい)に報告(はうこく)せんが爲(た)め、茲(こゝ)にブーン監督(かんとく)の協商(けうしやう)を經(へ)て、左(さ)の報告(はうこく)を發表(はつぺう)することを、全員(ぜんゐん)一致(ち)を以(もつ)て可決(かけつ)せり。

一、日本(にほん)に於(おい)て協働(けうどう)勤務(きんむ)せしめんか爲(ため)に、少(すくな)くとも二人(にん)の宣敎師(せんけうし)を任命(にんめい)し、而(しか)して日本(にほん)と支那(しな)とは國語(こくご)の相近(あひちか)きを以(もつ)て、支那語(しなご)を領解(れうかい)する人(ひと)は、日本(にほん)に於(おい)て大(だい)なる便利(べんり)を感(かん)ずべく、且(か)つ此(この)二國語(こくご)を對照(たいせう)したる書籍(しよせき)の既(すで)に出版(しゆつぱん)せらるゝあり、宣敎的(せんけうてき)生活(せいくわつ)の習慣(しふくわん)は實地(じつち)の經驗(けいけん)によりて、初(はじ)めて得(え)らるべきものにして、外國人(ぐわいこくじん)が全然(ぜんぜん)新(あらた)なる傳導地(でんだうち)に於(おい)て、斯(かゝ)る習慣(しふくわん)及(および)經驗(けいけん)を得(う)るには、多大(ただい)の時間(じかん)を要(えう)すべきを思(おも)ひ、且(か)つ速(すみやか)に宣敎(せんけう)事業(じげふ)の効果(かうくわ)を收(をさ)めんと欲(ほつ)せば、直ち(たゝち)に之(これ)を開始(かいし)するを必要(ひつえう)とし、而(しか)して支那(しな)に於(おい)て既(すで)に其(その)習慣(しふくわん)及(およ)び宣敎的(せんけうてき)訓練(くんれん)を得(え)たる人(ひと)には、此新(このあらた)にして主要(しゆえう)なる働(はたら)きに特(とく)に適當(てきたう)なることを思(おも)ひ、茲(こゝ)にリギンス及(および)ウイリヤムスの兩氏(りやうし)に任命(にんめい)して、日本(にほん)に新傳道(しんでんだう)を開始(かいし)するの勞(らう)を托(たく)するの正當(せいたう)なるを認(みと)め、而(しか)して此(この)新(しん)ミツシヨンは常(つね)に支那(しな)に於(お)けるミツシヨンと、密接(みつせつ)に連結(れんけつ)すべく、而(しか)して少(すくな)くとも當分(たうぶん)の間(あひだ)は、支那(しな)ミツシヨンの監督(かんとく)の管轄(くわんかつ)に屬(ぞく)すべきものとし、外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)特別(とくべつ)委員(ゐゐん)は差詰(さしづ)め日本(にほん)宣敎(せんけう)事業(じげふ)の綱領(かうりやう)として、左(さ)の決議(けつぎ)を提出(ていしゆつ)することに、全員(ぜんゐん)一致(ち)を以(もつ)て決(けつ)したり。

決議(けつぎ)

一、日本(にほん)に於(お)ける第(だい)一の傳道(でんだう)本據(ほんきよ)を長崎(ながさき)となす事(こと)
二、現今(げんこん)支那(しな)ミツシヨンに屬(ぞく)するジヨン、リギンス及(および)シ、エム、ウイリヤムス兩師(りやうし)を、日本(にほん)宣敎師(せんけうし)に任命(にんめい)し、該國(がいこく)に移(うつ)り外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員會(ゐゐんくわい)の指揮(しき)を受領(じゆれう)の後(のち)、直(たゞち)に其宣敎(そのせんけう)を開始(かいし)せんことを求(もと)むる事(こと)
三、前記(ぜんき)兩師(りやうし)の外(ほか)、更(さら)に一名(めい)の宣敎(せんけう)醫師(いし)を任命(にんめい)するを可(か)とし、本委員(ほんゐゐん)よりせる出版物(しゆつぱんぶつ)に廣告(こうこく)して適當(てきたう)の資格(しかく)のある醫師(いし)一名(めい)を募(つの)る事(こと)
四、日本(にほん)に於(お)けるミツシヨンは、正當(せいたう)なる公會(こうくわい)の權威(けんゐ)によりて、他(た)の方法(はうはふ)の命令(めいれい)せらるゝまで、支那(しな)傳道(でんだう)監督(かんとく)の管轄(くわんくわつ)に屬(ぞく)する事(こと)

外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、特別(とくべつ)委員(ゐゐん)の此(この)報告(はうこく)を受(う)け、全員(ぜんゐん)一致(ち)を以(もつ)て、其(その)決議(けつぎ)を採用(さいよう)したり。
 此(この)決議(けつぎ)を採用(さいよう)するに方(あた)り、外國(ぐわいこく)傳道委員(でんだうゐゐん)は、日本(にほん)に於(お)ける合衆國(がつしふこく)の外交(ぐわいかう)代表者(だいへうしや)、タウンセント、ハリス閣下(かくか)が、日本(にほん)との賢明(けんめい)なる交渉(かうせう)に成功(せいかう)して、基督敎(きりすとけう)の爲(ため)に最(もつと)も有益(いうえき)なる助力(ぢよりよく)を與(あた)へ、且(かつ)本委員(ほんゐゐん)が採用(さいよう)したる宣敎師(せんけうし)及(および)代表者(だいへうしや)に對(たい)して、厚意(かうい)を示(しめ)されたることに對(たい)し感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)す。同時(どうじ)に神(かみ)に對(たい)し特(とく)に感謝(かんしや)するところなくんばある可(べか)らず。』

三、總會決議の反響  

 外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、千八百五十九年(ねん)二月(ぐわつ)十四日(か)を以(もつ)て、日本(にほん)に對(たい)する傳道事業(でんだうじげふ)を成立(せいりつ)せしむる處置(しよち)を取(と)り、直(たゞ)ちに前記(ぜんき)趣意書(しゆいしよ)及(および)決議文(けつぎぶん)を臨時(りんじ)印刷物(いんさつぶつ)を以(もつ)て發表(はつぺう)し、全公會(ぜんこうくわい)に配布(はいふ)した、此(この)印刷物(いんさつぶつ)には千八百五十八年(ねん)九月(ぐわつ)、我國(わがくに)に渡來(とらい)せられたるサイル氏(し)の、日本(にほん)訪問(はうもん)物語(ものがたり)をも載(の)せられた。其後(そののち)此(この)印刷物(いんさつぶつ)に次(つい)で、更(さら)に又(また)一個(こ)特別(とくべつ)の報告書(はうこくしよ)を發表(はつぺう)したるが、廣(ひろ)く全公會(ぜんこうくわい)の歡迎(くわんげい)を受(う)け、日本(にほん)傳道(でんだう)事業(じげふ)の爲(ため)に大(おほい)に人意(じんい)を強(つよ)くした。
 更(さら)に外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、此(この)新事業(しんじげふ)に對(たい)して一層(そう)の興味(きやうみ)を喚起(くわんき)せんが爲(ため)に、一人(にん)の代表者(だいへうしや)を派(は)し、ブーン監督(かんとく)と共(とも)にフイラデルフイア市(し)に至(いた)らしめ、二月(ぐわつ)二十日(はつか)日曜日(にちえうび)に、該市(がいし)の諸敎會(しよけうくわい)に於(おい)て特(とく)に禮拜(れいはひ)を行(おこな)ひ、信施金(しんぜきん)を集(あつ)め、又(また)同(どう)二十一日(にち)月曜日(げつえうび)の夕(ゆふ)、聖路加(せいろか)敎會(けうくわい)に於(おい)て、外國(ぐわいこく)傳道會(でんだうくわい)を開催(かいさい)したるに、多數(たすう)の敎職(けうしよく)及(および)信徒(しんと)は出席(しゆつせき)した。而(しか)して日本傳道(にほんでんだう)の公告(こうこく)に酬(むく)はれたる反響(はんきやう)は、最(もつと)も人意(じんい)を強(つよ)ふするに足(た)るものがあつた。此(この)日本傳道(にほんでんだう)の開始(かいし)は到(いた)る處(ところ)に歡喜(くわんき)と滿足(まんぞく)を表(へう)せられ、之(これ)に對(たい)する寄附金(きふきん)の如(ごと)きは、既(すで)に數(すう)千弗(どる)の多(おほ)きに上(のぼ)り、遠(とほ)きはアイオア及(および)オレゴン州(しう)の僻地(へきち)に於(お)ける少年(せうねん)よりすらも、此(この)事業(じげふ)の爲(ため)に獻金(けんきん)を送(おく)り來(きた)つた。

四、任命當時のリギンス氏とウイリアムス氏  

 外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、リギンス、及(およ)びウイリアムス兩師(りやうし)に對(たい)し、同時(どうじ)に日本(にほん)第(だい)壹の宣敎師(せんけうし)たる任命(にんめい)を與(あた)へられたるが、當時(たうじ)リギンス氏(し)は病氣(びやうき)療養中(れうやう)の爲(ため)に長崎(ながさき)に在留(ざいりう)したれば、直(たゞち)ちに其(その)任務(にんむ)に就(つ)いた。ウイリアムス氏(し)は、上海(シヤンハイ)に在(あつ)て此(この)任命(にんめい)に接(せつ)したるが、當時(たうじ)上海(シヤンハイ)には働(はたら)き人(にん)不足(ふそく)なりしかば、同地(どうち)の敎務(けうむ)は師(し)をして、直(たゞち)に此(この)新任地(しんにんち)に來(きた)る能(あた)はざらしめた。されば來着(らいちやく)の順序(じゆんじよ)よりすれば、リギンス師(し)は日本(にほん)先着(せんちやく)の新敎(しんけう)宣敎師(せんけうし)である。是(これ)より先(さき)、兩師(りやうし)は倶(とも)に支那(しな)常熟(ジヤウジユク)に定住(ていぢゆう)し、該(がい)地方(ちはう)の傳道(でんだう)に從事(じゆうじ)しつゝあつたが、上海(シヤンハイ)宣敎師(せんけうし)ネルソン氏(し)歸國(きこく)に就(つ)きウイリヤムス氏(し)は、其(その)後任者(こうにんしや)として上海(しやんはい)に轉任(てんにん)し、未(いま)だ幾何(いくばく)ならずして、日本傳道(にほんでんどう)の新(しん)任命(にんめい)に接(せつ)したのである。リギンス師(し)は、ウイリアムス師(し)轉任後(てんにんご)、新(あらた)に上海(シヤンハイ)より來(きた)れる執事(しつじ)某氏(ぼうし)を補助者(ほじよしや)として常熟(ジヤウジユク)に留(とま)り働(はたら)きけるが、千八百五十九年(ねん)四月(ぐわつ)五日(か)、意外(いぐわい)の禍(わざはひ)に酷(ひど)く健康(けんかう)を害(がい)せられ、醫師(いし)の勸告(くわんこく)により、同年(どうねん)五月(ぐわつ)二日(か)長崎(ながさき)に轉地(てんち)療養(れうやう)の爲(ため)に來(きた)り、同地(どうち)に在留中(ざいりうちゆう)此(この)新任命(しんにんめい)に接(せつ)したのである。當時(たうじ)の事業(じゞやう)は左(さ)のリギンス師(し)の書信(しよしん)に詳細(しやうさい)に記述(きじゆつ)されてある。此(この)書信(しよしん)は千八百五十九年(ねん)五月(ぐわつ)廿六日(にち)、師(し)が新任命(しんにんめい)の通告(つうこく)に接(せつ)したる日(ひ)に認(したゝ)められたるものである。

『外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)は、ウイリアムス氏(し)及(および)小生(せうせい)に日本(にほん)に派遣(はけん)する宣敎師(せんけうし)に任命(にんめい)せられたる旨(むね)、御通告(ごつうこく)の貴状(きじやう)は、小生(せうせい)既(すで)に此國(このくに)に在(あ)りて受領(じゆりやう)したるを知(し)り給(たま)はゞ、貴下(きか)に於(おい)ても定(さだ)めて御驚愕(ごきやうがく)なさるゝ事(こと)と存候(ぞんじそろ)、意外(いぐわい)の攝理(せつり)に導(みちび)かれて、小生(せうせい)は條約(でうやく)の規定(きてい)に據(よ)り、當地(たうち)に住居(ぢゆうきよ)する權(けん)を要求(えうきう)し能(あた)ふ時期(じき)となりしよりも、二ケ月以前(げついぜん)より此地(このち)に滯留(たいりう)いたし居候(をりそろ)。事(こと)の次第(しだい)は左(さ)に詳細(しやうさい)に可申上候(まをしあげそろ)。
 過去(くわこ)十八ケ月間(げつかん)支那(しな)在任中(ざいにんちゆう)、小生(せうせい)は同國(どうこく)中部(ちゆうぶ)及(および)南部(なんぶ)に流行(りうかう)する熱病(ねつびやう)に屢(しばし)ば冒(おか)され、太甚(はなはだ)しく惱(なや)み候(さふら)ひしが、本年(ほんねん)二、三月間(ぐわつかん)に健康(けんかう)全(まつた)く害(そこな)ひ、最早(もは)や傳道(でんだう)の任務(にんむ)を盡(つく)す能(あた)はざるに至(いた)りたれば、神(かみ)の祝福(しゆくふく)により健康(けんかう)の回復(くわいふく)を希望(きぼう)し、一時(じ)支那(しな)を去(さ)り他(た)に轉地(てんち)療養(れうやう)するは、爲(な)す可(べ)き本文(ほんぶん)と存(ぞん)じ申候(まをしそろ)。かく存(ぞん)じ居(を)り候處(そろところ)圖(はか)らずも意外(いぐわい)の事件(じけん)出來(しゆつたい)し、小生(せうせい)の支那(しな)出立(しゆつたつ)を急(いそ)がしめ申候(まをしそろ)。
 四月(ぐわつ)五日(か)は常熟(ジヤウジユク)の人民(じんみん)の或(あ)る者等(ものら)が、父母(ふぼ)に尊敬(そんけい)の意(い)を表示(へうし)する一種(しゆ)の行列(ぎやうれつ)を擧行(きよかう)する日(ひ)に候(そろ)。此(この)行列(ぎやうれつ)は識者間(しきしやかん)には評判(ひやうばん)宜(よろ)しからず、一人(ひとり)も之(これ)に加(くは)はるものは無之(これなく)、下級(かきふ)社會(しやくわい)の人々(ひとびと)のみにより組織(そしき)せらるゝものに候(そろ)。識者(しきしや)は此(この)行列(ぎやうれつ)を甚(はなは)だ嘲弄(てうらう)し、此(こ)は朝飯前(あさめしまへ)に父母(ふぼ)を打擲(てうちやく)し惡口(あくかう)し、朝飯後(あさめしご)に父母(ふぼ)を尊敬(そんけい)するとて行列(かうれつ)に練(ね)り行(ゆ)く者等(ものとう)の組織(そしき)するものなりと申居候(まをしをりそろ) 。
 此行列(このぎやうれつ)は小生等(せうせいら)の住居(ぢゆうきよ)する家(いへ)を通過(つうくわ)いたす事(こと)に候(そふろ)が、昨年(さくねん)はウィリアムス氏(し)と小生(せうせい)は彼等(かれら)の亂暴(らんぼう)なる行爲(かうゐ)あらんことを懸念(けねん)し、日暮(ひく)るゝまで外出(ぐわいしゆつ)し家(いへ)に在(あ)らず候(そふら)ひしが、最早(もは)や一年(ねん)有餘(いうよ)も該市(がいし)に住居(ぢゆうきよ)いたしたる事(こと)とて、多(おほ)くの人々(ひとびと)少(すくな)くとも市(し)の西部(せいぶ)の凡(すべ)ての人々(ひとびと)に能(よ)く知(し)られ居(を)り候(そふら)へば、本年(ほんねん)は家(いへ)に止(とま)るも氣遣(きづかひ)なかるべく、其上(そのうへ)説敎(せつけう)し類書(るゐしよ)の配布(はいふ)をも試(こゝろ)み得(え)らるべしと存(ぞん)じ、大膽(だいたん)に構(かま)へ居候(をりそろ)。
 乍併(しかしながら)此(これ)は無謀(むばう)なりし事(こと)を小生(せうせい)は忽(たちま)ち悔恨(くわいこん)するに至(いた)り申候(まをしそろ)。そは夥(おびたゞ)しき無制裁(むせいさい)の群衆(ぐんしゆう)は押(お)し寄(よ)せ來(きた)り、執事(しつじ)某氏(ぼうし)は説敎(せつけう)を爲(な)す能(あた)はず、類書(るゐしよ)の配布(はいふ)など迚(とて)も思(おも)ひもよらぬ喧擾(けんぜう)を極(きは)め候(そろ)。或(あ)る者(もの)は氏(し)の手(て)より類書(るゐしよ)を奪(うば)ひ取(と)り、また一人(にん)は氏(し)が書籍(しよせき)を與(あた)へぬとて毆打(おうだ)致(いた)し候(そろ)。
小生等(せうせいら)は必死(ひつし)の力(ちから)を盡(つく)し非常(ひじやう)の困難(こんなん)を以(もつ)て、辛(から)ふじて終(つひ)に群衆(ぐんしゆう)を戸外(こぐわい)に追出(おひだ)し、此上(このうへ)は日中(にちちう)は何人(なにびと)も家(いへ)に入(い)れまじと決心(けつしん)いたし候(そろ)。併(しかし)ながら夕刻(ゆふこく)に至(いた)り群衆(ぐんしゆう)は再(ふたゝ)び押(お)し寄(よ)せ來(きた)り、家(いへ)に亂入(らんにふ)せんとせしゆへ、小生(せうせい)及(および)邦語(こくご)敎師(けうし)と僕(しもべ)は防禦(ばうぎよ)に力(ちから)を盡(つく)したるに、群衆中(ぐんしゆうちゆう)の兇惡(きやうあく)の徒(と)は暴(あ)れ狂(くる)いて、東端(とうたん)の輕(かる)き戸(と)を破壞(はくわい)し初(はじ)め候(そろ)。此時(このとき)小生(せうせい)は彼等(かれら)の暴行(ばうかう)を訴(うつた)ふべく、市長(しちやう)の許(もと)に至(いた)らんと戸外(とぐわい)に出(い)でしに、群衆(ぐんしゆう)の首魁(しゆくわい)と二人(にん)の兇漢(きやうかん)は追跡(つひせき)し來(きた)り、小生(せうせい)を捕(とら)へて亂打(らんだ)し踏蹴(ふみけ)り最(もつと)も殘忍(ざんにん)なる暴行(ばうかう)を加(くは)へ申候(まをしそろ)。同時(どうじ)に他(た)の者(もの)は邦語(はうご)敎師(けうし)及(および)傳道師(でんだうし)某氏(ぼうし)の室(しつ)に入(い)り、物品(ぶつぴん)を掠奪(りやうだつ)いたし候(そろ)。小生(せうせい)を保護(ほご)せんとしたる我等(われら)の學校(がくかう)の敎員(けうゐん)及(および)隣家(りんか)の二人(にん)と、彼等(かれら)の手(て)より小生(せうせい)を救(すく)ひ出(だ)さんとしたる小生(せうせい)の識(し)らざる他(ほか)の三人(にん)の者(もの)も、また酷(ひど)く亂打(らんだ)せられ候(そろ)。小生(せうせい)は彼等(かれら)が殘酷(ざんこく)なる暴行(ばうかう)を我(わ)が身(み)に逞(たくまし)ふしつゝある間(あひだ)、將(まさ)に迫(せま)りつゝある暴死(ばうし)より救(すく)はるゝやう祈念(きねん)を凝(こら)し居候(をりそろ)。而(しか)して小生(せうせい)が祈禱(きたふ)を終(をは)るや否(いな)や、不思議(ふしぎ)にも彼等(かれら)の手(て)は弛(ゆる)み、小生(せうせい)を亂打(らんだ)することを止(や)めしのみならず、彌次馬連(やじうまれん)の卑怯(ひけふ)なる打擲(てうちやく)より小生(せうせい)を保護(ほご)するに至(いた)りしは、大能(たいのう)なる神(かみ)の御祐助(ごゆうじよ)と今(いま)も猶(な)ほ感謝(かんしや)讚美(さんび)の情念(じやうねん)を以(もつ)て、茲(ここ)に記述(きじゆつ)する事(こと)に候(そろ)(中略)  かゝる暴害(ばうがい)の結果(けつくわ)は、唯(たゞ)さへ衰弱(すゐじやく)せる小生(せうせい)を一層(そう)衰弱(すゐじやく)せしめ候(そろ)。此事(このこと)より五日後(かご)、該地(がいち)に到着(たうちやく)せる兄弟(きやうだい)ウイリアムス氏(し)と倶(とも)に、小生(せうせい)は上海(しやんはい)に歸(かへ)り申候(まをしそろ)。同勞(どうらう)の兄弟等(きやうだいら)は、ドクトル、マクゴーン氏(し)の診斷(しんだん)を仰(あふ)ぎ、其意見(そのいけん)に從(したが)ひ身(み)を處置(しよち)すべく切望(せつばう)せられ候(そろ)。氏(し)は近頃(ちかごろ)日本(にほん)より歸來(きらい)したるが小生(せうせい)にも日本(にほん)に轉地(てんち)靜養(せいやう)するやう勸告(くわんこく)せられ候(そろ)。氏(し)の語(かた)る所(ところ)によれば、支那(しな)に於(おい)て小生(せうせい)を太甚(はなはだ)しく惱(なやま)したる沼癘氣(せうれいき)に感染(かんせん)する如(ごと)き事(こと)は、日本(にほん)に於(おい)ては全(まつた)く無之由(これなきよし)に候(そろ)。由(よつ)て數日後(すうじつご)米國(べいこく)帆艇(ほてい)メリーラントに乘(じやう)じて長崎(ながさき)に向(むかつ)て出發(しゆつぱつ)し、五月(ぐわつ)二日(か)月曜日(げつえうび)當港内(たうかうない)に投錨(たうびやう)いたし申候(まをしそろ)。
 小生等(せうせいら)は初(はじ)め、幕府(ばくふ)の高官(かうくわん)橫山氏(よこやまし)に訪(と)はれ、其後(そのご)尚(な)ほ高位(かうゐ)の上官(じやうくわん)田中氏(たなかし)と、外國人(ぐわいこくじん)に關(くわん)する諸件(しよけん)を管理(くわんり)する官吏(くわんり)に訪(と)はれ候(そろ)。小生(せうせい)は此等(これら)諸官吏(しよくわんり)に日本(にほん)に渡來(とらい)したる意志(いし)を陳述(ちんじゆつ)し、小生(せうせい)の爲(た)め陸上(りくじやう)に一家(か)を與(あた)へられんことを請願(せいぐわん)し、若(も)し此事(このこと)叶(かな)ひ而(しか)して小生(せうせい)の健康(けんかう)回復(くわいふく)せば、日本(にほん)諸官吏(しよくわんり)に英語(えいご)を敎授(けうじゆ)いたすべしと約(やく)し申候(まをしそろ)。領事(れうじ)ジヨン、ジ、ウオルシユ君(くん)は當局者(たうきよくしや)に小生(せうせい)の請願(せいぐわん)許容(きよよう)を促(うなが)され、幕府(ばくふ)の通譯官(つうやくくわん)にして、英語(えいご)研究(けんきふ)を切望(せつばう)し、曩(さき)にドクトル、マクゴーン氏(し)の在留中(ざいりうちゆう)、氏(し)に敎授(けうじゆ)せられたる人々(ひとびと)も、小生(せうせい)の要請(えうせい)を許容(きよよう)さるゝやう幕吏(ばくり)に請願(せいぐわん)せられ候(そろ)。かくて小生(せうせい)は數日間(すうじつかん)に、美(うる)はしき地位(ちゐ)にある佳(よ)き家(いへ)の一部(ぶ)を借受(かりうく)ることに成功(せいかう)するに至(いた)り申候(まをしそろ)。同時(どうじ)に數週間(すうしゆうかん)總(あら)ゆる手段(しゆだん)を試(こゝろ)みたれど、未(いま)だ家(いへ)を得(え)ざる商人等(しやうにんら)も有之(これあり)、又(ま)た新條約(しんでうやく)實施(じつし)までは到底(たうてい)見込(みこみ)なしとて、上海(しやんはい)に退去(たいきよ)したる人々(ひとびと)も有之候(これありそろ)。
 メリーラントの後(のち)に當地(たうち)に來着(らいちやく)したる最初(さいしよ)の船(ふね)は小生(せうせい)に數通(すうつう)の書状(しよじやう)を持來(もちきた)り候(そろ)。而(しか)して小生(せうせい)が開封(かいふう)したる第(だい)一は、監督(かんとく)ブーン師(し)の書簡(しよかん)と、此(こ)の國(くに)の宣敎師(せんけうし)に任命(にんめい)せられたる事(こと)を通告(つうこく)せる貴状(きじやう)にて候(そろ)。小生(せうせい)は貴状(きじやう)に接(せつ)し以下(いか)の理由(りゆう)の爲(た)め、神(かみ)許(ゆる)し給(たま)はゞ、此地(このち)に在留(ざいりゆう)するは小生(せうせい)の任務(にんむ)と確信(かくしん)仕候(つかまつりそろ)。一、小生(せうせい)の健康(けんかう)状態(じやうたい)の快復(くわいふく)に進(すゝ)みしこと、及(およ)び支那(しな)に於(お)けるよりも、日本(にほん)に於(おい)て神(かみ)の祝福(しゆくふく)により健全(けんぜん)なる健康(けんかう)を享受(うけ)らるべければ。二、小生(せうせい)は日本(にほん)に多大(ただい)の興味(きやうみ)を有(いう)すれば。三、此地(このち)に渡來(とらい)以來(いらい)の見聞(けんもん)により、此(この)興味(きやうみ)を益々(ますます)深(ふか)からしめたれば。四、日本傳道(にほんでんだう)に對(たい)する止(や)むに止(や)まれぬ召命(せうめい)の感(かん)あれば。外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)の通告(つうこく)に接(せつ)し、小生(せうせい)が日本(にほん)の宣敎師(せんけうし)に任命(にんめい)せられたる事(こと)は、神(かみ)の召命(せうめい)なることを最早(もは)や信(しん)ぜざらんとするも能(あた)はざるに至(いた)り申候(まをしそろ)。』

 斯(か)くして常熟(ジヤウジユク)に於(お)ける意外(いぐわい)の禍(わざわひ)は、日本(にほん)最初(さいしよ)の宣敎師(せんけうし)の一人(にん)をして、其(その)任命(にんめい)に先(さきだ)ちて早(はや)くも我國(わがくに)に來(きた)らしめ、而(し)かも外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)委員(ゐゐん)が日本(にほん)に於(お)ける第(だい)壹の傳道地(でんだうち)と選定(せんてい)したる其地(そのち)に在(あ)りて、將來(しやうらい)に準備(じゆんび)を爲(な)さしむるに至(いた)つたとは、奇(くつ)しき神(かみ)の攝理(せつり)なるかな。