「 秘密 」
聖路加チャペルには知る人ぞ知るささやかな秘密があります。その一つは今日の聖書のテーマでもある「見失った羊を探し出した善き羊飼い」を描いた絵に因んだものです。チャペルの正面の3階右側には聖歌隊の席があり、左側はオルガン用のスペースとして作られていました。しかしオルガンは入り口の上のほうに設置され、そこは空白の空間になっていますが、今そこの壁には見失った羊を探し出した善き羊飼いの絵が描かれています。戦争の時に聖路加チャペルはアメリカ軍のチャペルとして使われましたが、終戦後、返還されたチャペルの何もなかった壁に良き羊飼いの絵が描かれていたそうです。覗きこまない限り見えないので知る人ぞ知る秘密だと言えますが、絵は優しくてたくましい佇まいの羊飼いキリストが小さな羊を抱いている姿を中心に、隣で嬉しそうな表情をしている親羊やたくさんの羊たちが描かれています。
さて、今日の聖書の「見失った羊のたとえ」は、百匹の羊を持っている羊飼いが、九十九匹を残して見失った一匹を徹底的に探しに行く、という内容になっています。内容を理解するには、羊の習性と羊飼いの役割について知っておく必要があります。動物の行動と習性を研究する学者たちの話によると、羊は方向感覚の悪い動物で、群れから離れると強いストレスを受けるそうです。それで羊飼いの視野から外れて群から離れますと、パニック状態になってむやみに動き回ります。高いところに登って足がすくみ動きが取れなくなったり、藪の中に迷い込んで体を傷つけて立ち往生したりします。羊飼いはこうしたことが頻繁に起こることを知っているので、仮に羊が見えなくなれば、大体どの辺りに迷い込んだか見当をつけて探しに行きます。そして見つければ脚を二本ずつ束ねて肩に担いで連れて帰ります。
この「見失った羊のたとえ」は、神様と私たち人間の関係を表している物語として読むことが求められます。私たちは、水や草が多い緑の牧場だけではなく、山も谷もあり、時には猛獣から命が狙われてしまう社会の中で生きています。自由意志が与えられているものの方向感覚に乏しい人間は、しばしば袋小路に迷い込み困難に陥ってしまうこともあります。それで無力で呻いたり叫んだりすると、必ず神様は救いの手を差し伸べてくださいます。羊には絶対に羊飼いが必要であるように、私たち人間にも神様の導き、助けと守りが必要です。道に迷いやすい私たちにとって安息の憩いの場は、母親のような神様の懐だけなのです。
そして「見失った羊のたとえ」は、よく読んでみますと、羊よりも羊飼いの立場、つまり人間よりも人間に心を向ける神様の側から語られている、ということが分かります。ここには私たち一人ひとりに向けられた、まるで母親のような神様の愛の思いが語られています。つまり、いつも養っている羊たちの状況を把握している羊飼い、一匹の姿が見えなくなると慌てふためいて全てを放置したとしても探しに出ていく羊飼い、羊を見つけると傷や怪我を癒し大切に肩に乗せて帰ってくる羊飼い、そして羊を見つけ出した喜びのあまりに周りの人々を呼び集めて祝う羊飼い、このような羊飼いの姿と行動は、その一匹の羊、つまり私たち一人ひとりに対する愛情の深さを伝えてくれています。
これは、今日の福音書の7節のみ言葉からも知ることができます。「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改めの必要のない九十人の正しい人にまさる喜びが天にある。」つまり、失った一匹のように、私たちがどのような存在であろうとも、一人ひとりが神様の懐に戻ると、それより大きな喜びはない、天に至るほど大きな喜びを神様ご自身が感じるというのです。私たちは常々自分の弱さや過ちに悩んだり、受けた恵みを感謝したりするとき、悲しみや喜びなど自分の気持ちを主に考えます。神様ご自身が、ちっぽけな私たち一人ひとりのことで一喜一憂されるということは、なかなか想像することができませんが、今日の福音書は、むしろ神様の方が味わう喜びが大きいということについて教えてくれているのです。それゆえ皆さん、道に迷いやすくて過ちを犯しやすいという自分の弱さだけを思って失念するのではなく、むしろ神様の深い愛の心を信頼し、安心と感謝の心を以て神様に身を委ねましょう。
<福音書> ルカによる福音書 15章1~10節
1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 3そこで、イエスは次のたとえを話された。 4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
8「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 9そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」






