「 悼む人 」
小説『永遠の仔』で知られている作家の天童荒太がいます。彼の作品の中、第140回直木賞を受賞し、2015年には映画にもなった『悼む人』という小説があります。人間の死を悼むことをテーマとして、主人公の青年がひたすら人が死んだ場所を訪ねていく物語です。主人公は自然死、病死、事故死、殺人といった死因を問わず、見知らぬ人が死んだ場所を毎日訪ね歩く放浪の旅を続けます。死の現場に訪ねては、死者が生前「誰を愛し、誰に愛されていたか、そしてどんなことで感謝されていたか。」ということを調べて、しばしの間跪いて死者のその過去の事を心に留めて追悼のお祈りを捧げます。
不思議な行為ですが、その背後には主人公の生い立ち、ことに死と関わる記憶が理由としてありました。例えば、彼には子どもの頃に木の上から鳥の雛が落ちて死ぬのを目撃したり、親戚が海で不慮の事故で亡くなったりするなどの死の記憶が印象深く残っていました。また大人になった今、癌で余命宣告を受けている母がいる彼は、仕事で出入りしていた小児科病棟で子どもたちが病気で死んでいく姿をつぶさに見ていました。彼は毎日のように命が消えていく状況の中で、いつの間にか死者のことが人の記憶からも消えていく悲しい現実に気づくようになりました。そして人が死を迎えることは避けられない運命だけれども、死を通して全てがなくなるわけではない、どのような人にでも誰かを愛したり愛されたりし、そこには感謝の想いがあったのではないか、と思うようになったのです。それで、主人公は死者のその大切な想いを憶えて心に留めておくために、死の現場を訪ねてお祈りを捧げる、という悼む行為をするようになったのです。
命ある人間である以上、誰にとっても生きることには必ず意味があるように、避けられない死も何かしらの意味を与えてくれます。全ての人の生と死には、私たちに知らされていなかったとしてもそれぞれの意味があるのです。それについて天童さんは小説の中で「全ての死者は、どこかの誰かにとってものすごく特別な人です。」「普通の主婦なんていません。一般市民という人間もいません。特別な人が死んでいます。特別な人が殺されています。」という言葉を以て、人生そのものは特別であり、全ての生と死は貴いものであると語りました。
人間は様々な関係の中で生きる存在です。それゆえ、人生は一人だけでは完結せずその人に関わる多くの人たちに良くも悪くも大きな影響を及ぼします。それと同じように死も一人だけでは完結せずその人に関わった多くの人たちに大きな影響を及ぼします。そういった意味で死者のことを憶え思い出すことは、生きている私たちの生と死に多大なる影響を与えます。『悼む人』の主人公が、死者が生前「誰を愛し、誰に愛されていたか、そしてどんなことで感謝されていたか。」ということを求めたように、世に残されている私たちが死者のことを記憶し記念することは大変意義のあることです。人の死というのは死者のものであるよりは、むしろ世に残っている私たちのものであるからです。死とその死者への記憶を受け継いで、それに支えられながら私たちは生きていくのです。
天童さんは『悼む人』で、「この世界でいちばん居て欲しい人」のことを描いたと言いました。つまり、死者の愛と感謝にまつわる記憶を心に刻み「悼む人」こそが、人間のあるべき本当の姿だという話です。まさに今、死者を憶える季節(「ハロウィーン(Halloween、10月31日)」・「諸聖徒日(All Saint’s Day、11月1日)」・「諸魂日(All Soul’s Day、11月3日)」)を過ごしている私たちこそ、この世界で居て欲しい「悼む人」です。ではいかがでしょうか、「悼む人」であるあなたが覚えている死者は、生前「誰を愛し、誰に愛され、またどんなことで感謝されていた」のでしょうか。そして、「悼む人」として死者のことを憶えているあなたは、今「誰を愛し、誰から愛され、またどんなことを感謝されたい」と願っているのでしょうか。
<福音書> マタイによる福音書 5章1~12節 【諸聖徒日、2025/11/1】※11/9の福音書の箇所とは異なります
1イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」






