聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2026年2月8日(顕現後第5主日)(2026/02/12)

「 埃 」

太陽の光だけでは世の中が明るくならないことをご存じでしょうか。世の中が明るく照らされるためには、太陽からの光を受け止める何かが必要ですが、それは意外にも空間に存在する塵や空気中に浮いている埃なのです。つまり塵や埃が太陽からの光を受け取って、それを反射することによって世の中が明るくなるのです。万一光を受け取る存在がなかったなら、光はどこまでもそのまま通過してしまいます。宇宙の写真や人工衛星から撮影された地球の写真を見ますと、太陽から地球まで全部が明るいのではありません。太陽と地球の間は暗闇です。太陽の光は宇宙の空間を通過してくる間、光を受け取る地球という存在に会って明るく光るようになりますが、その中でも空気の中に無数に浮いている埃や塵が世界を明るく照らしてくれる主人公なのです。

その延長線上で、キリストが私たちに対して「あなたがたは世の光である」(14節)と言われた理由について知ることができます。「まことの光であるキリスト」(ヨハネ福音書1章9節)は、ご自身の光を反射する何かを探して、世の中を明るく照らす誰か、いわば「光の子」(エフェソの信徒への手紙5章8節)と会うために来られました。それで小さい塵や埃のような私たちに出会って、私たちを通してこの世を明るく照らすのです。復活を準備するために設けられている大斎節の始日の「灰の水曜日(Ash Wednesday)」に、司祭が信徒の額に灰で十字架を記しながら“あなたは塵であるから、塵に帰らなければならないことを覚えなさい。”と言うように、人間は塵や埃のように小さな存在にすぎないという考えがキリスト教の一つの人間観です。万が一その塵や埃のような私たちがいなかったらキリストの光は、反射する相手のいない太陽の光のようにそのまま通過してしまって、この世は暗闇になるはずです。それでキリストは、塵や埃のように小さな存在に過ぎない私たちに対して「あなたがたは世の光である」と言われたわけです。

またもう一つ少し違う観点からも、まことの光であるキリストと私たちの関係についての理解を得ることができますが、それは鏡を通してです。知らない人もいるかもしれませんが、鏡が光を反射したりものの形を映したりすることができるのは、その裏が塗料で塗られているからです。透明なガラスやクリスタルは光を屈折させることはできますが、裏が塗装されていないから鏡のように光を照らし返すことはできません。ところが、鏡の裏に塗ってあるものが何かご存じでしょうか。今は使わなくなっているのですが、昔は水銀を使ったようです。水銀は有毒なものです。鏡は自分の裏が毒で暗く塗ってあるから、光を照らし返すことができるのです。私たちも同じです。もし私たちがガラスやクリスタルのように純粋に透明なだけの存在だとすると、光に照らされる自己存在をアピールしたり威張ったりするのに余念がないかもしれません。自分自身が光になったかのように勘違いすることでしょう。しかし水銀の毒のような暗闇、例えば挫折、悲しみ、傷、失敗、苦痛、寂しさ、弱さなどが人生の裏面に塗ってあることによって、ようやく私たちは鏡のように光を照らし返すことができるようになります。暗闇が自分を鏡のような存在、つまり自らのことを威張ることなく光を完全に照らし返すことができる存在へと導いてくれるのです。

塵や埃と鏡を通して知ることができるように、私たちは鏡のようにキリストの光を照らし返す存在、塵や埃のようにキリストの光を反射する存在なのです。決して自分自身の光を放つ存在ではありません。自分は小さな埃のような存在だという告白、暗闇を持っている鏡のような存在だという告白、そうであるにも拘らず光であるキリストを心に受け止めている存在だという告白を通して、やっと私たちは光になることができます。私たちは小さくて闇を持っている者ですが、何より大切で尊い存在、特にキリストにとっては大変大切な存在です。誰一人、キリストから遠い存在、キリストと関係のない存在、尊くない存在はありません。私たち一人ひとりこそ「世の光」だからです。


<福音書> マタイによる福音書 5章13~20節


13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
律法について
17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 20言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

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