聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2026年3月15日(大斎節第4主日)(2026/03/18)

「 鉛筆 」

小説『星の巡礼』や『アルケミスト・夢を旅した少年』などを書いた作家パウロ・コエーリョ(Paulo Coelho)は、2006年に発表した散文集『流れる川のように(Like the flowing river)』の中で、鉛筆が持つ五つの特徴について語りました。彼は鉛筆がもたらす意味を活かす生き方をすると人生に調和がとれると語りましたが、これは宗教や文化を超えて誰にでも当てはまる英知に富む教えではないかと思います。
先ず一つ目、鉛筆は大事な場面に用いられることがあります。ところが、鉛筆の存在意味は鉛筆そのものではなく、鉛筆を握っている書き手にあります。書き手がいなければ鉛筆は用いられないからです。では人生において書き手は誰でしょうか。自分だと思いがちですが、実は自分ではなく神様が書き手なのです。神様はいつもみ心のままに私たちを用い、最終的にはそれぞれに一番いいように導いてくださいます。

二つ目、鉛筆は時折書くことを止めて、自分の身を削らなければなりません。その時は必ず訪れます。丸く短くなった芯の部分を削ることは痛々しいことですが、苦しみや悲しみを耐え忍ぶ方法も学ばなければなりません。そうするとより正確で綺麗に書き続けられるようになり、今より成熟した素敵な人間になれます。キリスト教では、計画的、かつ定期的に止まって自分のことを省察する時を持つ伝統が受け継がれていますが、それをリトリート(Retreat)と言います。
三つ目、鉛筆には失敗などを消せるように消しゴムがついてます。鉛筆と消しゴムはどちらか一方が無いことは考えられないもので、いつも一緒に働くペアなのです。消しゴムは、世の中に間違いを起こさない人は一人もいないし、誰にでも間違いを正すチャンスが与えられていることを教えてくれます。誤りを正すのは決して恥ずかしいことではありません。むしろ、私たちが正しい道を歩くように導いてくれるでしょう。
四つ目、鉛筆において最も重要なのは、外の木の部分ではなくその中に入っている芯です。いくら外側の装飾や色が美しくても、それは鉛筆のアイデンティティそのものではありません。中心の芯がなければ書くことはできないからです。それゆえ、いつも自分の中心、つまり内面の深いところから聞こえてくる声に耳を傾けなければなりません。そのために、私たちには祈りと黙想の生活が求められます。

最後の五つ目、鉛筆はいつも働いて痕跡を残すということを心に止めておく必要があります。私たちが行うすべてのことは良くも悪くも痕跡を残します。私たちは、絶えず今自分が何をしているのかについて識別し、それによってどのような影響や結果が残されるのか、ということをいつも意識しながら生きていかなければなりません。

筆記用具として鉛筆が使われるように、人は何かのため、また誰かのために遣わされます。今日の福音書の中、癒しの舞台だった池のシロアムは「遣わされた者」(7節)という意味です。今の時代は、物質文明の発達により、むしろ様々な癒しが求められるのですが、今日のシロアムはどこにあるのでしょうか。言葉の意味から考えますと、聖路加、そして聖路加で人々に遣わされている私たち一人ひとりこそ、今日のシロアムの一つではないでしょうか。マザー・テレサ(Mother Teresa、1910-1997)は、インドのコルカタを拠点に病気や貧困に苦しんでいる人々の支援に生涯を捧げた修道女で20世紀を代表する慈善活動家でもあります。生前彼女は「神様の手に握られている小さな鉛筆」というあだ名で呼ばれたいと願いました。そのあだ名は、神様の愛を生きる有機体という理念のもとに連なっている聖路加コミュニティの一人ひとりにも当てはまります。大学・病院・チャペルの中、今日のシロアムとして遣わされている私たちこそ、まさに神様の手に握られてその愛を書き続ける小さな鉛筆なのです。


<福音書> ヨハネによる福音書9:1‐13、28‐38

1さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 2弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 3イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 4わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。 5わたしは、世にいる間、世の光である。」 6こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。 7そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 8近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 9「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 10そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、 11彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」 12人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。13人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。

28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひれふした。

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