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委員会の記録からB】

礼拝委員会中間報告
 礼拝委員会が取り組んでいる課題は、大きく分けて二つあります。一つは主教会または日本聖公会総会から委託された課題であり、もう一つは2000年第52(定期)総会の、管区機構試行に関する議案可決に伴って定められた職務「礼拝および礼拝用書に関する事項を協議、審査し、その改定等につき総会に提案する」に基づいて協議している課題です。

1. 主教会または日本聖公会総会から委託された課題
 @ 週日聖書日課をめぐる諸問題
  これは第52総会期(2000年)から継続して審議している課題で、第53(定期)総会にも報告しましたように、委員会の結論としては「(  )を用いることによって基本的には聖書朗読の全体性(それでも旧約聖書が100%読まれることはほぼ不可能であり、可能な限りと言う意味)を回復しながらも、司式者の裁量によって選択できるようにする」としました。とりわけ新約聖書においては、いわゆる「女性差別的」といわれる箇所だけでなく、ヨハネ福音書の受難・復活の記事を始め、いくつかの重要な箇所が欠落しています。そこで、必要に応じて(  )を用い、また朗読すべきだと思われる欠落個所については、一部組換えをすることで朗読できる週日日課表に再編した案を作成しました。なお、この試案を次期総会に議案として提出するかどうかの委員会決定はまだ行っていません。

 A 「彼」「兄弟」等のいわゆる「包括言語」問題
 この件に関しては、1999年に主教会より「祈祷書における包括言語について」という表題の文書が全教会・礼拝堂・伝道所に出されています。それによりますと、1998年第51(定期)総会決議第28号「女性司祭の実現に伴うガイドラインを承認する件」において、そのガイドラインの原則中に、「祈祷書における男性名詞を包括言語に変更する必要」が述べられており、「1998年総会以来すでに5人の女性司祭が生まれ、祈祷書における男性名詞の使用の不適当が実際に問題となっている」と指摘しています。主教会は教理礼拝組織調査員に、包括言語への変更に関して諮問し、その答申を受け協議した結果、

@ 祈祷書の「使用上の注意事項」(Eページ)(4)によって、読み替える。
A聖餐式の懺悔の言葉の中の、「師父」を、「司祭/主教」あるいは「師」に読み替えることが、教区主教の司牧のもとで許される。(法規第170条)
という2点を決定しました。ただし「包括言語の問題は、今後、祈祷書改訂も視野に入れて、主教会でも検討していくことにしている」、とも述べています。


「彼」「兄弟」等
 この課題の検討を委託された当委員会は、これについての学習会を行い、ここで言う「包括言語 inclusive language」とは、より正確には「包括的な言語表現」で、「特定のグループや性を排除する言語や形式でなく、多様な集団を包括する言語や形式」の意味であることを確認しました。

 具体的な作業として、@に関しては、聖書引用箇所・詩編・カンティクル(賛歌)を除く本文について、これに関わる言葉を抽出して一覧表を作成しました。それによりますと、関連語句は「彼(ら)」「兄弟」「僕(ら)」を中心に約200か所ほどになり ます。もちろん、これらの言葉は「使用上の注意事項」(Eページ)(4)を用いて、彼⇔彼女、兄弟⇔姉妹などと読み替えるこ とは可能です。しかしながら委員会での議論は、このような代名詞で祈ることが適切な場合もあるけれども、祈りの状況の中でよ り相応しい表現があるのではないか、という点にありました。例えば、病人訪問の式の中ではしばしば「この兄弟を憐れみ」とい う表現が、また葬送式関係の式文では「永遠の平安を彼に与え」という表現があります。これらを「姉妹」とか「彼女」と読み替 えるよりも、「(  姓名  さん)を憐れみ」とか「永遠の平安をこの人に与え」と祈るほうが、より心のこもった祈りになるのではないかということです。

 しかし一方で、「兄弟」とか「僕」という言葉は、聖書学的にも重要な意味を持つ言葉です。この点も十分に考慮しつつ、より適切な表現について検討しています。

「師父」および「懺悔」の問題
 上述の主教会文書(1999年11月18日付)によれば、「聖餐式の懺悔の言葉の中の、『師父』を、『司祭/主教』あるいは『師』に読み替えることが、教区主教の司牧のもとで許される。」とされています。ここでの問題は現在のところ2点が考えられます。

 第1の問題は、日本聖公会祈祷書は「師父」と「師」をどのように使い分けてきたのかという点です。現行祈祷書を調べてみますと、「師父」は「(教区)主教」に対して(例:p.170の聖餐式懺悔、p.507の礼拝堂聖別式、p.432・p.453・p.472の聖職按手式)用いられ、「師」は司祭に対して(p.483以下の牧師任命式)用いられています。つまり、「師父」は「(教区)主教」に対して、「師」は「司祭」に対して用いると言う原則があるように思えます。事実、「師父」という言葉は第1祈祷書以来、主教に対して用いられた‘Reverend Farther’ の訳語です。しかしp.298の個人懺悔では、司祭に対して「師父」という言葉を用いており、これを見る限りは完全に統一された用法ではないようにも思えます。

 2の問題は、聖餐式の懺悔の中に「師父」という言葉を用いるようになったのは、1959年祈祷書(厳密には1956年改正祈祷書から。1953年改正祈祷書ではまだ相互懺悔の形式を取っていない。)からで、それ以前の祈祷書は、世界の聖公会祈祷書と同じように一般懺悔(懺悔の勧め→司祭と会衆の同一の言葉による懺悔→教区主教/司祭の赦罪)で、「師父」という言葉は用いられていませんでした。

 第3の問題は、赦罪権が教区主教固有の権威(司祭には分与される)かどうか、という点です。聖餐式懺悔のところで、「(教区)主教臨席のときは主教が言う」というルブリックは、第1祈祷書にはなく第2祈祷書から挿入されたものです。
 いずれにせよ、「師父」の理解について、歴史的経過や聖餐式懺悔赦罪への挿入の経過等について調査研究を開始したところです。この形式が1959年祈祷書以来の日本聖公会祈祷書の特色の一つであることを認めつつも、全聖公会的なものとしては一般懺悔を用いていることを考える時、むしろ一般懺悔の方法もオルタナティブで在ってもよいのではなかろうかと考えています。

2.委員会として継続作業を行っている課題
@ 旧約聖書朗読後の詩編についての取り扱い
 旧約聖書朗読後の詩編については、第53(定期)総会決議第20号で次期総会までの試用が承認されましたが、この試用期間を延長するのかどうかについて決断する必要があります。これについて委員会では、全教会にアンケートを実施し、それらの意見も参考にしつつ決定したいと考えています。

A 文書の翻訳出版について
 第53(定期)総会礼拝委員会報告でも報告しましたが、聖公会国際礼拝協議会が発表した3文書「入信の式」「聖餐式」「聖職按手式」について、各文書の試訳が完成し、現在委員会で読み合わせと修正作業を継続して行っています。これについては、総主事と相談しながら、完成次第出版したいと考えています。

3.委員会として研究を開始した課題
@ 現行祈祷書の改訂増補について
 53(定期)総会で「主の祈り」、「新共同訳聖書の章節区切りに基づく聖書日課表の作成・使用」がそれぞれ可決されました。「主の祈り」については、改正が確定された共通訳に差し替えた祈祷書が近く出版されるでしょう。
 しかし、現行祈祷書が用いられ始めてからすでに14年を経過した今、現在作業中の「週日聖書日課の改訂」や「包括言語等の問題」を含め、様々な課題が見えてきたように思います。例えば、オルタナティブな部分を増やして、より豊かにすること(聖婚式や葬送式等の聖書日課の選択箇所・聖餐式代祷や感謝聖別文等)、ルブリックの適切な表記の問題、式文そのものの一部改定、祈祷書中の聖書引用句を新共同訳聖書に準拠するかどうかといった問題等、祈祷書改訂増補が近い将来必要であると考えています。委員会では、そのために現行祈祷書を再検討する作業を開始したところです。     礼拝委員会委員長 司祭 吉田 雅人

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