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ウガンダの病める人たちを支えるために
                          管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 かつて学生時代に、カトマンズの日本大使館で一人の日本人に出会いました。なんとなく話がまとまり、お宅に泊めてもらうことになりました。真面目そうだけれど得体の知れない日本人がいるし、ネパール人の子供もいるし妙なところに来たなと思っていたら、食前の祈りがありびっくりしました。いまさら「あなたたちは誰ですか」と聞くわけにもいかず困りましたが、そこはJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)派遣の岩村昇ドクターのオカチャンホームでした。

 「ゴルカの病院に一緒に行かないか」と誘われたので、もちろんお願いしました。寝袋を用意してくれたのでおかしいなとは思ったのですが、気楽に付いて行きましたが、バスの終点から3泊4日歩くとは思いもしませんでした。貴重な体験でした。お腹がポコンと膨れた子供に多く出会いましたが、栄養のバランスが悪いと起きる障害とのこと。その土地の習慣に合わせて私たちも1日2食。男性はのんきそうでしたが、女性は大変そう。谷川に下りて泥のような水を汲んでくるのも女性の仕事。将来の労働力と老後の保証の意味もあり出生率は高いけれど、1歳になる前に4人に1人は死ぬとのこと。もっとも、それは35年も前のことですが。岩村ドクターは貧困と無知と病の悪循環について話してくれました。今ならその三つに差別を加えたろうと思います。

 やはりJOCSからウガンダに派遣されているドクターからこのたび、メールを頂戴しました。残念ながら貧困、無知、病そして差別の悪循環は変わらないのだと感じます。以下、レポートの一部をご紹介します。

 「このシーズン(5月〜7月)になりますと、重症の下痢や、栄養障害、そして肺炎の子供が増えます。マラリヤの症状の一つとして下痢が続き、そのため栄養障害となり、栄養障害のために病気に対する抵抗力が落ち、肺炎などの重症の感染症にかかったりします。またここウガンダで、栄養障害の子供の起こす慢性で重症の下痢の治療は、日本で考えられないほど難しいものです。ありとあらゆる薬を使い、食物の工夫をするのですが、まるで尿のような下痢が続きます。時にはコレラではないかと思うことがあります。」

 「10人に1人がHIV陽性だと言われているウガンダでも、HIVに感染していることが人々に知られると大変差別されるのです。その他、訪問診療の時に気をつけないといけないのは、子供のお父さんも自分がHIVに感染していることを知っているかどうかということです。お父さんが知らない場合で、お母さんが自分の感染していることをお父さんに知られると、お父さんに捨てられるのではないかと恐れる人がいます。これはおかしな話で、たいていの場合お父さんが家庭の外で感染して、それからお母さんに感染させた場合が多く、お母さんの方が犠牲者なのですが、女性の地位が低いウガンダでは、こういうことにも配慮しなければいけません。」

 「ウガンダの風習では、夫が亡くなった場合、夫の兄弟と再婚する場合が多いのですが、このお母さんは、自分が陽性であることが分かっているので、これ以上感染者を増やしたくないから再婚はしないと言っています。これは、ある意味で大変な決心で、夫がいないということは、現金を含む収入を得ることが難しいことになります。この子供の治療のために病院に来ることを勧めたのですが、現金が手元にないということでした」。

 「自分の子供が病気をしたときは、有料のチオコ病院へ入院させ(その結果、検査をして子供がHIV陽性であることが分かりました)、自分が病気をしたときは、治療のレベルがよくなくても無料のクリニックへ行く…。このような親御さんの気持ちは、訪問診療をしなければ分からなかったと思います」。

 「高価な抗HIV薬を使って免疫力を回復させれば、たいていの症状はよくなる。しかし高価で買えない。抗HIV薬が使えればねえと言って、お母さんと二人でため息をつけばたいてい診察は終わる」。

 このドクターは小児科と精神科が専門だそうですが、今は主にエイズに取り組んでおられます。重債務国支援のパートナーとして、ウガンダのチオコ病院を紹介してくださいました。1986年に成立以来英国のCMSが医師やマネージャーを送り続けている信頼できる病院とのこと。支援のあり方について、これから常議員会にご承認をお願いする段階ですが、実現すれば「HIVに感染している子供たちの入院費(両親ともHIVに感染していて貧しく、入院費が払えないことがあります)、おばあさんなどがHIV孤児を育てていて貧しく食物がない子供たちへ食物と薬と共に届けること、貧しいために最後を家で迎える子供のためのカウンセリングやターミナルケアの出来るスタッフ養成、母親たちが少しでも自立できるよう手工芸品を作る仕事の設立、などが出来ます。遠大なプロジェクトではなく、今目の前にある日々の現実に何か一つでも出来ないかというお気持ちだそうです。私たちも小さな応援を送れないかと願っているのです。遠いお国ではなく、案外「隣り」という気もしますし。

 皆様からお預かりしている重債務国支援の献金は南アフリカ女性会議、同じく南アフリカHighveld教区のエイズに対する保健活動にささげられておりますが、さらに今回ウガンダのチオコ病院と相談中ということであります。アジア学院の卒業生が担っている農村共同体での働きもお手伝いできないかとミャンマーの教会とも相談しております。大斎克己献金の一部もこれらの働きのために用いられます。私たちの願いは、困難な状況にあってもお互いに助け合いながら希望を持ち続けて励んでいる人々の姿から、私たちも学びたいということであります。
大斎節も押し迫るとき、困難の中にある人々、そしてそれらの人々と共にある働きをお祈りにお憶えいただきたいとお願い申し上げます。