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日本聖公会各教区報のなかから ■■■

日本聖公会総会報告

★「教区制改革を推進する機関」設置について (その1)
東北教区報『あけぼの』 91巻第7号
 多くの重要な議案、そして年金制度に関する報告や議論等の中で、一つだけご報告するとすれば、やはり「教区制改革」の機関設置の件ではないかと思います。当初の原案は「教区の区域再編成」という議案でしたが、様々な議論が交わされる中で、教区の「区割り」が一番の問題なのか、教区の区割りを再編成すれば、日本聖公会の宣教・伝道が刷新されるのか、そうではないという方向に議論が深まっていきました。東京や横浜、関西圏等、確かに教区の区割りの問題もあるでしょうが、ただ区割りを変え、教区数や主教の数を減らせば、経営合理化されて日本聖公会は合理的で能率的な宣教・伝道が出来るのだろうか、と。そうではない、一つ一つの教区がそれぞれの歴史や現実を背負いながら、「切れば血が流れるような一つの体・共同体」(ある発言より)として懸命に働くことが基本になければ、ただ組織・構造をいじってもおそらく有効な変革はあり得ないというのが、改めて議場の中で考えさせられたことでした。
 しかし同時に、いろいろなことがこのままで良い訳でもありません。あまりに教区によって状況の違いがあり、しかもそこに自分の教区のことだけを考える閉鎖性が働けば、やはり日本聖公会が全体として力を合わせた将来像は見えてきません。教区として為すべきこと、全体としてもっと情報や人材を交換しながら、分かち合うべきこと(各教会と教区の関係も同じですね)。この議案を具体化する詳細は管区・常議員会に託されましたが、注目しつつ、私たち自身の働きを真摯に見直してまいりたいと思います。
(教区主教)

京都教区報『つのぶえ』 543号

「教区制改革を推進する機関」設置の件/可決

 日本聖公会の教勢不審を打破しようとの案。教区区域の再編成(教区数の減少)を視野に入れること。各教区に多大な格差のある教役者給与、福利厚生を見直すこと。聖職志願者を各教区所属(現状)から、管区所属とすることなどを視野に入れた案である。様々な角度からの改革を推進するための特別委員会を立ち上げる。       
(司祭 原田文雄)

神戸教区報『神のおとずれ』 482号
 今回の議案審議の中で、特に我々神戸教区に関わりのある二つの重要な問題に絞って報告をさせていただきたいと思う。

 第一は年金問題である。(略)第二は「教区制改革を推進する機関」を設置することが承認されたことである。これによって日本聖公会および各教区の宣教・組織運営などを活発かつ円滑にするために、教区区域の変更や教役者人事、また、財政的格差などの具体的改革案を4年後の定期総会に提案することになった。そのための構成人員及び予算などは常議員会に付託されている。
 しかし、この議案はもっともらしく見えるが、実際には、議案を提出した教区が、福音宣教と教区運営に行き詰まりを感じて閉塞状況を打破するために人為的に教区制や組織を変更しようとしているように感じられるのである。本来、教会は教会に永遠の命を与えておられる聖霊なる神様を堅く信頼することによって、希望と将来のビジョンが与えられるものである。決して小手先の人為的変更によって教会という組織を守ることはできないであろう。しかし、この議案が賛成多数で承認されたことは、現在の日本聖公会全体の衰退傾向の深刻さを示していると言える。

(司祭 芳我秀一)

九州教区報『はばたく』 406号

 もっとも多く討議に時間がさかれたのは、「日本聖公会教区区域再編成検討委員会(仮称)を設置する件」でした。日本聖公会の一教区というものが他管区内のそれと比べると格段に規模が小さく、管区自体としても小さなものがさらに11教区に分かれているがための種々の不合理や不自由は従来から言われ検討されて来たことであります。これも、提案の趣旨は理解賛同するも具体的にどうするかについては議論され、結果としては「教区制改革を推進する機関設置の件」として可決されました。機関の人員等については管区常議員会に付託され機関は4年間として2年後の総会にその検討過程の中間報告がなされます。私たちの信仰生活の具体的ありさまは自分の所属する教区に基づいているのですからこれは全信徒に関わる大きな事です。私には関係ない、では済まされません。       

(司祭 吉岡容子)

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          ―教父たちの戦争・軍隊・平和観―

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(立教大学出版会刊・A5判本文272頁・4600円+税)

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