page2

pege3 page4 page5 page6 page7 page8 page9 page1

沖 縄 に て
                               管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 先週は主教会のお供で沖縄に行きました。沖縄に行くのはよいけれど、思わず「これが主教会でなければなあ」とつぶやいたら、「皆そう思っているよ」と、ある主教様。普段はお一人の主教様を多くの聖職団で囲んでいるのに、10人の主教様の間に司祭は総主事一人が小さくなって陪席しているのですから、お察しください。それに皆さん真面目で、レベルが高いから大変です。これはお世辞ではありませんから、念のため。

主教会が終わると、やれやれと飛び出しました。今帰仁城址の桜がきれいでした。しかし、沖縄は沖縄なりに内部の闘いがあった歴史にも気付きました。本島北端の辺戸岬、祖国復帰闘争碑が建っています。復帰前、本土が見える場所として遠足に出かけたのに雨で見えなかった、と子どもが泣いたという話を聞いたことがあります。美しい場所ですが、実現した本土復帰は本当に期待された通りだったのか、考えさせられる場所でもあります。米軍基地は残っています。嘉手納基地を車で一周してみようと出かけましたが、大きすぎて途中であきらめました。平和祈念公園の平和の礎と資料館は、前回の訪問の時にはまだ出来ていなかったものです。刻まれた犠牲者の名前に女性の名前が目立ちます。多くの民間人が戦闘に巻き込まれた事実を示します。戦争が人間を狂わす悲惨さに言葉を失い、ただ沈黙します。沖縄の人々の名前を本土風に変えることを、半ば強制したことも今回はじめて知りました。

最後にお邪魔した小禄の教会は旧海軍司令部に近く、艦砲射撃と空爆が集中した地域。今でも不発弾が多いとのこと。大分前ですが、現にこの教会の幼稚園では不発弾が爆発して死者まで出しています。沖縄では戦争は過去の物語ではなく重い現実のようです。だからこそ「どんな理由にしろ戦争だけは絶対に許さない」と叫ばれるのです。「沖縄の心は本土の人には分かってもらえないと言われるならば、私は語る言葉を持たない」と述べた総理大臣がいましたが、私も別な意味でお伝えする言葉を持ちません。言葉で簡単に表現できる領域を越えている気がして、沈黙こそが相応しい気がするのです。訪ねるたびに、何かを感じさせられることの積み重ねの中に希望をつないでいます。今年も6月に沖縄セミナーが計画されています。その場に立って、言葉では表されないことを感じ取っていただければと、参加をお勧めいたします。重苦しくはありません、沖縄には明るさがありますし、皆さん本当に親切です。苦難の体験からお互いを大切にすることの素晴らしさを知っておられるからでしょうか。最初は運転が勇敢だなあと思いましたが、それは沖縄教区の聖職たちだけで、他の人々穏やかでした。

また余計なことを一つ。今回はカーナビのお世話になりました。馴れない土地では便利な器械ですが、親切過ぎて困るときもあります。最初に設定したルートから外れると「違うじゃないか」と文句を言うのです。でも実際にはきれいだから寄り道をしたい、せっかくだから高速道路は止めた、往復同じ道ではつまらないとか、色々あるではありませんか。ナビの指示に従えば間違いはありませんが、味気ない気もします。私たちも機械的に「皆が言っているから」、「こう言うことになっているから」、さらに誤解を恐れず言えば(本当は恐れながら)、「聖書に書いてあるから」だけに任せてよいのでしょうか。平和の問題だけに限らず多くの課題を考えるとき、じっと沈黙に耐えた後に心の底からの叫びを上げたいと思うのですが。良き大斎をお守りくださいますように。

■立教学院奨学金についてのお知らせ

立教学院では、1998年度から「聖公会教役者の子及び聖公会神学院校長の推薦する大学院学生に対する立教学院奨学金規程」を制定しており、聖公会教役者の子で、立教学院の各学校の児童、生徒・学生に対して奨学金を交付しております。つきましては、次年度対象となる方がいましたら、申請されますようお知らせいたします。

なお、申請の受付は小学校、池袋中高、新座中高は各校事務室、大学は財務部資金課でおこなっており、締め切りは4月末日です。

pege3 page4 page5 page6 page7 page8 page9 page1