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東京教区のパレスチナ訪問に同行して

イスラエル政府による占領地区(ヨルダン川西岸、等)に居住しているパレスチナ人(イスラム教徒、キリスト教徒)の生活状況をこの目で確かめ、理解した上で、日本聖公会管区としてどのような働きが出来るかを追求する事を目的としてこの地を訪問しました。

訪問した場所はアインカレム(パレスチナ人が殺害されたり村を追い出されて、ユダヤ人が住み着いた所)、ベツレヘム、ナザレ、ジェニン(パレスチナ難民キャンプのある所)、ラマラ(パレスチナ難民キャンプ、パレスチナ自治政府の本拠地)などで、パレスチナ人が何れも自分たちの自治区でありながら、イスラエル政府の管理下で苦労の中で生活している事実を確認しました。

 ヨルダン川西岸はパレスチナ人が昔から住んでいた所ですが、1948年イスラエル建国以降1967年まではヨルダン領、1967以降はイスラエルの占領地域となっています。この地域に政府の方針でイスラエル人入植地がどんどん出来上がり、元々この地域に住んでいたパレスチナ人が他の地域に追い出されたり、限られた地域に閉じ込められたりしています。パレスチナ人地域を取り囲むように、イスラエル人入植地に日本のマンションのような集合住宅が見下ろすように建てられ、高圧の電気を通した鉄条網で周りを囲んでいます。ある所では鉄条網の代わりに、8メートルの高さのコンクリート壁が出来つつあり、人や車両の行き来が全く遮断されています。例えばベツレヘムではパレスチナ人地域への出入りはイスラエル兵士によって完全に管理されていて、自由な出入りはほぼ完全に禁止されている様でした。我々が出入りした際も厳重なパスポート確認があり、平和な日本に住んでいる日本人にとってはとても異常な感じを持ちました。高くそびえる住宅により威圧的に見下され、出入りを完全に管理され、いつイスラエル兵士がやって来て嫌がらせをされるか解らぬ状況下で日常生活を営むパレスチナ人の精神的な困難は我々の理解をはるかに越えています。

ジェニンやラマラは難民キャンプ地内に過激なパレスチナゲリラがいるという想定で、イスラエル兵士による出入りのチェックは更に厳しく、自動小銃を持った若い兵士がバスに乗り込んできて質問をするのはやはり異様な光景でした。この地域ではイスラエル兵士による嫌がらせ的な行為(威嚇の為に子どもに銃を向けたり、怪我はさせないが威嚇射撃をしたりする様です)によって精神的に不安定になった子どもがいるとの話を聞きました。

この訪問を通して、パレスチナの人々がイスラエル市民と同一の取り扱いを受けていない事、殊に子どもたちの置かれた立場が困難である事が良く理解できました。子どもたちの為の施設や援助団体をいくつか訪問し、話を聞き目で確かめたので、日本聖公会管区としてこの子どもたちの為に何をすべきか、何が出来るかは、時間をかけて良く考えて結論を出したいと考えています。

最後にこの訪問を可能にして頂いた日本聖公会管区及び東京教区に感謝いたします。

日本聖公会管区事務所渉外主事 八幡 眞也

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