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《速報版》 第188号 2004年9月25
日本聖公会
管区事務所だより
日本聖公会管区事務所
162-0805 新宿区矢来町65
TEL 03(5228)3171 FAX 03(5228)3175
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕

共に生きるということ

管区事務所総主事  司祭  ローレンス 三鍋 裕

夏のご報告。長くて暑い夏でした。皆様はいかがお過ごしになられましたでしょうか。私はイラン、ウガンダ、南アフリカへ3週間出かけておりました。若いときなら喜んで出かけたのでしょうが、ご苦労さんと思ってくださいね。


1.大震災後のイラン

イランは昨年末に起こった南東部のバム大震災の救援活動の状況視察です。管区の海外緊急援助資金100万円とは別に、皆様からの救援募金を約674万円お預かりしました。ご協力に改めて御礼申し上げます。この募金の一部を世界宗教者平和会議(WCRP)を通して被災地のNGO活動のために送らせていただきました。WCRPとしてモニタリングといって、救援資金がどのように用いられているかの調査に行くので参加するようにとお誘いを受けた次第です。併せて、イスラム教やゾロアスター教の人々との対話の糸口も求めたいという願いもありました。

成田からイラン航空に乗ると、女性の客室乗務員は黒いベールを被っている。仕事柄か全体的には活動的なスタイルで、忍者姿をスマートにしたと思ってください。13時間のフライトで、皆さんには問題ではないでしょうが、アルコール類のサービスは一切なし。着陸間際になると、女性の乗客は全員ベールを取り出して被ります。着陸間際までベールを大目に見るのなら、アルコールだって大目に見れないものかとしつこく思いますが、とにかく宗教的慣行が人々の生活を細かく規制しているのを感じさせられます。

深夜のテヘラン空港の入国審査官は、やはりベールを被った女性でした。それでも女性の社会進出を感じましたが、やはり女性の活動は、ベールを被るか被らないかだけではなく制限されているようです。バムの状況はいまだに瓦礫の山。今の作業は瓦礫を町の外に運び出すこと。被災者はテントやコンテナのような仮設住宅住まい。人口8万人の地域で死者が2万7千人。実際には親族が勝手に埋葬したり、関連死を含めると4万近いという説もあります。イスラム共同体としての助け合い精神は生きていて、復興活動は進められていますが、なんとも遠い道のりです。復興計画が完成するのに2年はかかるとのこと。どうしようもない状況です。ケルマン州福祉局長によれば、バム近辺で親を失った子どもの数は地震の前の30倍、身体に障がいを持った人の数は16倍に増えたとのこと。大都会から離れているのでこの地方だけかもしれませんが、この数え方は両親あるいは父親を失った子どもの数で、母親だけを失った場合は数に入れないとのこと。父親さえ生きていれば子どもは何とか生活できるからと。社会状況の違いと言えばそれまででしょうが、母親の重要性は何と考えられているのか、子どもは身体が大きくなりさえすれば「育つ」ということなのか。そして裏を返せば、母親の力だけで子どもを育てるのは、現実には非常に難しいことを示しているわけです。

WCRPを通して贈られた皆さんの支援募金は、親を失った女の子のためのホームに使われています。男の子よりも女の子の方が先に保護されなければならないからだそうです。

前述しましたが、イスラム共同体精神は生きているようで、日本からのNGOも現地の福祉団体と協力しながら活動したそうです。自分たちだけですべてをやろうというのは無理でもあり、またその土地の人々との協働という面からして最善ではないように思えます。日本からのNGOのいくつかは「地震発生後6日以内に現地集合」の期限に間に合わず、欧米のNGOに比べて周辺の仕事しか割り当てられなかったという裏話もありますが、子どもたちの家など中期的な取り組みが出来た面もあります。

イスラムの暖かさも感じさせられました。ホメイニ師に対する尊敬は絶大であるにしても、イスラムの掟が生活の中に深く入り込んでいることについては、評価は分かれるようです。25年前の革命デモの写真を見ても、ミニスカートでベールも被っていない女性参加者が写っています。イスラム革命が実現したとたんにベールを強制されたわけですから、色々な声があるのでしょう。早く大きくなって、お姉ちゃんたちのようにベールを被りたいという少女もいますし。聖地コムで会った?(ベールにさえぎられては、会った気がしない)女性、ガイドはペルシャ人ではなくオマーンかサウジの女性だといっていましたが、目さえ見えないチャドルとかいう服でした。食事はルームサービスを取っていましたから、何とか食べているのでしょう。シャー・パーレビ時代の秘密警察の恐ろしさも聞いてはいますが、人々の本音はどうなのでしょうか。

コムの老アヤトラは「世界中がアラーの神を信じれば、世界は平和になる」と言い切りました。「宗教者として平和のための対話を持ちたくて」はるばるやってきた客にもう少し愛想の良い言葉はないのかと思いますが、宗教者の信念としては無理もありません。テヘランで会ったイスラム学者は宗教間の理解の大切さを強調していましたが。ゾロアスターの人々は世界中で10万人しか残っていない少数者の経験からか「私たちはどの人々とも平和に過ごしたい。私たちは武器を持たない」と穏やかでした。

イラン全体は経済状態もよく安定している感じでしたが、アフガンとイラクが両隣ですから、漠然としたアメリカに対する警戒感がありました。核査察の問題もあります。ガイドの言うことを信用すればですが「アメリカが原子力発電所を攻撃したら、イランの全国民は最後まで戦う」と言われているそうです。


2.ウガンダのチオコ病院

ウガンダのチオコ病院をお訪ねしました。ちょっと寄り道のつもりでしたが、アフリカ大陸は広大で大変な寄り道になりました。2泊しか出来ませんでしたが、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の北川恵以子ドクターとお連れ合いのジョンさんがすべて案内してくださいました。貴重な診療活動の時間のお邪魔をしたくはなかったのですが、さすがに一人で行動できる状況ではありません。チオコ病院には重債務国復興支援資金から献金を捧げています。CMSの宣教医が礼拝堂を使って一人で始めた診療所が、今は200床の病院です。1981年から5年続いた内戦の後遺症で地域は疲弊しています。今でも、病院の敷地を掘ると人骨が出てくるそうです。戦争とは力のある人が始めるのですが、被害はいつも貧しい人々にきます。人口の4分の1が消えたそうです。

HIV・エイズだけではありません。雨季が終わって暫くすると水溜りから蚊が発生して、マラリヤの季節になります。病院の床まで病人でいっぱいになるそうです。私もマラリヤを媒介する夜行性の蚊が動き出す日没前に首都のカンパラに帰りました。カンパラには電気も水道もありますが、郊外のスラム街は排水設備がありませんから伝染病の巣みたいなところ。昼間から人が大勢います。つまり仕事がないのです。高級車も走っています。スポーツクラブもあります。貧富の差が大きいのです。ARVSというエイズの発症を抑える薬はあります。でも買える人は限られています。カンパラから2時間のチオコ病院でも使われていないそうです。ご本人が女性だからというわけではなく「多くの場合男性がHIVウィルスを家庭に持ち込み、配偶者も子どもも感染するのに、女性は男性の経済力に頼らなければならないので、男性は無責任な場合が多い」「ふらりと家族を残して消えてしまう男性もいる」と北川ドクターはこぼしておられました。識字率にも男女の差があります。政府発表では男性60%、女性が50%となっていますが、実感としては女性が40%とか。この差は何を物語るのでしょうか。

日本聖公会からの献金はHIV陽性児の在宅ケアプロジェクトに用いられています。ウガンダでは、入院しても家族が付き添って、病人のために調理までしなければなりません。幼い兄弟姉妹の世話は誰がするのでしょうか。すでにエイズで親を失っている子どもは、祖父母が世話をしています。日本とは違う意味で、泥の家であっても在宅ケアが必要なのです。そのためには、巡回できる医療スタッフが必要なのです。医師の俸給が月6万円、看護師が2万円、この待遇では、英語が達者な人はよそのお国に引き抜かれても不思議ではありませんね。但しこの物価の安いお国でガソリンをはじめ自動車の維持費は日本と同じ高さ。日本からの協力がなければ、このプロジェクトは成り立ちません。病院中心から在宅中心への大きな試みなのです。カンパラの大学病院からも注目されているそうです。でも私にはどうしようもない状況に見えました。生まれたときから感染している子どもは、薬も買えないし10年、長くて15年で発症して死ぬわけですから。せめてもの努力として栄養指導に力を入れていますし、少しでも母親に経済力を持ってもらうために、工芸品の製作指導も試みられています。それにしても久しぶりに?まじめで信仰深い人々に会いました。病院のモットーは「われらは治療し、イエスが癒される」であります。


3.南アフリカの教会で

南アフリカはヨハネスブルグ郊外で、聖公会総主事会議。郊外でというのは、市内は治安が悪くて入れないからなのです。ガイドブックに市内の地図が入ってはいるのですが「絶対に立ち入らないこと」と注意書きがついています。私たちは貸切バスで行って見ましたが、ここでも失業と貧困と犯罪の、そして麻薬の連鎖のようです。

32の聖公会から代表が集まりました。主教3人、司祭11人、信徒18人(内女性は5人)の参加者。急病で欠席したお仲間が2人おられましたが、東南アジア、中央アフリカ、ナイジェリア、ウガンダは最初から不参加を表明していました。アングリカン・コミュニオンの一致を確認しようとするときの欠席は残念でした。アメリカのニューハンプシャー教区の問題も話題にはなりましたが、総主事という立場の集まりですし、この問題でカンタベリー大主教の特別委員会が報告をまとめようとしている段階でもあり討論は遠慮することにしました。ただ実務に当る総主事たちの共通理解としては、次の認識で一致しました。「確かに意見は分かれている。報道もセンセーショナルに聖公会の分裂と書き立てる。しかし、それぞれの聖公会は独自にまた直接的にカンタベリー大主教との交わりにあることをもって聖公会なのである。仮に一部の教会が、たとえば米国聖公会と鋭く意見が対立したとしても、カンタベリー大主教との交わりにある限り、家族の中の兄弟あるいは姉妹の対立であって、聖公会の分裂を意味するものでは決してない」、少なくとも参加した総主事たちはこの共通認識を持ちました。

管区総主事の役割について話し合う時間もありました。リーダーかサーバントか。皆さんサーバントと答えますが「日本ではもう少し下でスレイブに近い」と言いましたら、同情ではなく共感してくれました。総会が相矛盾する決議を二つ可決したので困っているという管区もありました。どこでも苦労しているようです。

開催地は南部アフリカ管区(南アフリカ以外の周辺のお国も含みます)ハイフェルト教区。実はここにも重債務国復興支援資金をお送りしています。HIV感染者やエイズ患者を家庭で世話をするための指導者を養成するプログラムに、2人の女性執事が専任で派遣されています。ケアと予防の教育に並んで重視されているのが差別・偏見の排除です。お互いの尊厳を守るのです。(意見の分かれるところでありましょうが、招かれた教会の主日聖餐式では皆同じチャリスから直接御血を拝領しました。)死に行く人と家族のケアも教会の仕事です。まじめな話です、お葬式も、時としてお葬式の費用も。

このお二人の活動(エイズ・コーディネーター)が日本聖公会からの献金で支えられています。昨年2月に英国でACCのピーターソン総主事からこの教区のビーツガ主教に紹介されたときには、まさか自分がこの地を訪れることがあるとは思いませんでした。丁重なお礼のお言葉をいただきました。「日本聖公会の支援がこの教区を変えた」とまで言われました。主教のお連れ合いも看護師として活動しておられます。南アフリカに限れば人口4千5百万人中、HIV感染者あるいは発症したエイズ患者数が5百40万人。アパルトヘイトの後遺症で貧富の差が大きいお国です。この教区の人々は特に貧しいとのこと。アパルトヘイト撤廃で少なくない白人が教会を去り、経済的に苦しくなった時もあるそうです。地域によっては住民の50%が感染者、いま感染したばかりとしても10年後にはほぼ必ず死にます。このお国では2010年の予想平均寿命は43歳。エイズが流行し始める前に比較して17歳低下ということです。子どもたちは未来というものがないのです。もう一つの点は、女性の感染者の割合が55%と、男性より高いのです。全般的に女性の社会的地位が低く、男性の言いなりになる部分がありますし、性犯罪は世界最悪で、17秒に一人の女性がレイプされていると言われます。金や銅などの鉱物資源が豊かで、気候もよくて農業に適しているこのお国、決して貧しいとは思えません。富がもう少し平等に配分されれば、状況が違うはずなのです。世界で最初に心臓移植を成功させたお国でもあるのに、有効な薬はごく一部の人にしか手に出来ません。どうしようもない状況なのです。現地で活躍しておられるフランシスコ会の根本神父を、お留守を承知でエイズケアセンターを訪ねましたが、日本人のボランティアの方が「今朝、長く世話をしていた女の子が死んだのです」と悲しんでおられました。

私は「どうしようもないなあ」で、帰ってきました。しかし、ウガンダの人も南部アフリカの人も、その状況の中にとどまり人々と共に生きなければなりません。信仰によって生かされ、愛によって仕え合い、絶望することなく希望を追い求めているのです。私たちの小さな捧げ物を通して、私たちもその人たちと一緒に生きたいと願うのです。どうぞ時には彼らを思い出していただきたいのです。ひざまずいて目を閉じなくても、祈りに覚えていただきたいのです。そして遠くの人々だけではなく、私たちのすぐ隣にいる人のことも思っていたいのです。励まされているのは私たちなのかもしれません。海外に出るたびに思うのですが、昔はイエローカード(種痘証明)がないと旅行が出来ませんでした。今は世界に天然痘が存在しなくなったので不要になりました。今回は黄熱病の証明が要りましたが。人類は一人一人の赤ちゃんに種痘を施し、その小さな努力の積み重ねで天然痘まで撲滅しました。どうか生物兵器に使うなんて止めて欲しい。小さな小さな助け合いの積み重ねが「どうしようもない状況」を打ち破ることのできる証しなのですから。私たちの心が、戦いから、無理解から、無関心から「共に生きる」ことに変えられますように。今回いただいたケープタウンの大主教様のお奨めは「I am,because we are together」でありました。

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