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2004日本聖公会全国青年大会報告 − 大会を終えて
実行委員長 早川 成(九州教区青年担当委員 久留米聖公教会)


爆心地・グランドゼロから広がる死の同心円。今回の大会ポスター、案内に用いられたカットは、これをイメージしたものです。「原爆被害の中心であるこの場所を、平和を願うメッセージ発信の中心にしましょう。」今回の青年大会に集まった105名の参加者は皆、8月9日に訪れた爆心地公園で、ガイドをつとめた九州教区のメンバーによって語られるこの言葉を聞きました。長崎に立ち、街を歩き、59年前の出来事を体感し、仲間に聴き、仲間と語り、分かち合い、そして「長崎から発つ」ことが今回の最大の目的でした。

九州教区のメンバーが5年前から毎年「長崎」でのプログラムを通して感じてきたこと学んできたことを、まずは力不足ながらも全国の仲間達に発信でき、参加者同士の顔の見える関係も広がったことと思います。大会二日目の8月9日。この日は朝8時前にホテルを出て長崎の街に入り、聖三一教会、平和公園、爆心地公園、城山小学校の四か所に分かれて原爆投下時刻を迎えました。11時02分、街中に鳴り響くサイレンを、参加者はどのような思いで聴いたでしょう。私は、やはり「この日このときに長崎にいる」ということに大きな意味があると実感しました。長崎から見えるもの。それは、そこに生きていた人々の奪われた命と生活、残された人々の思いと人生、また戦争の構造(被害性と加害性)と社会の責任だと思います。そして人間の持つ強さと弱さ、今の自分の在りようとこれからの生き方にも思いが及びます。大会の本当の意味での成果は、参加者がそれぞれ持ち帰った思いや意志が、各自の教会・教区、日常生活の足元で今後どのように実践され広がっていくかにかかっているのでしょうが、私は大会を終えた今、大きな手応えを感じています。城山小学校の平和祈念式に参加したグループは、子どもたちによる「平和の誓い」を聴きました。

「平和は日々の暮らしの中から」「私たち僕たちは、平和を創る努力をします」。子どもたちの声高らかな力強い宣言でした。あるグループのシェアリングのまとめには、『城山小学校の子どもたちによって、私たちは長崎の地に立たされました。「しようと思います」「願います」ではなく…』とあります。他のグループにも「誰かではなく、自分が…」や「何かを始めてみよう!」という声がたくさん記されています。「何もしなければ何も変わらないけれど、やってみると何かが始まる力が生まれる」とつくづく感じた大会でした。若い世代にはこのようなチャンスやメニューがたくさん必要だと思います。もちろん受け身ではなく、自らが探し、また創っていくものではありますが、周囲の理解と支え、見守りと祈りが必要です。今回の大会はまさにそのような中にあって開催され、終えることができました。感謝です。私たち九州のスタッフを含め、参加者それぞれが自分なりの意志、ことば、行動を持って「長崎から発つ」ことができたのではないかと感じています。

平和憲法は生きていますか。  ─2004年 沖縄週間プログラム─
司祭 ダビデ 上原榮正(沖縄教区三原聖ペテロ聖パウロ教会)

沖縄戦から住民が学んだことは「軍隊は住民を守らない」ということでした。平和なときは軍隊も災害復旧活動など民のために働きますが、戦時に行うことは軍命の遂行であって、命令の実行に邪魔になるときには住民も標的になります。

6月18日(金)─21日(月)まで、沖縄週間プログラムが今年も開催されました。昨年、イラクでアメリカ軍による一方的な戦争が行われ、暮れには自衛隊が派遣されました。言論の「自由」が保障されている現憲法の下でさえ、自衛隊員は派遣されることに対して自分の思いを世間に「自由」に語ることは出来ませんでした。派遣後は、憲法改憲が国会内外でも話題になっています。改憲改悪され自衛隊が軍隊となれば、戦争に出ていくのは若者たちです。子どもらが戦場に出ていくのを、「喜んで行きなさい」と声をかけるのでしょうか。戦争は、人殺しです。7月の参院選では国民年金問題と多国籍軍への自衛隊参加が問題となっていましたが、「戦争」の恐怖や「平和」の尊さについて何の論議もないまま、ただ「集団的自衛権」とか、今のままでは「自衛隊は軍隊でないから、他国に行くと武器も持てずに、自衛もできずかわいそう」だからなどの同情論から、改憲論議がなされていることに危険を感じます。戦後27年間米軍支配の下にあり、復帰の際もアメリカとの密約が交わされ米軍基地が固定化されている沖縄では、日本人の半数以上が改憲に賛成している平和憲法が一度も適用されたことはありません。憲法の精神は失われたままです。今年の沖縄週間の課題を「沖縄から見た憲法9条と生命」としました。

18日(金)には、憲法学者ダグラス・ラミス氏の「日本は本当に平和憲法を捨てるのですか?」というテーマで講演を聞きました。軍隊経験者のダグラス氏が語る戦争の愚かさと平和の尊さは、平和ぼけしている頭を少し覚ましてくれました。19日(土)には、イラクで戦争が起きてから活発に動いている米軍基地の実態に迫るために、平和ガイドの又吉京子姉の案内で基地めぐりをしました。2,3年前と今では基地の機能も危険度もはるかに増している実態を「見」て、「知る」ことになりました。3日目は、日基教団の平良修牧師より、「沖縄の祖国復帰運動は日本国に魅力を感じたのではなく、平和憲法ことに民主主義、基本的人権、平和というものへの復帰だった。だから憲法9条が無くなるなら、沖縄は独立を考えて良いのでは」、という動きや考えもあるのだろいうお話を伺いました。今、日本は平和だと大勢の人が思っています。でもイラクへの米軍の発進基地となっている沖縄は戦時体制下であって、いつ攻撃にあって戦場となってもおかしくありません。平和憲法があるという現在でも、「今、日本は戦時体制下」です。私には、軍隊を持って戦争が出来る普通の国になることが、聖書の教える神さまのご意志だとは思えないのです。…

2004年沖縄週間への参加教区は、東京、横浜、中部、京都、神戸、九州、沖縄の7教区。5日間の延参加者数は230名。)



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