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パレスチナの人々
管区事務所渉外主事 八幡眞也

今回訪問をした際に数人のパレスチナの人々と話す機会があり、その話と私が感じた事について説明したいと思います。

日曜日に聖餐式を共にしたナザレにあるChrist Churchの信徒の一家族は(残念ながら名前は訊けなかった)6歳・3歳くらいの子どもを含めた4人家族で、おばあちゃんも一緒でした。ナザレの町にはイスラエル人とパレスチナ人が共存して生活しているようです。このような環境の中でパレスチナ人がイスラエル人とどのように付き合っているのかということに、私は非常に興味があったので、この家族に思い切って聞いてみました。お互いに得意でない英語が唯一の共通語であり、意志を通じさせる事はかなり困難でしたが、解った事は彼らは一切イスラエル人と付き合う事はないようです。

礼拝の後、教会信徒の数人と訪問団メンバーが昼食を共にした際に信徒の一人とじっくり話が出来ました。言葉の支障が殆ど無く意志の疎通には困難はありませんでした。彼は手広く小売業をやっていて、父は宝石商で彼自身若い時しばらくの期間は父を助けて宝石の細工の作業を手伝っていたそうです。彼はおそらく商売の場でイスラエル人と付き合いが多々あるのでしょうが、イスラエル人で兄弟のような友人が沢山いると言っていました。

この二つの例から判断すると、同じパレスチナ人でも考え方や生活環境が異なり、イスラエル人との付き合い方に関しても、様々であるという事が解ったような気がします。但しパレスチナ自治区に居住しているパレスチナ人は、自治区から出て行く事がとても困難なので、基本的にイスラエル人との付き合いはないと思います。

エルサレムのSt. George's Guest Houseに滞在の際にパレスチナ人の家庭を訪問する機会に恵まれました。主教座聖堂で門番をしている2人のうちの1人、Georgeが自由時間の際に旧市街の案内をしてくれて、その後に彼の家に招かれたのです。息子4名と夫婦の6人家族で、エルサレム旧市街のなかのアパートに住んでいます。旧市街は石造りの壁に囲まれていて、その壁のすぐ内側が住居になっています。George自身は英語は殆ど使えないのですが、夫人がかなり理解してくれて、会話が出来ました。家の間取りは寝室二間、食道兼台所、風呂トイレで、夫婦の寝室が居間を兼ねていました。そこに招かれてどろっとしたアラビアコーヒーとクッキーをご馳走になりながら、家族構成などを聞かせてもらいました。大学生(困難と思われますがベツレヘムにある大学に就学中で、時間をかけて通学しています)を頭に4人兄弟で、この時はたまたま末っ子の高校生が私達が話をしていた同じ部屋で数学の勉強をしているところでした。4人の息子達は全員家族と住んでいて寝室一部屋を共有していました。恐らくパレスチナ人の典型的な家族ではないかと思われます。家族3人としか会わなかったものの、とても幸せそうな人達で、イスラエル人と対峙しているパレスチナ人とはかけ離れている印象を持ちました。

これらの限られたパレスチナ人との接点を通して、普通のパレスチナ人はイスラエル人と敵対しているのではなく、仲良く暮らしたいと考えているし、またそのように暮らしているのではないかと思われました。

2004年8月2日
日本聖公会 首座主教 ヤコブ 宇野 徹
日本聖公会 正義と平和委員会
8.15 平和アピール

主の平和が皆さんと共に

日本が戦争に敗れて59年目の8月15日を迎えようとしています。わたしたちは、主にある兄弟姉妹の皆さんとともに、この日を平和のために祈る日として共に守りたいと願っています。

イスラエルの民は、エジプトの奴隷の家から解放され、彼らは代々、この過越の出来事を記念してきました。主イエスは、新しい過越の小羊として十字架の死によってわたしたちを贖い、よみに打ち勝ち、復活されました。教会は、キリストが再び来られるまで、聖餐式によってこれを記念しています。歴史のある出来事を、特別に記念することは、教会の信仰の根幹です。

8月15日は、「戦争責任の宣言」を行った日本聖公会にとって特別に記念すべき日です。日本が鎖国を解き、近代国家の歩みを始めた時、聖公会も宣教を開始しました。そして日本が侵略戦争への道を歩み出したとき、教会はこれに協力し、ついに1945年の8月15日を迎えることになったのです。

8月15日は、古い日本の死であるとともに、新しい日本の出発の日です。そしてこの新しい日本の象徴こそ、日本国憲法にほかなりません。新しい日本が、政府に二度と戦争を起こさせないために、平和憲法を定め、これを守ることは、イスラエルの民が、二度と奴隷とならないために、神から十戒を与えられ、これを守ることに努めたことと比せられます。

戦後59年になります。現実に戦争を経験した世代が高齢化しています。戦争体験を風化させないために、平和の尊さを次の世代に語り伝えるために、日本聖公会は、さまざまなプログラムを実行してきました。先の戦争で唯一地上戦が行われ、今も米軍基地が集中している沖縄での沖縄週間プログラム、日本が植民地支配した韓国との交流プログラムなどです。今年は日韓両聖公会が正式に交流して20周年になり、10月には記念大会が開催されますし、10回目となる日韓青年交流プログラムは、8月に全州で行われます。また4年に一度開かれている全国青年大会は、今年、原爆が投下された長崎を会場に行われます。これらはすべて、日本聖公会が「平和の器」として、神の正義と平和のみ業に参与できる教会となるために行われるものです。

5月に開催された第55(定期)総会では、平和に関わる三つの決議(「小泉首相の靖国神社参拝に抗議し、要請書を送付する件」「自衛隊のイラクからの速やかな撤退を求める件」「憲法第9条の改憲に反対することを決議する件」)を行いました。このような決議を行わなければならない現実が、今の日本です。日の丸掲揚と君が代斉唱に起立しなかった東京都の教職員が処分を受けたことは、思想、良心の自由が侵害されている現実を象徴しています。有事関連法案もさしたる議論もなく成立し、国会の決議を経ることもなく自衛隊の多国籍軍参加が決定しました。次に憲法9条を改憲すれば、日本は、新しい日本から古い日本へと回帰することになります。それは再び戦争ができる国になるということです。

「平和をつくる人は幸い」と主は言われました。現実が戦争へと向かっている時に「平和」を訴えることは、とても困難なことであり、愚かな生き方であるように思えます。しかしその困難な道を歩む者に、そして愚かに生きる者に、主は幸いを約束されているのです。

8月15日に、先に戦争で犠牲となったすべての人びとを覚えて祈りましょう。その犠牲の上に作られた平和憲法を守る務めが、わたしたちにあることを自覚しましょう。戦争へと歩み出す政府の政策に反対しましょう。信仰者として、平和をつくる人の幸いに預かる者となりましょう。   在主



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