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 宣教154周年(1870‐2024)聖堂聖別104周年(1920‐2024)主教座聖堂指定74周年(1950‐2024)

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Kawaguchi Christ Church Cathedral

洗礼・堅信への道案内

洗礼・堅信

なぜ洗礼を受けるのでしょう?
洗礼を受けると、何かとりかえしのつかない領域に踏み込んでしまうように感じる方がおられるかもしれません。洗礼は、イエス・キリストを心に信じ、受け入れた人が、その信仰を神と人の前で公に現すものです。それは新しい出発点といえるでしょう。洗礼を受けても表面的には変わらないように見えます。けれども、洗礼を受けることは、神さまの豊かな恵みであり、神さまとともに人生を歩んでいく決心を揺るぎないものとします。
信仰なき歩みとは、区別されます。神のひとり子イエス・キリストが、ただひとつのかけがえのない「いのち」を私たちに与えてくださったのです。私たちの人生は、ただ一度きりです。イエスさまは、永遠の滅びから救い出してくださいます。あなたも恵みに招かれています。信じて、キリストと共に新しい命の人生を歩んでください。

洗礼の恵み
イエスさまご自身が洗礼を受けることによって、神に従う者としての模範をお示しになり(マタイ3:15)、また弟子たちを派遣するときに「洗礼を授けなさい」と言われました。(マタイ28:18)そして、イエスさまの教えと模範に従い、洗礼は使徒たちの働きのはじめとして、忠実に受け継がれてきました(使徒言行録2:41。)洗礼(水に浸るということ)は、罪が清められることを表していました。今までの古い自分(罪)が、キリストの十字架とともに葬られ、そして復活したキリストのように新しいいのちを生きることになります。私たちは、体の汚れを水で洗い流します。でも、心の汚れは自分では洗えません。イエス・キリストは、私たちの魂の汚れと罪を洗い清めてくださり、魂の救いを得させてくださったのです。

また洗礼はキリストの体(教会)につながることです。イエスが洗礼によって、新しい生活に入っていったように、イエスに出会った一人ひとりが父である神の愛を受けて、人々にもそれを伝えるために生きようという決意を表すしるしです。神の心である聖霊を受け、その愛の心を出会う一人ひとりに伝えていくことができるようになるのです。

私たちは、ひとつの教会で成長します。キリストは「かしら」、私たちはその「手足、器官」です。ともに神さまを見上げて、礼拝する中で信仰が育ってきます。神の子、イエス・キリストを信じる信仰によって、死ぬべき私たちは救われ、神さまからの永遠のいのちを与えられたのです。このことを信じて受け取るのなら、わたしたちも神さまの子どもとされます。

「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、ご自分の憐みによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに作り造りかえる洗いを通して実現したのです。」(テトス3:5)

こうして多くの人々が神さまと出会うようになりました。そして、後の時代の私たちもイエスと出会うことができるのです。


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日本聖公会 川口基督教会
大阪教区主教 アンデレ 磯 晴久
 牧師 司祭 ステパノ 柳 時京(ユ シギョン)
           

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