招宴 2014年5月号 牧師巻頭言から

 

根底に流れる教えを生きる


牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)


 四月に入って毎週のように葬儀がおこなわれました。お二人は立教女学院の卒業生です。同 級生の方々が携帯電話、パソコンを駆使して亡くなられた方の同級生や地域の知り合いに別れを呼びかけておられました。  亡くなられたお二人の卒業後の生き方はそれぞれ違っていました。同級生の皆さんにお人柄やなさっていたことを伺ってみると、お二人の根底には、立教女学院で学んだキリスト教の教えが地中を流れる伏流水のように流れていたようです。友人たちは亡くなった友人を美化するわけでもなく、それぞれいろんな挫折や困難もあった中で、人を大事にする生き方を優先させたと口々に語っておられました。それぞれの人生の中で音楽を生活の中心にされたり、手編み教室の講師をなさっておられました。

南相馬のひまわりの芽
南相馬のひまわりの種から芽が出ました。希望の大輪の花を咲かせてください。

 クリスチャン・スクールの卒業生たちは毎日行われる礼拝や聖書の授業のことを楽しい記憶ではなく、辛い修行のように感じている人が多いように思います。けれども人生の大半を過ごしてみると、クリスチャン・スクールでの生活は、それぞれの人生の中で本人も気づかない内に、キリスト教の教えが身についていたようです。  その中のお一人は死の間際にご家族の勧めもあり、病院での聖洗式となりました。ご本人が薄れゆく意識の中で洗礼を受ける決断をされたのです。
 四月下旬、病気と闘っておられたNさんが亡くなられました。教会の礼拝に出席されるNさんに「いかがですか」と申し上げるとご自身の病気を受け入れていたように「神様に委ねます」と。随分前にご自身で葬儀用の写真や辞世とも思える聖書の言葉を準備されておられました。正直、適わないなと実感させられています。神様は人の思いを超えた力を与えてくださり、人生を支えてくださるのだと思います。