2025年6月8日(日)〜14日(土)は、日本聖公会の「原発のない世界を求める週間」
日本聖公会は、脱原発・反核を大切な宣教課題と位置づけ様々な取り組みを続けてきました。
2020年の第65(定期)総会では、「地球環境のために祈る日* 」から始まる1週間を、
「原発のない世界を求める週間」とすることを決議しました。
原発問題プロジェクトでは、「核といのちは共存できない」ことを胸に刻み、毎年この週間にいろいろな企画を提供しています。
2025年の「原発のない世界を求める週間」は、講演会を企画しました。
ことに2025年は、原発問題プロジェクトを含む「日本聖公会 正義と平和委員会」の各プロジェクトが
「戦後80年〜神と人々と世界の声に耳を傾け、平和をつくりだそう!」を共通テーマとして、戦後80年を意識した取り組みをしました。
* 6月5日の国連「世界環境デー」の直近の主日
講演会の記録 「核なき世界へ〜被爆者の思い」
講師:家島昌志さん

1942年6月、広島生まれ。
1945年8月6日、3歳の時に被爆。
2008年から被爆者団体運動に参加。
- 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)代表理事
- 日本原水爆被害者団体協議会 代表理事
講演要旨
1. 「ノーベル平和賞」授賞経緯と式典模様
被団協は長年、世界に向けた核兵器廃絶を訴え活動を続けてきました。1985年に初めてノーベル平和賞にノミネートされた後も何度かノミネートされました。2017年、核兵器禁止条約の採択に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞。この時は、被団協も1300万の署名を集めてロビー活動するなど、核兵器禁止条約の採択に貢献しました。ICANが受賞後、核兵器廃絶運動団体の受賞はもうないだろうと評されていたので、昨年のノーベル平和賞は全く予期せぬことでした。
授賞式には、広島、長崎、首都圏の3地域の代表者が等しく重要であると交渉し、田中煕巳氏はじめ3名が代表として認められました。授賞式は厳重な警備体制ではありましたが、オスロ市庁舎での式典やグランドホテルでの晩餐会など、華やかな雰囲気に包まれました。授賞式会場の外では、1000人規模の松明行進が行われ、平和への願いが示されました。
2. 私の被爆体験
私は1942年に広島で生まれました。食糧不足で二人の姉は鳥取県の祖父母のところに預けられていました。広島は空襲警報が鳴っても空襲されたことはありませんでした。家は旧牛田村の爆心に近い方にありました。8月6日の朝、広島逓信局の屋上で監視役をしていた父は、7時半頃に空襲警報が解除されたため家に帰って仮眠をとっていました。そこに原子爆弾が落とされ、爆風で階段の上から下へ吹き飛ばされました。私は玄関の土間で遊んでいました。母は窓のある部屋で仕事、生後10か月の妹は、窓辺で日光浴のはずでしたが、その日は暑く、布団袋の裏側に寝かされていて助かりました。母にははりねずみのようにガラスが突き刺さり、近所の看護婦さんに救護を受けました。
その日に軍に入営するはずの親戚を心配した父が、広島城近くの練兵場に行くと、新兵隊は黒焦げになって横たわっていました。戻る途中、その妻である娘さんが大火傷をして道路に倒れていたので、大八車にむしろを敷いて連れ帰り、手当てをしました。
私は当時3歳だったので、セミとりをした微かな記憶や、原爆が落とされた日に向こうの山が燃えているのをかすかに覚えているだけです。後年、父から当時のことを聞きました。母は、二度と思い出したくないと、一切語りませんでした。その父は25年経って、鼻血が止まらず蓄膿症だといわれて鳥取大医学部の病院に入ると、半年もたたずに亡くなりました。癌でした。その時は、原爆の影響と思いませんでした。後になって被曝の影響はいつまでも残ることを知りました。私自身も72年経ってから、膀胱結石を2回患い、検査をしたところ副甲状腺に癌がみつかり、手術しました。長年の影響の蓄積で癌になったのだろうと思います。 原爆投下後、米国はABCC(原爆傷害調査委員会)を派遣し被爆者の健康調査を行い、今も日米共同出資による放射線影響研究所として調査も続けています。被爆2世も調査対象になっています。
3. 被爆者運動の歴史
日本政府には被害をうけた国民を救済する義務があります。国際的にはドイツでもイタリアでも、戦争被害を受けた一般市民は軍人と等しく救済対象です。日本は、国民は戦時中の被害を「受忍」すべきと、軍人の救済はするが一般市民への国家保障を拒否してきました。原爆被害者はそれに抗議し、国家保障をするよう要求してきました。原爆被害者を救済する法律は、現在「原爆被爆者に対する援護に関する法律」となっていますが、これは社会福祉的観点によるもので国家保障ではありません。 国家保障を求める運動は続いています。ノーベル平和賞授賞式のスピーチでも田中煕巳さんは日本政府が原爆被害者に対して一切の国家保障を行っていないと訴えました。
4. 運動を引き継ぐ人への期待
今世界には12000発の核弾頭があり、そのうち4000発はすぐにでも発射できる状態で向き合っています。次に核戦争がおきたら人類は破滅するでしょう。
原発は「平和利用」ということで被団協は賛成してきましたが、東日本大震災以降、反対に徹しています。東日本大震災後、世界で起きたマグニチュード6以上の地震1700回のうち、300回が日本で起きています。日本は地震の巣です。事故を起こした原発の処理は見通しもたたず、核廃棄物を地下に埋めて10万年も保管しておくことなどできません。危ないものを後世に託すのはとんでもないことです。原発も廃絶するしか道はありません。
被爆者はあと十年くらいでいなくなるでしょう。そうしたら、世界のみんなで考えていかなければなりません。皆さんも、皆さんの子ども達もふくめて、これを引き継いていかなければなりません。 唯一の戦争被爆国である日本は、世界から期待されているにもかかわらず、日本政府は核兵器禁止条約に署名せず、締約国会議へのオブザーバー参加もしません。国民の7割が核兵器禁止条約の批准に賛成しているのに、政府の行動が乖離しているのは残念で、歯痒い思いです。これは地道な運動です。核の廃絶を草の根運動として、世論で盛り上げていくことが必要です。被爆者の生きているうちに核廃絶は難しくても、この声は引き継いでいかなければならないと深く感じています。皆様のご協力もお願いしたいと思います。

