聖霊降臨後第17主日 2012年9月23日(日)

 

マルコによる福音書 9:30 - 37


30一行(いっこう)はそこを()って、ガリラヤを(とお)って()った。しかし、イエスは(ひと)()づかれるのを(この)まれなかった。 31それは弟子(でし)たちに、「(ひと)()は、人々(ひとびと)()()(わた)され、(ころ)される。 (ころ)されて三日(みっか)(のち)復活(ふっかつ)する」と()っておられたからである。 32弟子(でし)たちはこの言葉(ことば)()からなかったが、(こわ)くて(たず)ねられなかった。

 33一行(いっこう)はカファルナウムに()た。 (いえ)()いてから、イエスは弟子(でし)たちに、「途中(とちゅう)(なに)議論(ぎろん)していたのか」とお(たず)ねになった。 34(かれ)らは(だま)っていた。 途中(とちゅう)でだれがいちばん(えら)いかと議論(ぎろん)()っていたからである。 35イエスが(すわ)り、十二(にん)()()せて()われた。「いちばん(さき)になりたい(もの)は、すべての(ひと)(あと)になり、すべての(ひと)(つか)える(もの)になりなさい。」 36そして、一人(ひとり)子供(こども)()()って(かれ)らの()(なか)()たせ、()()げて()われた。 37「わたしの()のためにこのような子供(こども)一人(ひとり)()()れる(もの)は、わたしを()()れるのである。わたしを()()れる(もの)は、わたしではなくて、わたしをお(つか)わしになった(かた)()()れるのである。」

新共同訳聖書


牧師コーナー

教会の花:ムクゲ

今日の福音書は受難と復活の予告が弟子に対して行われます。「人の子は、人々の手に引き渡され」とありますが、引き渡したのがユダであれば裏切るという意味になりますが、神が「引き渡した」と読むと「イエスの死が『神が受け入れる死』である」と弟子たちに教えるためであると考えてよいのでしょう。

先週の福音では「自分の十字架を背負って従いなさい」と教えていますが、今週は更に「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と教えています。
子供を抱き上げて、子どもをイエス自身として抱き上げることはイエスを受け入れることだと教えます。すべての人の中で最も低く、最も小さな者であるイエスを受け入れるようにと教えています。信仰とは「神に私たちが受け入れられている」ということを私たちが受け入れることでもあります。受け入れるということを学びたいものです。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)


end of summer

牧師コーナー
  • 最新メッセージ
  • 2012年10月
  • 聖霊降臨後第22主日
  • 聖霊降臨後第21主日
  • 聖霊降臨後第20主日
  • 聖霊降臨後第19主日
  •   9月
  • 聖霊降臨後第18主日
  • 聖霊降臨後第17主日
  • 聖霊降臨後第16主日
  • 聖霊降臨後第15主日
  • 聖霊降臨後第14主日
  •   8月
  • 聖霊降臨後10-13主日
  •   7月
  • 聖霊降臨後第5-9主日
  •   6月
  • 聖霊降臨後第1-4主日
  •   5月
  • 聖霊降臨日
  • 復活節第5-7主日
  •   4月
  • 復活節第2-4主日

  • 招宴巻頭言
  • 招宴最新号
  • 2012年招宴巻頭言

  • 東日本大震災被災者支援
  • チャリティーコンサート