2012年6月10日(日)

喜びにあふれて

主教と前田司祭

  6月10日は、教区主教の巡回日で、昨年主教に就任された大畑喜道主教の2度目の当教会への巡杖でした。
この日は、聖マーガレット教会の6人の小学生と3人の青年たちが堅信を受けるということで、朝から教会中が喜びにあふれていました。礼拝には200人近くの方が出席され、この喜びの輪に加わり、教会はみ恵みに包まれました。堅信者や、そのご家族、教父母を囲んで「おめでとう」の言葉があちこちで交わされました。

堅信式の主教

大畑主教は、この日の説教で、「イエスさまの道を進んで行くことこそが喜びの道なのです」と語られた後、時にユーモアを交えながら、聖書日課のマルコによる福音書を説かれ、堅信者と彼らを支えていく教会の聖職・信徒、教友に「イエスさまに集められた喜びの群れとして、神さまのみ心にかなう生き方を互いに支えあいながら歩んで行きましょう」と、力強いメッセージを贈られました。

按手

堅信式は厳粛に進められ、次代を担う9人の少年少女・若者たちが2千年近く連綿と引き継がれている按手の恵みに与り、教会の家族に加えられました。
礼拝後に、主教様ご夫妻と、堅信者を囲んで愛餐会が開かれ、神さまのみ守りのうち、終始和やかな交わりの時がもたれました。

堅信者と主教

特祷と日課
主教説教(要約)
神の御心を行う人こそ、私の兄弟姉妹
(マルコによる福音書 3:33-35)

  

特祷と聖書日課

  この日のために準備されていたかのような特祷を、前田司祭が献げました。

特祷(とくとう)
全能(ぜんのう)(かみ)よ、どうかこの世界(せかい)がみ摂理(せつり)(もと)(やす)らかに(おさ)められ、(しゅ)公会(こうかい)がいつも(よろこ)びにあふれ、信頼(しんらい)(おだ)やかな(こころ)をもって、あなたに(つか)えることができますように、(しゅ)イエスキリストによってお(ねが)いいたします。

アーメン

聖書日課
創世記3.(1-7),8-21
コリントの信徒への手紙II 4.13-18
マルコによる福音書 3:20-35 (6月10日牧師コーナーに掲載)

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大畑主教説教(要約)

説教壇の主教

父と子と聖霊のみ名によってアーメン
  今日は9人の小学生・青年が堅信式を迎えられるということで、教会全体が喜びに満ち溢れていて、本当にうれしく思います。本日の特祷にもあったように、この世界がいつも喜びに溢れて信頼と穏やかな心をもって人々が神さまに仕えるような、そんな生き方ができるようにと、私たちは祈らざるをえません。堅信の恵みに与るみなさん、どうぞイエスさまの道を進んで行くことこそが喜びの道なのだということを、心に留めておいて下さい。
ガリラヤ伝道(イエスと弟子たち)
  本日の福音書にあるように、ガリラヤ伝道を開始し、悪霊を取り払ったイエスさまのもとに、悲しみや苦しみの中にいる人たちが押し寄せてきます。イエスさまはそれを拒まず、過酷な生活を強いられている人々の現実の内側に「私といっしょに喜びの道を貫きましょう」と言われて、自ら入って行かれます。それによって、苦しむ人々の内に神さまの愛という光が射してきたのです。聖書は神の国が到来したと表現します。イエスの弟子たちもまた、寝食を忘れて付従って行きます。だからこそ、彼らは神のみ業を目撃し、顕現して行くことになるのです。
喜びの道の内へ
  一方、イエスの言葉や、働きを、ただ批判的にしか見ない人たちもたくさんいました。身内の者もエルサレムから来た律法学者もそうでした。彼らは、イエスの働きの外側に立っていました。外に立っていたら私たちは喜びの道を進んで行くことはできないのです。
今日9人の若者たちが、外側から内へ入っていく決心をしようとしています。私たちもかつてそういう思いで、イエスさまと一緒の道を歩んで行く決心をしたのです。イエスさまは困難の中にある人たちと、ともに生きて行こうとされました。そのために、公衆の面前で律法に従わないようにも見える行いをしました。ですから、その活動はユダヤ人の主流派の人々には理解されず、多くの人たちから常識外れと思われました。
ある意味で、教会の活動は常識外れなのかもしれません。しかし、人々がいかに常識外れと思っても、私たちは皆で集まることで、イエスさまを信じる喜びの群れであることを確信します。それゆえ、私たちは生活の中でどんなことがあってもそれを乗り越えていくことが出来るのです。
家族として
  イエスは集まった人々に「私の母や、私の兄弟は、ここにいる神のみ心を行うその人たちなのだ」と言われます。今日9人の若者が堅信を受け、皆さんの家族の内に迎え入れられます。将来もしも、彼らが「聖職になりたい」と言ったら、「すばらしいからおやりなさい」といって押し出してほしいのです。教会は「聖職者が足りない、歳をとっている人たちが増えてこれから先どうなるかわかりません」と嘆くよりも、「あなたもキリストの道を進んでいくことによって、喜びの道を進んでいくことができます、人々が常識外れだと言っても、暗闇を乗り越えたその先には光がありますよ。そのことを伝えていくことができるような人になってくださいね」そのように彼らを押し出していく責任があるのだろうと思います。
み心にかなう生き方を支えあう一つの家族
  今日、イエスさまの道を進んで行く準備の種がまかれました。神さまは、その種に、恵みの雨を注ぎ、育み守ってくださいます。しかし、神さまのみ心を行うということは、たやすいことではありません。イエスさまはその人生の中でご受難を選ばれ、十字架の道を進まれました。み心にかなう生き方よりも、この世的な常識的な生き方をして行った方が楽だと私たちは悪魔に誘われ、ともすれば、そちらの方に傾斜してしまいそうです。解決できない出来事に押し潰されるようなこともあるかもしれません。そんな時、今日の福音書にあった、神さまのみ心を行うものこそ、私たちの兄弟姉妹なのだということを思い起こしてください。私たちは毎週教会に集まり、イエスさまの家族と喜びを分かちあうことができるのです。私たちを一つに集めようとイエスさまは必死に努力なされました。そして今も必死に努力されようとしておられます。イエスさまが、私たちを支えて下さることを信じ続け、支えあいながら歩んで行きましょう。
堅信式に向けて
  このあと、堅信式が行われます。9人の若者たちがこれからの日々、十字架の道、喜びの道を進み、たとえ人々から「常識外れだ」と言われても、聖霊に導かれてその道を歩み続けることできるように皆で祈りを献げていきたいと思います。

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聖書日課福音書から

33イエスは、「わたしの(はは)、わたしの兄弟(きょうだい)とはだれか」と(こた)え、34(まわ)りに(すわ)っている人々(ひとびと)見回(みまわ)して()われた。「()なさい。ここにわたしの(はは)、わたしの兄弟(きょうだい)がいる。 35(かみ)御心(みこころ)(おこな)(ひと)こそ、わたしの兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)、また(はは)なのだ。」

マルコによる福音書 3:33-35 (新共同訳聖書)

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聖マーガレット教会の地図は以下のリンク先にあります。
URL:http://www.nskk.org/tokyo/church/margaret.html