降臨節第2主日

降臨節第2主日 2022年12月4日

主教 アンデレ 磯 晴久

<特   祷>

慈しみ深い神よ、あなたは悔い改めを宣べ、救いの道を備えるため、預言者たちを遣わされました。その警告を心に留め、罪を捨てる恵みをわたしたちに与え、贖い主イエス・キリストの来臨を、喜びをもって迎えることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> 

        イザヤ書       11:1~9

        ローマの信徒への手紙 15:4~5

        マタイによる福音書  3:11

<メッセージ> 小さなこどもに導かれて

父と子と聖霊の御名によって アーメン

私たちは先主日より、降臨節・アドベントの歩みを開始しました。祭色は紫です。「紫」は悔い改めの色、自らのあり方を振り返り、喜びのクリスマスを迎える準備をする季節です。この紫の色について、ビショップ・カラーでもあるのですが、次のようなお話を聞いたことがあります。紫は、「待つ色」です。今は大変なのだけれど「いつか、きっとよくなる。希望の色だ」と言うのです。

 先日、ある教会で、「主教。紫のシャツですね。輝いてますね。」と言われて、「ありがとうございます」と申しました。(しかし、内心は、シャツは輝いていますが、わたし自身はどうかな? 年齢もあって、少しくすんできたかな・・・なんて思いました。)

 確かに、紫の季節は希望を持って待つ季節です。降臨節のことをカトリック教会では待降節といいます。先ほど拝読しましたパウロの言葉を借りますと、「これまでに書かれたことはすべて、私たちを教え導くものです。それで私たちは、聖書が与える忍耐と慰めによって、希望を持つことができるのです。」ローマ15:4~5 人生にはうまくいく時もありますし、そうでない時もあります。どんな時も、希望をもって待つことができたら、それはすばらしいことです。

 バブテスマのヨハネは、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と叫び、なかなか厳しく、激しい言葉をもって人々に語り掛けました。しかし、彼を支えていたのは、「私は、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼を授けているが、私の後から来る人は、私より力のある方で、私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。」、(マタイ3:11)とありますように、これからやってこられる真の救い主だったのです。バプテスマのヨハネも、「待ち望む人」だったのです。

 

 イザヤ書の11:1以下、エッサイの根から救い主が生まれると予言された後、子どもたちが出てきました。先日動物写真家岩合光昭さん「世界ネコ歩き」アイスランド、ヤギの小屋で、子猫や子ヤギが一緒になって昼寝している場面がありました。どうしようもないほど、かわいい。イザヤの預言では、かわいいもの同士ではありません。なんとオオカミが小羊と共にいる、ヒョウが子ヤギと共にいる、子牛と若獅子が一緒に食事をし、小さなこどもがそれを導くというのです。

 さらにお話は進みます。乳飲み子がコブラの穴に戯れ、幼児が毒蛇の巣に手を入れる。でも大丈夫なのです。神さまの山ではどこにおいても害を加え、滅ぼすものは何もない。水が海を覆うように、主を知ることが地を満たしているからです。絵本ような、ユートピアのような神の国の姿です。(大人が導くと独裁者になったり、利益ばっかり求めるようになったり、困ったものですね。)

小さなこどもが、最も無力な人が、何も持っていない人が安心して何にも害を加えられずに決して滅ぼされたり、傷つけられたりすることなく、猛獣も皆友だちのよう仲良く暮らしている。私は現実の世界を見る時、この聖書を読むと涙が出てきます。皆さん、そのようなことはありませんか。本当にこんな世界だったらいいのに。最近頂くお便りに、「小さないのちが守られる、そういう世界になりますように」ということばが、よく書かれています。みんなの祈りになっています。だから、わたしたちも「そんな日なんてくるもんか、来るはがない」と、思ってはいけません。もっとあこがれたいし、もっと祈りたい。

以前大阪におられて、今関東方面におられる姉妹が、子どもさんたちも手が離れたので、教会のこども食堂を手伝っておらえる。メールで時々ご報告を下さいます。時々やり取りをしています。私が「いい働きですね。リーダーとして、えらいですね。」と送ったら、「いいえ」とのお返事。「私たちをリードしているのはこどもたち、お母さんやお父さんなのですよ。背中を押されているかもしれません。」私はイザヤの先ほどの預言を思い出しました。小さいこどもたちが導いてくれている。こどもたちが主役。

私たちは忘れているかもしれない。私たちが何かをリードして働くのではなく、「仕える」「奉仕する」と言う姿勢を忘れているかもしれないと感じました。

日本社会は大変生きづらい世界になっています。私たちの周りに、生きづらさを感じて、苦悩しているひとがきっといます。たとえば、大阪教区中の教会に呼びかけて、たとえば皆さんの教会で子ども食堂や絵本の読み聞かせをやりませんか。やりたいのはやまやまですが、もう体が動きません。きっと、ご近所の有志が呼応してこられます。きっとおられます。生活に困窮している母子家庭、父子家庭の子どもたちが必ず、この近くにいます。お世話するのではないのです。小さい子どもに導いてもらうのです。こどもたちから希望を頂くのです。

そして、何よりもリーダーは主イエスです。

 今、アドベントです。主イエスの到来を、希望をもって待ち望みます。クリスマスの日、出会うのは赤ちゃんイエスです。希望は赤ちゃんイエスにあるのです。

 子どもたちに導かれるような、希望を貰えるような働きを教会でチャレンジしてみませんか。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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