顕現後第7主日(2022.2.20)

2022年2月20日 顕現後第7主日

▶ メッセージ原稿のPDFファイル

<特   祷>

神よ、あなたは、愛がなければどのような行いも益がなく、愛は平和とすべての徳のきずなであり、愛のない人は主の前では死人に等しい、と教えてくださいました。どうか聖霊を送り、この最もすぐれた賜物をわたしたちの心に注いでください。独りのみ子イエス・キリストによってお聞き下さい。アーメン

<聖   書>

創世記45:3-11、21-28

<メッセージ> 聖書は不思議な信仰の書

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

 神様の御許に凱旋されて9年になりますが、サムエル福田光宏司祭は、「聖書は超常識の書である。」ということをよく言っておられました。最初は、「そうかな」と思う程度で、あまりピンと来ていませんでしたが、最近、少し福田司祭の思いが理解できるようになってきました。

「超常識」とはまだ言えませんが、聖書は人の思いを遥かに超えた不思議な信仰の書です。私たちを上から下から、右から左から、斜めから、後ろから、思いもかけないところから、光を投げかけてくれる信仰の書です。聖書は、新しい翻訳が出版されたりしますが、中身は変わりません。しかし10代で読んだ時と、60代で読んだ時とで、感じることや読み方が違ってきます。こちらもいろいろと人生勉強をして、経験を積んできたので、読み方が変わるのですが、それよりも聖書のことばの深さ、広さ、高さ、大きさがただものではないからです。

たとえば、先ほど拝読した旧約聖書です。ヨセフ物語です。(創世記45:3以下)ヨセフのことばをお聞きください。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり,責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」

兄たちは言葉を失うくらいに驚きました。

ヨセフはヤコブの息子で、年寄り子でしたので、父から兄たちが嫉妬するぐらいかわいがられておりました。更に、ヨセフは変わった子でした。よく夢を見る子で、その内容が、また兄たちの怒りや嫉妬心に火をつけました。「畑でわたしが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、・・・兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」兄たちは、「お前が我々の王になるというのか。」と怒り出し、それが憎しみにまでなりました。ある日兄たちはヨセフを穴に放り込み、殺そうとします。

しかし、ヨセフは通りかかった商人たちに穴から引き上げられ、別の商人に売り飛ばされ、奴隷としてエジプトに連れて行かれてしまいます。

その後、ヨセフは波乱万丈の人生を歩み、数奇な運命を経て、なんとエジプトの王に次ぐ高官になります。そして大飢饉が世界を襲うのですが、ヨセフの夢解きと知恵により、エジプトでは大飢饉に耐えうる備えができています。

一方、飢えに苦しむヤコブは息子たちを、食物を求めてエジプトへ旅立たせます。まだまだ多事多難なのですが、兄たちとヨセフの再会の場面が、先ほどの聖句だったわけです。人生には、なぜこのような苦労や苦しみを負わなければならないのか、理不尽さに倒れそうになることが起こります。

しかし、ヨセフ物語は、時を経て「なぜ」という疑問が、解き明かされる時がやってくることを教えています。「今までの苦労はこの日のためであったのか」と、ヨセフの心の奥深くにあった「なぜ」が解き明かされます。ヨセフの背負わされた苦難は、父ヤコブをはじめ、兄弟姉妹たちに留まらず、世界中の人々を飢餓から救うためだったのです。ヨセフ物語は、私たちに人性いろいろなことがあるが、神さまを信じて「生きよ」と呼び掛けています。

私たちの常識でははかり知ることのできないことを、聖書は教えてくれます。「なぜ」と問うことの多い人生ですが、神さまを信じて、誠実に歩みましょう。

聖書は、人の思いを超えた不思議な信仰の書です。(主教アンデレ)

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

関連記事一覧

PAGE TOP