聖霊降臨後第8主日

<特   祷>

恵みと憐れみを賜るとき、殊に全能を現わされる神よ、豊かな慈しみをわたしたちに与え、あなたが約束されたものを目指して走り、ついに天の宝にあずかる者としてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> マタイ13:24~30、36~43

<メッセージ> 私たちの希望とは―神さまの寛容と忍耐の心―

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 今日、私たちは主イエスの口を通して、うれしいニュースを耳に致しました。「毒麦を、育つままにしておきなさい。」

主イエスの時代にも、悪を行う人、神さまの教えに背く人が沢山いたでしょう。そうした人を締め出してしまえとか、なぜ神さまはそういた人々を放置しておかれるのか、と言う声が社会の中にあったでしょう。

 私たちもこの世界に目を向けますと、自己中心、傲慢な心から来る悪が満ち満ちています。毎日のニュースには、争い、対立、殺人、盗み、汚職、人権侵害、暴力、差別が溢れています。神さまは、そのような状況をそのままにしておかれるのでしょうか。

 マタイ福音書に記されている「神の国のたとえ」を読みますと、刈り入れの時、神の国が実現する時には、神さまは毒麦の混じった畑だけれど、良い畑に変えてくださると約束してくださっています。今毒麦を全部抜こうとすると、良い麦まで、小さな良い麦まで一緒に抜いてしまうかもしれないと語ってくださっています。このことに希望をおいて、悪の満ち満ちる社会ですが、助け合って、励まし合って生きて行きましょう。

 私も長く生きて参りました。聖職の道だけではないでしょうが、自分を見つめる旅であったし、これからもそうなるのだろうと考えています。いろいろときれいごとも言うのですが、自分の中に毒麦があることを感じる旅でもありました。

 周りの方々に迷惑をかけて生きて来たのではないか。神さまや皆様に赦されて、生かされてきたなとつくづくと最近感じております。

 確かに、悪いものはないほうがいいのでしょう。しかし、私たちみんな毒麦をもっているのではないでしょうか。毒麦を全部抜いてしまえと言われると、きっと私も抜かれてしまうと思います。畑に何も残らないのではないでしょうか。

主イエスの前に、罪深い女(姦淫の女)が連れて来られて、人々はこうした女は律法では、石で打ち殺せと命じられているとして、主イエスにあなたはどうお考えかと詰め寄ります。(ヨハネ8章 参照)

すると、かがみこんで指で地面に何か書いておられた主イエスは、身を起こして、「あなたがたの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。すると、年長者から始まって、一人、また一人と立ち去って行き、主イエスと女だけとなります。そして、主イエスは、私はあなたを罪に定めないよ。だからこれからは罪を犯してはいけないよ。」と主イエスは赦しの宣言をされ、この女性を罪から解放されました。

 今の聖歌集にはないのですが、旧の聖歌集369番の歌詞にはこうありました。「1番 われ つみびとの かしら なれども 主は わがために いのちを捨てて つきぬ いのちを あたえ たまえり 4番 おもえば かかる つみびと われを さがし もとめて すくい たまいし 主の みめぐみは かぎり なき かな」と罪ある私たちと、それを包み込む神さまの大きな愛をうたう聖歌がありました。

 知恵の書12:13と16(旧約続編)では、神さまの心の大きさ、広さを賛美しています。「すべてに心を配る神は、あなた以外にはおられません。」「あなたの力は正義の源、あなたは万物を支配することによって、すべてをいとおしむ方となられる。」このみ言葉は、聖書の民イスラエル人の敵であるカナ人に対する神さまの寛容と、その理由を告げる箇所からとられたものです・神さまは、イスラエル人にとって、排斥され裁かれる異邦の民に対しても,慈しみと憐れみを示されるお方であると言うのです。

 私たちは、人間の目から見た狭い了見に落ちいらないように気をつけましょう。主イエスは、神の国のたとえを語りながら、神さまの寛容さ、忍耐を教えていかれます。神ささまは、毒麦であるからと言って、早急に抜いてしまうようなことはされません。主イエスは神さまの寛容さ、忍耐深さを教えてくださいます。

 私たちも早まって、自分自身や他者を裁いてはいけないと思います。私たちのうちにある毒麦を清めてくださいと祈りつつ歩みたいと思います。

 神さまの大きな寛容と忍耐の心を希望として、歩みましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々、世界の平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは世界の平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年の年、神さまの御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々

世界各地の災害(地震、洪水)犠牲者・被災者を憶えて。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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