主イエス命名の日

主イエス命名の日 1月1日 新年メッセージ

<特   祷>

全能の神よ、あなたはみ子に割礼を受けさせ、わたしたちの救いのしるしとして、イエスと名付けられました。どうかこのみ名によってみ民に力と平安を与え、その尊いみ名をすべての国に宣べ伝えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ルカ2:15~21

<メッセージ> その名はイエス

まず、テゼの賛美の歌を歌いましょう。「イエスさまが生まれる」です。

 イエスさまが生まれる イエスさまが生まれる

 この くらやみ を  照らすひかり

 イエスさまが生まれる イエスさまが生まれる

 この くらやみ を  照らすいのち

 イエスさまが生まれる イエスさまが生まれる

 この くらやみ を  照らすことば

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 本日1月1日新年礼拝の画像とメッセージは、大阪教区ホームページに掲載されると共に、ブラジル聖公会サンパウロ教区をはじめ他の日系人教会の皆さまに届けられます。ブラジル聖公会日系人会衆の皆さまも日本でご覧の皆さまも、地球の反対側の兄弟姉妹とつながっていることを憶えてくださると幸いです。ブラジル聖公会日系人教会は、今年2023年宣教100周年をお迎えになります。心よりお祝い申し上げます。日系の皆さまのことばに言い割らせないようなご苦労と、日本から宣教師として渡り、伝道・宣教の業に励まれた諸先輩の方の情熱とご苦労に心から敬意を表します。

 

 さて、新年のご挨拶をしましょう。明けましておめでとうございます。ポルトガル語では、Felis Ano Novo フェリス アーノ ノーヴォ!(発音はお許しください。)Happy New Year! 皆様、どのような思いで新年をお迎えでしょうか。新しい希望に胸ふくらませて新しい年をお迎えの方もあるでしょう。しかし一方では、新型コロナウイルスの感染拡大、ロシアによるウクライナ侵攻、アフリカ・アジアでの戦争・紛争、気候変動による信じられないような災害、飢餓、インフレーションによる経済危機などの様々な影響を受けて、不安や恐れ、孤独の中でお過ごしの方もあるかと思います。闇の中に輝く光として来られた主イエスが、共にいて深い慰めと平安、希望をお与えくださいますように、お祈り致します。

 今年の元旦1月1日は日曜日・主日です。聖公会の暦では、「主イエス命名の日」という祝日です。ルカによる福音書2章21節「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、体内に宿る前に天使から示された名である。」とあります。ユダヤ教の習慣では、男の子が誕生すると、8日目に「割礼」という儀式を受け、その日に名前が付けられたそうです。主イエスもその習慣に従い割礼を受けられ、そして「イエス」と名付けられました。

 「イエス」と言う名は、ヘブライ語の「ヨシュア」、旧約聖書のヨシュア記のヨシュアが、ギリシャ語化した名前で、「神さまは救いなり」という意味をもっています。「名は体を表す」という諺(ことわざ)があります。名前はそのものの中身、本質を表わしているというのです。人の名前は、単なる記号ではありません。私たちが名前を呼び合う時、その人の人格、中身、性格、顔や姿、生き様、その人の人生すべてが込められています。すべてが大切にされています。私たちの日常において名前は大切です。

 特に、聖書では、「名」は大切なものとされています。

 出エジプト記3:13、神さまからモーセが、奴隷となっているイスラエルの民を救出せよと召し出しを受けたとき、モーセは神さまに名を尋ねます。その直前に神さまはモーセに、「わたしは必ずあなたと共にいる」と誓われています。しかし、モーセは神さまの名を尋ねます。そこには、当時、「名を知る」特に神さまの「名を知る」というのは、その方の力を頂くという信仰があったのです。

 神さまは「わたしはある」と言われます。「ある」過去から現在、未来にわたって存在し続ける者であると言う意味です。「あなたと共にいる」ずーっと共に

いて、力をお与えくださるということが強調されています。

 今私たちは、「イエス」と言うお名前を知りました。主イエスがこの私と共にいて、力を貸してくださることが約束されました。「イエス」というお名前がわたしたちの力の源なのです。

 もう一つ、私たちは常に、神さまにお祈りをささげています。そのお祈りの最後には、先ほどの特祷でも「主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン」とお祈りしました。私たちの祈りは、つねに主イエス・キリストの名によってささげられます。なぜそのようなお祈りをするのか。

ヨハネによる福音書16:23以下をお聴きください。「はっきり言っておく。あなたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」私たちがイエスのみ名によって祈る、願うことは、そのようにお祈りしなさいという主イエスご自身の教えなのです。(参照 ヨハネ14:13・14、ヨハネ15:16)

 私たちは祈る時、主イエスも共にいて、祈って下さっているのです。どう祈りが聞かれるかは、私たちの思いを超えたものです。私たちの思いを超えたよき道が開かれるのです。

 

祈りといえば、人は手を合わせます。どの宗教でも手を合わせます。

 ルネッサンスの巨匠アルブレヒト・デューラー作と言われる「祈りの手」という絵をご存知でしょうか。若き頃、大変貧しかったデューラーにはハンスという親友がおりました。彼もまた貧しい画家志望の若者でした。親友ハンスはデューラーが画家としての修養を続けることを願い、それを支援することを申し出ます。自分は後でいい。ハンスは鉄工所でハンマーを振るって働き続け、デューラーを支え、遂にデューラーは賞を取る画家になっていきます。ところがハンスは、ハンマーをたたき続けたため、手と手が合わさらないほど変形し、もう絵筆を握ることができなくなっていました。感謝したデューラーは「祈りの手」と言う有名な絵を書きます。デューラーは友の祈りの内に一流の画家となりました。

「祈りの手」
wikipediaより

 私たちはどうでしょうか。いろいろつらいことも抱えておられるでしょう。しかし、今生きてここにおります。きっと多くの人の祈りに支えられ今、生かされているのではないでしょうか。一番土台には、主イエスが十字架にクギ打ち付けられた手を合わせて私たちのために祈ってくださっています。

 私たち、新しい年を迎えました。世界を見渡すと闇を感じます。私たちに与えられています主イエスの御名を呼びつつ、主イエスが共にいて下さることを信じて、希望をもって祈りましょう。

 日本とブラジルで、兄弟姉妹が主イエスを通してつながっていることを憶え、

祈りい合いつつ歩んで参りましょう。

全能の神よ、主イエスの御名によってわたしたちを清め、私の心の闇とこの世界の闇を照らしてください。アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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