顕現後第3主日

<特   祷>

限りなくいます全能の神、天においても地においても万物を支配しておられる主よ、どうか慈しみをもって主の民の願いを聞き入れ、主による平安をこの時代にお与えください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> マタイ4:12~23

<メッセージ> 死の陰の地に住む人に光が射し込む

父と子と聖霊の御名によって アーメン

まずテゼの賛美を歌いましょう。

わたしたちが くらやみに とどまることのないように 

キリストは ひかりとして よにこられた

先日1月17日は、阪神淡路大震災から28年目に当たりました。新型コロナウイルス感染症の影響で、慰霊祭は縮小されたり、開催が見送られたりして参りました。今年は久しぶりに被災地で開催されました。

神戸三宮の東遊園地での慰霊祭で、Uさんが被災者遺族として追悼文を読まれました。Uさんは、当時20歳の大学生だった娘さんを、震災で失いました。

 冒頭、「まだ、28年前の出来事です。」と語り始められました。私などは、つい「もう28年か」と言ってしまいます。大切な方を亡くされた方にとっては、「まだ、28年」なのです。私たちは、「まだ、28年」と言う声に寄り添いたいと思いました。

Uさんの追悼文です。<まだ28年前の出来事です。6434人という多くの死がありました。娘は成人の日に「一歩一歩を大切に生きていきたい」と決意を語っていました。しかし、親に一言も言わずに、突然、一歩も歩まずに遠くて行ってしまいました。> 震災当日、Uさんは娘の下宿に駆け付けます。そこで,我が子と友人の遺体を発見します。その後、毎日ガレキとなった下宿を尋ね、彼女の遺品を探します。「泳ぎたかった魚」という娘さんが創作し、描いた絵本を見つけます。空を飛びたかった「鯉のぼり」のお話と絵です。鯉のぼりと娘が重なって見えて、「生きたかったなあ、空を飛びたかったなあ」娘のことを思ったそうです。娘のことを思うと、真っ暗闇の中にいるようで、心がつぶれてしまいそうだった。ある時、この絵本を印刷して、みんなに見てもらおうと思いました。

この絵本を、何冊か印刷して、娘の友人や自分の知人に渡し、そこで娘のことを話し合う中で、悲しみが消えるわけではありませんが、心に光が差し込んでくる、生きる力をもらう経験をされたそうです。「生きてこそ」ということで、震災体験の語り部として、こどもたちに「いのちの大切さ」を伝える働きを続けておられるということでした。

また、女優の竹下恵子さんは、ずっと被災された方の書かれた詩の朗読会をしてこられました。今年も詩の朗読会をされたことが、テレビで放映されていました。「鼓動」という一人の少年の詩を朗読されていました。次のような内容の詩です。<お母さん、何度も叫んだのに。僕の上に覆い被さっているお母さんは動かなかった。あの時、お母さんの鼓動は、途中からそっと僕の鼓動に重なった。僕は一人じゃない。これからもずっと一人じゃないんだ。>

地震が起こり、お母さんはとっさに隣に眠っている息子を守るために覆い被さったので。その上に梁か何かが落ちてきて、お母さんは亡くなり、息子は助かったのです。この子の思いはどうだったでしょうか。

どうして自分が生き残ったのか。自分を責める気持ちになったりしたでしょう。お母さんを失った悲しみはどんなに深かったでしょうか。この少年はある時、お母さんの心臓の鼓動が、僕の心臓の鼓動と重なったんだ。そして、僕の中にお母さんは生きていると言うことに気づいたのでしょう。大切な人は永遠に僕の心の中に生きているということに気づいたのです。

深い悲しみは、決して消えることはありませんが、暗闇の中に光を見いだして歩んでおられる方々がおられます。

さて、今日の福音に耳を傾けましょう。マタイによる福音書4章12節以下です。「ヨハネが捕らえられたと聞き」で始まります。洗礼者ヨハネがヘロデ王によって牢獄に繋がれた。人々に神への道に戻るように、正義の道を歩むように、悔い改めを求めたヨハネ。群衆からも指示されているヨハネが捕まった。暗い時代を予感させる書き出しです。主イエスは、一度故郷ガリラヤへ退かれますが、そこからガリラヤ湖畔カファルナウムにお住まいになりました。

このことはイザヤ書8~9章の預言が実現したことであったとマタイ福音書は証言します。暗闇に光が射し込んできます。主イエスの救いの出来事が始まろうとしています。

マタイ4:17その時から主イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣教活動を開始されました。「悔い改める。」釜ヶ崎の本田神父さんは、悔い改めとは、180度の方向転換だと言われました。悪人や罪人であることを改めて、善人になりなさいということではありません。私の中に罪への傾き、自分中心な思い、欠け多き者であることは無くなりはしません。「悔い改め」というのはそういう私をしっかりと受けとめ、そういう者をも救ってくださる天の父・主イエスに目を向け、心を開くことです。(Ⅰコリント1:17 罪を赦すキリストの十字架をむなしいものにしない生き方)

欠け多き私を救うために、神さまの大きな愛の心から、「神の国が始まったよ」という光が射し込み始めているのです。天の国が始まったこと、主イエスの救いの光が射し込み始めたことを喜ぼうというマタイ福音書は語り掛けています。

詩編146:5「主に希望をかける人は幸い」とあります。主イエスという光を用意くださる神様に希望をかける人の幸いが謳われています。

聖歌の2番「長い夜にも 朝は訪れる 光とともに 朝は訪れると」とあります。」朝はすべての人に訪れます。すべての人に主イエスの光が射し込んでいます。主イエスの光が輝き始めていると言う希望を、皆様決して忘れないでください。私たちのために、十字架の上で命を投げ出された主イエスの心臓の鼓動は、皆様の振動の鼓動と重なっています。あなたの内に主イエスは共におられます。

新しい1週間が始まります。いろいろあると思います。闇に襲われること、落ち込むこと、自分の力の無さにがっかりすること。しかし主イエスの光は輝き始めている、その点は、そこだけは目をそらさないで、歩みましょう。

主イエスの光は、今ここに輝き始めました。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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