顕現後第5主日

<詩   編> 27:1

<特   祷>

主よ、あなたに呼び求める民を慈しみ、その祈りをお受けください。どうか行うべきことを悟る知恵と、それを忠実に成し遂げる恵みと力をお与えください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> Ⅰコリント2:1~5

マタイによる福音書 5:13~20

<メッセージ> あなたがたは地の塩、世の光である。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 本日の福音も先主日に引き続き、山上の説教からのみ言葉であります。「地の塩。世の光」という有名な箇所です。「地」と「世」は、人間と神さまが創造された被造物の全体を意味しています。「さいわいなるかな」で始まった主イエスのメッセージ(山上の説教)は、全世界に向かって発信されることを神さまは願っておられます。「あなたがた」、つまり弟子たちは、この主イエスのメッセージを全世界に伝えるために召されています。呼び出されています。

「塩」は、小さく控えめな存在です。料理に入れたら、すぐ見えなくなってしまいます。しかし大きな力をもっています。食べ物に味を与えるだけではありません。魚や肉を新鮮に保ちます。また人間も水もそうですが、塩もないと生きていけません。高血圧とか悪者にされますが、なくてはならない存在です。主イエスは十字架上に命を投げ出すことによって、塩のように見えなくなって、しかし人々を救われます。この塩は主イエスの十字架の愛、私たちに向けられている大きな愛のことです。弟子たちはこの主の愛を伝えるために召し出されています。

主イエスは、まことの「光」としてこの世に来られました。「光」は、暗闇の中で苦しむ人々に希望をもたらす光です。弟子たちを通して、主イエスの光が垣間見えるのであれば、弟子たちは主イエスの光を証しする証人、あかしびとです。

ここで見つめたいことがあります。主イエスのことばです。「あなたがたは地の塩である。」「あなたがたは世のひかりである。」「地の塩になりなさい。」ではないのです。「世の光になりなさい。」ではないのです。弟子たちは、もう地の塩であり、世の光なのです。もっと言うと、あなたがたというのは、皆さんお一人おひとりのことでもあります。皆さんもすでに、この地に、この世に存在していることがすでに、この地上のために存在している「地の塩」「世の光」なのです。

「あなたがたは地の塩である。」 「あなたがたは世のひかりである。」

しかし世の荒波の中で、塩が塩味を失なったり、光が升の舌に置かれて見えなくなったりすることがあります。

聖歌509番の詩をお聴きください。

  • あなたは岸辺で 力のないわたしに

したがえと 招かれる

(おりかえし)

イェスはわたしを見つめ わたしの名をよばれる

小舟をおりて あなたとともに歩みだそう

  • あなたに知られた 漁師の舟の中は

宝なく 網ひとつ

(おりかえし)

  • あなたは求める ひたすら仕える手を

疲れ果て 悩む人に

(おりかえし)

どうしても力の出ないこともあります。力不足を感じることもあります。

しかし、主イエスは力ない手を大切にされます。それは神さまの栄光が現れ

るためです。

では、どうしたら、塩味を利かすことができるでしょうか。どうしたら、灯を台の上に置くことができるようになるのでしょうか。光を輝かすことができるのでしょうか。 Ⅰコリント2:3「そちらに行ったとき、私は衰弱していて、恐れに捕われ、ひどく不安でした。」あのパウロでさえも、こんなに弱気で体も弱っている時があったのです。しかし、「あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」時、主イエスの福音がコリントの人々の心に響いたのです。パウロが衰弱して弱っていたのに、彼のことばは、塩気を利かすことができたのです。それは、主イエスの十字架、主イエスの大きな愛の光を仰ぎ見、その光に照らされていたからです。

詩編27:1「主はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれをも恐れない」

光は主にあるのです。主の光に照らされて、私たちは光ることができるのです。

伝える私たちが弱くとも、主の光は、主の愛に照らされて、私たちは「地の塩」「世の光」として歩むことができるのです。

月が太陽の光を反射して、輝くように、主の愛を、主の光を仰ぎ見て、この地に、この世に、主イエスの光を反射しながら歩みましょう。

 父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

<日本聖公会大阪教区 教区成立100周年の祈り>

信頼と一致、真理の源である神よ、あなたはわたしたちをみ子の十字架と復活、そして聖霊の降臨によって遣わされた使徒たちからの唯一の聖なる公会に召し、あなたに仕えさせてくださいました。どうか教区成立100周年を迎える日本聖公会大阪教区と大阪教区に連なるすべての人たちに聖霊を注ぎ、この100年の感謝を分かち合い、主を喜びとし、主のみ言葉に聴き、主の福音を分かち合う器として、ますます謙遜な心で歩み続けることができますように、わたしたちを豊かに用いてください。み子イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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