復活節第5主日

<特   祷>

全能の神よ、あなたをまことに知ることは、永遠の命に至る道です。どうかわたしたちが、み子イエス・キリストは道であり、真理であり、命であることを深く知ってみ跡に従い、永遠の命に至る道を絶えず進むことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ヨハネ14:1~14

<メッセージ> 主イエスは、私の道である

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 主イエスはご自分のことを、「わたしは何々である」とご自身を何かにたとえて説明されることが度々ありました

「わたしは命のパンである。」ヨハネ6:35・48・51

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」ヨハネ15:1・5

先主日の福音書では、10:7以下「わたしは羊の門である。」「わたしは門である。」と言われました。主イエスは、私たちにイエスという門をくくりなさい、そうするならば、あなたは命を受ける、しかも豊かに受けると語り掛けてくださいました。今日の福音書では。14:6「わたしは道である。」と私たちに語り

かけてくださっています。主イエスの道とは、どのような道でしょうか。

 今日の福音は、エルサレムで主イエスを十字架の死が待っていることと、13:36以下ペトロの離反の予告を受けて、動揺したであろうペトロや弟子たちを励ます主イエスの言葉で始まります。「心を騒がせるな。神を信じ、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。行ってあなたがたのために場所を用意する。そしてあなたがたをわたしのもとに迎える。わたしのいるところに、あなたがたもいることになる。」そして、トマスの問いかけが、「わたしは道である。」という有名な聖句を引き出すことになります。

 主イエスが十字架上に命を投げだれた後、弟子たちは自分の足で歩み出さなければなりません。その道では、いろいろな苦労や苦難が予想されるわけです。主イエスは弟子たちに、「あなたがたには居場所がある。」と言われる。父の家・神の国に居場所が用意されています。弟子たち、そして私たちは、まことの故郷である神の国に向かって旅する旅人です。まことの故郷には、弟子たち・私たちの居場所が用意されています。それだけではありません。人生の旅路を歩む弟子たち・私たちには、共に歩んで下さる主イエスの内に、私たちの居場所があるのです。

イザヤ書49:15:16に「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」とあります。主イエスの手のひら、掌に私たちの名前が刻まれているのです。

先日来、教区のいくつかの教会を会場に、「語り場」という集まりが開かれています。教区・教会のこれからについては話し合われています。その中で、教会が私にとってどういう場所かということについて話し合われた時、何人かの方が、「私の居場所」と言われた。教会が居場所、うれしいなと思いました。

先日、私の関係する学校で、何年かぶりに教職員の歓送迎会をしました。コロナ禍でできなかったわけです。思い切ってやりましょう。それも教会の集会室をお借りして。とてもよかった。一緒にご飯を食べる、同じ釜の飯を食うということはとてもいいことだと思いました。一体感とか、コロナ禍、顔と顔を合わせて、お話したことのなかった人が何人もいた。つながりを造り出す時となりました。

居場所としての教会を、取り戻す時が近づいています。

人が生きていくというのは、なかなか大変なことです。学校の現場でも、レジリエンスということがよく言われる。元気な心、しなやかの心、へこたれない心をどうしたら育てることができるか。人には倒れても、起き上がる力がある。

居場所が必要なのです。ここにいていいんだよと受け止めてくれる場所、安心しておれる場所、時には、背中を押したり、・・・・・ご飯を食べさせてくれたり・・・・・。家庭、家族、地域、学校、友人関係がそうした役割を果たしてくれるといいのですが、現実はなかなか難しいようです。本日の福音から、主イエスの中に私たちの居場所がある。居場所を用意くださっているのです。

主イエスに励まされながら、弟子たちは主イエスの道を歩み出します。それは人々を命へと導く道であります。居場所ということで、先日、教会の働きのヒントになる富士宮市の取り組みがニュースで紹介されていました。それは認知症の一人の男性の呼びかけから始まった取り組みでした。この男性は会社の営業マンとしてバリバリ働いておられたのですが、若年性認知症となり退職せざるを得なくなります。その後男性は市役所に赴き、認知症になったからと言って何にもできなくなるわけではない。何かできることがある。認知症の人に居場所をと呼び掛け、それに市役所や他人事ではないと周りの人々が動き出したのです。当事者と共に歩む中から、卓球サークル、ソフトボールサークル、登山サークル、カフェ、大正琴やギターはじめとする音楽仲間が出来上がっていったそうです。

認知症になられてもできることがあるのです。安心しておられる居場所があればです。もちろん啓発活動や医療者による指導や支援の輪も広がっているそうです。私たちも。こうしたことを参考に、人々の命の花を咲かそうとする主イエスの命の道を歩んで行きましょう。

父と子と聖霊の聖名によって アーメン

<ウクライナとロシアの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。

平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年のため

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている多くの人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争や災害に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々、石川・珠洲市を中心とした地震被災者を憶えて。

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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