聖霊降臨後第20主日

<特   祷>

全能の神よ、み子イエス・キリストは、小さい者のために行うことはわたしのために行うことになる、と教えられました。すべての人の僕となり、わたしたちのために命を捨て、死なれたみ子のように、わたしたちにも隣り人の僕となる心をお与えください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願い致します。アーメン

<聖   書> 詩編84:1~8

<メッセージ> 嘆きの谷を通る時も

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 今日は詩編84編を通して、神様に、主イエスに思いを向けたいと存じます。

 新共同訳聖書をお持ちの方は、旧約聖書921頁をお開けください。1節に「指揮者によって、ギティトに合わせて、コラの子の詩。賛歌」とあります。ユダヤ教の礼拝の中では、詩編を歌われていたのです。ギティトに合わせて。でも残念ながら、ギティトがどんな意味で(一説には、ガドというヘブライ語がぶどうの酒ぶねの意味で、それと関係づけて「ぶどう搾りの歌」と言われている。)、どんなメロディだったかはわからない。「コラの子」というのは、詩編を歌う詠唱者集団(歴代上6:22ほか)賛美集団、また神殿の門を守ること(門衛・警備)や供え物の調理も担当した集団のことです。

 詩編には、この詩編はこうこうこういう詩編だと呼び名のついている詩編があります。

 詩編23編「主はわたしの牧者、わたしには何の欠けることもない。」

最も人気のある詩編

 詩編103編「わたしの魂よ、主をたたえよ」最も喜びに満ちあふれた詩編

 詩編119編「いかに幸いなことでしょう」

深い人生経験から生まれた詩編 大変長編

 詩編51篇「神よ、わたしを憐れんでください」最も悲痛な魂の叫びの詩編

 では、この詩編84編は何と呼ばれているでしょうか。

感性や表現が豊かで最も美しい詩編の一つと言われています。

  1. 主の家に住む幸い 1~5

 作者は、「あなたのいますところ」(主の住まい)「主の庭」に対する切実な思いを寄せています。魂が絶え入りそうなほど尋常ではない思慕、恋い慕う心となって、万軍の主、命の神に向かっての身も心もという体全体からほとばしる叫びとなっています。

 先日キリスト教学校教育同盟の関西中高研究集会があり、内田樹先生の講演を聞きました。先生はフンランス文学・思想・哲学の研究家であり、合気道師範、居合いをなさったり、武道論、教育論、映画論など幅広い著書を記しておられる方です。新聞雑誌などでもご発言なさっています。

 ご講演の中で、まずキリスト教主義学校で感じた喜びについて話されました。

先生は東大卒、東京都立大大学院,助手をされ、神戸女学院大で助教授・教授として31年間働かれました。国立・公立からキリスト教主義学校へ移って、とても感動したことがあった。内田先生はキリスト者ではない。感動したのは礼拝だった。礼拝では、出席者は歓迎され(ようこそ女学院へ)、存在が承認され、ここにあなたの居場所があると言って頂き、礼拝の終わりには祝福までしてくださる。国立・公立では、そんなことはなかった。それどころか、フランス文学なんて、メシ食ってはいけないから、早く方向転換してサラリーマンにでもなったほうがいいよ、早くここから出ていったほうがいいアドヴァイスされた。

しかし、キリスト教主義学校では、礼拝に感動した。「歓迎、承認、居場所、祝福」こうしたことが学校には、こどもたちには、大人にも必要なのですとまず話されました。私はお話を聞きながら、それは教会でも同じことが起こっていると感じました。

 私たちは礼拝で、いつも神様から歓迎(ようこそ、よく来たね)、承認(神さまから愛されていることを知る)、居場所(ここはあなたの家、家族、兄弟姉妹がいる)がここにあること、祝福のことばを頂いています。ただ、私たちは、いつのまにか慣れっこになり、感動しなくなります。一方、この詩編の作者のように、礼拝できる喜びを渇望することも忘れてしまいます。

 形式的、習慣的にならないように、礼拝がイキイキ、わくわくなるように祈り求めていかなければなりません。

2、嘆きの谷を通る時も 6~8

 神さまによって勇気を出し、心に広い道を見ている人の幸いが賛美されています。「あなたによって勇気を出し」というのは、その人の力は神様の中にある、自分の力により頼んでいるのではなく、神様の力により頼んで歩んでいる人のことです。「心に広い道を見ている人」とは、その人の心の中に大路があること、この大路とは、「私は道であり・・・・」、と言われた主イエスの道を歩もうとする人のことです。

人生には、「嘆きの谷」というのはつきものです。「涸れた谷」とも訳せる言葉が使われています。最初に「コラ」についてお話をしました。

もう一編「コラの子」が読んだ詩編があります。詩編42編です。

「涸れた谷にシカが水を求めるように 神よ、わたしたちの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は乾く。いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。夜も昼も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う。『お前の神はどこにいる。』と」

コラの子の身の上に、何か起こったのです。彼らは居場所を失う経験をしたのです。居場所を失い、糧は涙ばかりという経験をしたのです。「嘆きの谷」を歩む大変つらい経験をしたのです。

しかし神さまによって勇気を出し、神さまの力により頼み、神さまの道を私の道として歩む人は、嘆きの谷、涸れた谷も泉とすることができる経験を、コラの子らはしたのです。そのことが詩編84編で読まれています。

私たちも「嘆きの谷を泉とする」という神さまの約束を信じて歩んでいきたい。神さまのみ力により頼み、主イエスの道を私の道として歩みましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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