聖霊降臨後第17主日

<特   祷>

主よ、主の家族である教会を、絶えることのない恵みのうちにお守りください。どうか主の守りによってすべての災いを免れ、良い行いをもって熱心に主に仕え、み名の栄光を現すことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ル カ 17:5~10

<メッセージ> からし種1粒ほどの信仰とは

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

私は、7月から8月にかけて、体調を崩してしまいました。そのことを伝え聞いた友人から「安静、反省、自省ですよ。」とメールを頂き、少し自分を振り返る機会となりました。また、ある同労の司祭さんからは、「主教さんは,ワクワクしながら仕事しておられますか。」と尋ねられました。そういえば、最近ワクワクしていなかったことに気づきました。「安静、反省、自省や!」と、自らを振り返ったところ、なぜワクワクしていなかったのかがわかったのです。自分ばかりを見ていたのです。自分の力に頼ってもがいていたのではと反省しました。信者さんたちがおられ、同労の教役者がいて、何より主イエスさんがおられるではないか。ワクワクさせるものは、人と人、人と生きとし生けるもの、人と自然、人と神さま・・・間(あいだ)に生じると言うことに気づかされたのです。

 

 さて、本日の福音は弟子たちの懇願から始まっています。彼らはより深い信仰を持つ必要を感じています。「わたしたちの信仰を増してください。」

 今日の福音の少し前をご覧ください。弟子たちは主イエスから次のように言われます。「つまずきは避けられない。だがそれをもたらす者は、災いである。」

 「あなたがたも気をつけなさい。もしきょうだいが罪を犯したらなら戒めなさい。そして悔い改めれば、赦してやりなさい。1日に7回あなたに対して罪を犯しても、7回あなたの方を向いて、『悔い改めます』というなら、赦してやりなさい。」主イエスから、人々のつまずきとならないようにということと、深い赦しの心持つように言われた弟子たちは、自分たちの小ささに、大いに不安となり、自信がなくなって、より深い信仰を持つ必要を感じたのではないでしょうか。つまずきとならないように生きるなんて無理だ。7回も罪を赦すなんてとってもできない。「わたしたちの信仰を増してください。」

 ところが、弟子たちの懇願に対する主イエスの返答は、思いもかけないと申しましょうか、非常に驚くべきものでした。主イエスは直接弟子たちの願いに答えるのではなく、偉大なことを遂行する信仰の力、深く人を赦す力や、奉仕する力について、小さなもの、からし種一粒ほどの信仰からそれらをなす力について語り始めます。主イエスは、信仰というものは大きいとか小さいというものではないと言われます。からし種は、本当に小さな種です。からし種一粒ほどの信仰があれば、今日の福音では、この桑の木に、根を抜き、海に植われといえば言うことを聞くとあり、マタイによる福音書では、山をも動かす(17:20)と語られています。からし種一粒ほどの信仰があれば、大きな力、不思議な力を発揮すると言われます。

 からし種一粒ほどの信仰とはどのようなものでしょうか。信仰があれば何でもできる、できないのは信仰がないからだ、神さまには不可能はないと主イエスはいわれたのでしょうか。そう言われても仕方がないほど、弟子たちには「からし種一粒ほどの信仰」もなかったのでしょうか。主イエスに懇願したのですから、弟子たちに信仰がなかったわけではありません。信仰の無さではなくて、何か大切なものが欠けていることに気づかせるためではないかと私は考えます。

 シスター渡辺和子先生が講演の中で、「増してください。これこれしてください。」という神さまに請求書を出す信仰ではなくて、神さまがいかなるときも共にいてくださる愛を信じて、「ありがとうございます」と領収書を出す信仰が大切ですとお話になりました。そして7節以下にあるように、主人に給仕をする僕(しもべ)のように、先生である主イエスに従う、仕える信仰。自分の力で歩くのではなくて、主イエスにおゆだねして、主イエスの弟子として、主イエスに従って、主イエスを見つめつつ歩む信仰。これが「からし種一粒ほどの信仰」と言われるものではないでしょうか。

 聖歌509 1、あなたは岸辺で 力のないわたしに

         したがえと 招かれる

        ※イエスはわたしを見つめ わたしの名を呼ばれる

         小舟をおりて あなたとともに歩みだそう

       2、あなたに知られた 漁師の舟の中には

         宝なく 網ひとつ

        ※イエスはわたしを見つめ わたしの名を呼ばれる

         小舟をおりて あなたとともに歩みだそう

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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