聖霊降臨後第5主日

<特   祷>

主よ、憐れみの耳を傾けて、僕らの祈りをお聞きください。どうかその願いがかなえられるために、主の喜ばれることを願い求めさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ルカ10:25~37

<メッセージ> 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

聖歌441番を歌いましょう。

 みことばは 人となり

 わたしたちの あいだに 住まわれた

今日の福音書は、「善いサマリヤ人」のたとえです。ある律法の専門家が立ち上がり、主イエスを試そう(揚げ足を取ろうとしたのでしょうか)として言います。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」主イエスは、問い返されます。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」

律法の専門家は自信満々答えます。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」主イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」それでお話は終わりませんでした。彼は何とかして主イエスの揚げ足をとりたかったのでしょうか。律法をちゃんと守っていない人として、主イエスを陥れたかったのでしょうか。「では、わたしの隣人とはだれですか。」

しかし、この律法の専門家のおかげで、主イエスの口から、「善いサマリヤ人」のたとえというすばらしいたとえが語られることになります。聖書は不思議な本です。律法の専門家には、イエスを試そう、陥れようという良くない動機があるのですが、それを用いて、すばらしい教えをイエスから引き出すことになります。「善いサマリヤ人」のたとえ」、これほど多くの人に影響を与えたたとえはありません。

たとえをもう一度見つめてみましょう。追いはぎに襲われ、半死半生になった旅人の隣人になったのは、サマリヤの人です。道の向こう側を通っていった祭司やレビ人ではありません。サマリヤの人は追い剥ぎへの恐怖や自分の用事より、困っている人を助けなければと手を差し伸べました。更にサマリヤの人の示した介抱と心遣いは、本当に心のこもったものです。

コロサイの信徒への手紙1章10節に「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」とあります。また、17節には「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」18節「御子はその体である教会の頭です。」とあります。善いサマリヤ人は、主イエスのことです。主イエスが、傷つき倒れている私たちを見て深く憐れまれ、私たちに近づいてきてくださり、私たちの傷にぶどう酒を注ぎ、包帯をして、介抱してくださっているのです。私たちの隣人は主イエスです。

この主イエスに触れて頂き、結ばれて、支えられて、この私が、誰かの隣人にならせて頂くのであります。キリストを生きる人にならせて頂くのです。

2010年オランダ・アムステルダム郊外で、ミープ・ヒースさんと言う一人の女性がお亡くなりました。100歳でした。アンネ・フランクについて語ることのできる人が、また一人、役目を終えて天国に帰っていかれました。ミープさんはアンネの父オットー・フランク氏が経営していた会社の従業員で、第2次大戦中ナチス・ドイツを逃れて、フランク一家が隠れ家に潜んだ際、その生活を支えた女性でした。アンネが4歳の頃からフランク一家と交流を持ち、オットーの人柄に全幅の信頼を寄せていたミープさんは、彼らの秘密を守ることを約束します。ユダヤ人を匿い、援助する罪(ナチス・ドイツが制定した刑罰)について念を押そうとするフランク氏をさえぎり、ただ一言「迷いはありません。」と答える。しかし、援助と言ってもそれは並大抵なことではありませんでした。厳しい食糧事情の中、フランク一家を飢えさせないためには、町中を歩き回り、闇市の長い行列に並ぶ必要がありました。倉庫に泥棒が入ったり、隠れ家の屋根が壊れたり、建築検査があったり、さらには密告の恐怖が常に付きまとい、心の休まる時はなかったのです。にもかかわらず隠れ家の人々の前では、不安を悟られないように朗らかに振る舞い、誰かの誕生日にはちょっとしたプレゼントを用意したり、こどもたちに喜びを与えようとされたそうです。こうした行いに、彼女自身の命の危険も伴っていたにもかかわらずです。

また、アンネ・フランクの日記が、今に至るまで世界中で読み継がれているのは、偶然の結果ではありませんでした。こうした支援者の命がけの行為があったからです。残念ながら、1944年、ナチス・ドイツの秘密警察ゲシュタボによって、隠れ家の人々が強制収容所に連行されたあと、ミープさんは床に散らばったアンネの日記を拾い集め戦後、オットー氏が帰ってくるまで厳重に保管しました。彼女は、緊急の時も、何が大事かを見抜く力をもっていました。

ミープさんは、もし捕まったらと言う恐怖より、助けを必要としている人にこの手を差し出さなければと言う思いの方が強かったのです。一方で、アンネはじめ大切な人たちを失ったと言う悲しみを、アンネたちのことを忘れてはならないという思いを、いつも心に抱いている女性でもあったそうです。

新型コロナの下、人と人との距離が遠くなっているように感じます。ロシア軍のウクライナ侵攻はじめ世界各地で争いがあります。安倍元首相がテロで暗殺されました。そのような時代、世界にあって、隣人愛の大切さを、私たちはもう一度心に刻みたいと思います。私たち人間には、戦争を起こし、人の命を命と思わない悪魔的な心、暴力的な心があります。一方で、私たち人間は、善いサマリヤ人やミープさんのような恐怖に負けないで、困っている人を友として、隣人として助けずにはおれない美しい心を持っています。

最初に歌いました。「みことばは 人となり わたしたちの あいだに 住まわれた」聖書のみ言葉は、主イエスとなり私たちの内に住んで下さっています。申命記30:14「み言葉はあなたのすぐ近くにあり、あなたの口に、あなたの心にあるので、あなたはそれを行うことができる。」とありますように、主イエスによってみ言葉は私たちの内に届けられました。私たちは主イエスと共に、み言葉を生きることができます。私たちは美しい心を選びましょう。「行って、あなたも同じようにしなさい。」隣人愛を生きた主イエスに倣い、暗い時代ですが、私たちは、友情・隣人愛を大切に生きましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、 

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。 

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。 

明日を恐れるすべての人々に、あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。 

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。 

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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