聖霊降臨後第4主日

<特   祷>

主よ、私たちは主に寄らなければ、何一つ良いことはできません。どうか、主に従い、み心にかなうように生き、常に正しいことを思い、また行うことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ガラテヤの信徒への手紙 6:14~18

<メッセージ> 神共にいまして―新しく創造される

父と子と聖霊の御名によって アーメン

「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」

ガラテヤ6:15

今日ご一緒に憶えたいみ言葉です。「割礼」は多くの民族に見られる儀礼的は行為で、ユダヤ教の伝統では、神の民イスラエルの男子の印として、生後8日目に受けるものとされています。(創世記17:9以下)神さまとの契約の印とされています。初期のキリスト者の中には、この伝統をキリスト教会の中に取り込んでいる人々がいました。洗礼だけではなく、割礼の習慣のない人々に割礼を要求すると言うようなことが起こり、教会内に混乱や対立がありました。

しかし、パウロさんは、たとえば預言者(エレミヤ4:4、エゼキエル44:7)は精神的な意味、「心の割礼」を求めているという考え方を受けて、それこそが神さまに喜ばれることだと主張しています。「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは新しく創造されることです」、とパウロさんはガラテヤ書で語るわけです。では、「新しく創造される」とはどういうことでしょうか。

以前、もう随分前ですが、執事の頃、主任牧師と入院中の方の容態が急変したと言う連絡を受けて、病院に向かいました。ガンの末期で、酸素吸入のマスクを口に当て、大変苦しそうな息づかいになっておられました。私たちもご家族もお医者さんも看護師さんもただ見守るだけしかできない状況でした。その時、主任牧師(福田司祭)が、苦しそうにしている信者さんの耳元で、「イエスさまが一緒ですよ」と、何回か話し掛けられたのです。すると、その声が届いたのでしょう。表情が穏やかになり、その後まもなく静かに息を引き取られたのです。私は大変感動しました。「イエスさまが一緒ですよ」、この言葉には力がある、希望や安らぎ、平安を与える力があると感じました。

新しい創造、主イエスと結ばれて、主イエスと共に歩むことです。共にいてくださる神さまに思いを向ける、もっと言うと心を明け渡すことです。

聖書の中には、「神共にいます」という言葉によって大きな力を受けた人が登場致します。旧約聖書では、モーセはその代表でしょう。彼は一介の羊飼いでした。ホレブ山のふもとで放牧をしていた時、突然神さまに呼びかけられ、ドレイとして圧迫されていたイスラエルの民をエジプトから救い出すことを命じられます。(出エジプト3章)エジプトの絶対権力者であるファラオのもとに、無力な羊飼いが行って何ができると言うのでしょうか。モーセは即座に、「私は何者でしょう。」と言って、神の命令を断りました。その時神さまは何と言われたでしょうか。「わたしは必ずあなたと共にいる。」と約束されたのです。そして、モーセは神さまの命に従ってエジプトへ行き、苦難の内にあった民を救出します。「神共にいます。」という言葉が、モーセに大きな力を与えました。

新約聖書では主イエスの父ヨセフと母マリアでしょう。ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていることを知ります。(マタイ1:18以下)それはヨセフにとって非常にショックなことで、密に婚約を解消しようと考えます。その時天使から言われたのが、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)でした。「インマヌエル」は「神、我らと共にいます」と言う意味です。ヨセフはマリアのお腹にいる子が、希望、平安、平和、希望をもたらす力ある子であると知らされ、マリアと赤ちゃんイエスを受け入れていきます。

一番大変だったのはマリアです。未婚の身にこどもが宿ったのですから。天使ガブリエルは、恐れに囚われるマリアに、「主が共におられる」と語りかけます。

マリアは主イエスの母となることを引き受けていきます。人間の力ではどうしようもない時、「神、共にいます」ということばが私たちに大きな力を与えるのです。

そして主イエスは、まさにインマヌエルとして生まれ、苦しみを抱えた人、悲しんでいる人、弱い人と共にいて、これらの人々をいやし、助け、生きる力を与えて歩まれました。十字架の上で、「あなたがたと共にいる」ということを表されました。さらに主イエスは、今も私たちと共にいてくださるのです。

主イエスは天に昇られる時、弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と約束されました。これは今も生きる私たちに対する約束でもあります。

私は病気の方をお見舞いに行くとき、「主イエスさまが一緒ですよ」というお祈りをします。今、新型コロナウイルスの下、なかなかお見舞いにも行けませんが、お手紙やメールで、「主イエスさまが一緒ですよ」と送りたいと思います。

「新しい創造」、それは「神共にいます」「十字架の主イエスが共にいてくださる」という信仰に生きることです。

最後に、卒業式やご葬儀でよく歌われる聖歌522番の詩(1・2節)を読みます。

  1. 神ともにいまして 行く道を守り

天(あめ)の み糧もて 力を与えませ

※またおう(会う)日まで またおう(会う)日まで

 神の守り な(汝)が身をはなれざれ

  1. 荒れ野を行くときも 嵐吹くときも

みつばさのもとに 守りはぐくみませ

父と子と聖霊の御名によって アーメン

アフガニスタンはじめ大きな災害に苦しむ人々のことを憶え、黙想しましょう。

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、 

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。 

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。 

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。 

平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。 

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。 

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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