聖霊降臨後第2主日

※今回は様々な事情により、動画撮影・配信ができませんでした。メッセージ原稿のみですが、どうぞご容赦ください。(磯)

<特   祷>

すべてのよい賜物を造り、これを与えてくださる力ある神よ、み名を愛する愛をわたしたちの心に植え、まことの信仰を増し加え、すべての善をもって養い、み恵みのうちにこれを保たせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ガラテヤ3:26~28

 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

<メッセージ> 神さまのまなざし

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 ホスピス・ケアの第1人者であるK先生が、ある講演の依頼を受け、テーマを「いのちへのまなざし」とされました。講演の日が近づき、講演の案内が届くと、どうしたことでしょうか、テーマが間違っていたそうです。「いのちのまなざし」となっていたそうです。「へ」という一文字の有無の違いですが、そこで教えられたことがあったと先生は述べておられます。

 「いのちのまなざし」というのは、「いのちである神さま(ヨハネ14:6)」が私たちにどのような「まなざし」を向けておられるかということではないか。

 「いのちへのまなざし」は、私たちが人の「いのち」にどのようなまなざしを向けているか、また、「いのちである神さま」にどのような「まなざし」を向けているかということではないか、と教えられ、どちらも大切だと気づかされたとのことでした。

 主イエスは、十字架上に私たちのために命を投げ出してくださいました。私たちが神の子とされる道を開いてくださいました。神さまの娘や息子であるわたしたちは、神さまのまなざしからすると、皆平等で、慈しむべきものであり、その間に差別はありません。ダメな人も特権階級もありません。男と女もありません。(ガラテヤ3:28)しかし、私たちの現実はどうでしょうか。神さまのまなざしからは、かけ離れたところにあります。残念ながら差別、偏見、蔑視など大きな壁が社会のあちらこちらに、私たちの間に存在しています。

 私たち、キリスト者の平等と一致の基盤は、主イエスにあります。十字架と復活、聖霊降臨の出来事、三位一体の教えは、私たち人間の間に、深い兄弟姉妹の愛を創出します。一人一人のいのちは、慈しむべき大切なもので、そこには何ら差別や区別はありません。

 特に、戦争の生々しい姿を見せられている今、私たちは神さまのまなざしから学ばないといけないと感じます。原点に帰って、一人一人が美しい心もって、他者の命を見つめる必要があると感じます。

哲学者である今道友信先生は、第2次世界大戦後のフランス。パリで、名もなき下町の人々の美しい心もって生きている人々を通して、神のまなざしを体験されました。今道先生のエッセイの一部をご紹介します。

第二次世界大戦が日本の降伏によって終結したのは、1945年の夏であった。その後しばらく、たとえば日本は世界経済からはずされていた。(その前後、日本は世界の嫌われ者になっていた。しかし、国際的評価の厳しさを嘆く前に、そういう酷評を受けなければならなかった、かつての日本の独善的な民族主義や国家主義について謙虚に反省しなければならない。)

1957年、私は縁あってパリで大学の講師を勤めていた。しばらくはホテルにいたが、主任教授の紹介で下宿が見つかり訪ねた。そこの主婦は、私が日本人だと知るや、「夫の弟がベトナムで日本兵に虐殺されているので、あなた個人になんの恨みもないけれど、日本人だけはこの家に入れたくないのです。その気持ちを理解してください。」と言い、私は下宿を断られてしまった。しかたなく、大学が見つけてくれた貧相な部屋のホテル住まいをすることになった。そのころの話である。

私は、平生は大学内の食堂でセルフサービスの定食を食べていたが、大学と方向の違う国立図書館に調べに行くと決めていた土曜は、毎晩、宿の近くの小さなレストランで夕食をとるほかはなかった。女主人とその娘が切り盛りする小さなレストランであった。毎土曜の夕食をそこでとっていた。非常勤講師の給与は、非常に安かったし、日本から送金してもらえなかったので(世界経済からはずされていた)、月末になると私は金詰りの状態になる。そこで月末の土曜の夜は、スープもサラダも肉類もとらず、「今日は食欲がない。」などと余計なことを言ったうえで、いちばん値の張らないオムレツだけを注文して済ませていた。それにはパンが一人分ついてきた。そういう注文を何回かして、レストランの女主人は、気づいたのであろうか。この若い外国人の学者は月末になると、金に苦労しているのではあるまいか、と。

ある晩、また「オムレツだけ。」と言ったとき、娘さんのほうが黙ってパンを二人分添えてくれた。勘定のときパンも一人分しか要求しないので、「パンは二人分です。」と申し出たら、人差し指をそっと唇に当て、目で笑いながら首を振り、他の客にわからないようにして一人分しか受け取らなかった。私は何か心の温まる思いで、「ありがとう」と、かすれた声で言ってその店を出た。月末のオムレツの夜は、それ以後、いつも半額の2人前のパンがあった。

思い出すと今でも涙が出る。

その後、何ヶ月かたった10月の寒い季節、また貧しい夜がやって来た。花のパリというけれど、北緯50度に位置するから、本当に寒い都だ。9月半ばから暖房の入るところがあり、冬は底冷えがする。その夜は雹が降った。私は例によって無理に明るい顔をしてオムレツだけを注文して、待つ間、本を読み始めた。店には2組の客があったが、それぞれ大きな温かそうな肉料理を食べていた。そのときである。背のやや曲がったお母さんのほうが、湯気の立つ皿を持って私のテーブルに近寄り、震える手でそれを差し出しながら、小声で、「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいました。よろしかったら召し上がってくださいませんか。」と言い、やさしい瞳でこちらを見ている。小さな店だから、お客の注文を取り違えたのではないことぐらい、私にはよく分かる。こうして、目の前に、どっしりしたオニオングラタンが置かれた。寒くてひもじかった私に、それはどんなにありがたかったことか。涙が皿の中に落ちるのを気取られぬよう、1さじ1さじ味わった。食べ終える頃に、今度は娘さんがきて、パンを二人分置いて行った。私は嬉しいと言うよりも感動して涙が浮かんだ。今も50年前の感動がよみがえる。フランスでもつらい目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切のゆえに、私がフランスやフランス人を嫌いになることはなかった。いや、そればかりではない、人類に絶望することがなかった。・・・・・・国際性、国際性とやかましく言われているが、その基本は、流れるような外国語の能力やきらびやかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなのではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ、お互いが人類の仲間であるという自覚なのだ。その典型になるのが、名もない行きずりの外国人の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあの人たちの無償の愛である。見返りを求めるところのない隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調である。

「今道友信わが哲学を語る」かまくら春秋社

今道先生は、第2次大戦後のパリで、厳しい世界の目にも触れながら、名もなき人々の美しい心の行為から、神のまなざしを感じ、そして私たち人間がどのようなまなざしをもって、人々のいのちを見つめていったらいいかを学ばれたのです。私たちも愛溢れる神のまなざしざしと、私のまなざしが他者のいのちを優しく見つめるまなざしとなるように歩みたいと思います。

今世界に必要なのは、こうした相手を思いやる美しい心ではないでしょうか。

ひとり一人が美しい心で生きることができるように、ガラテヤ書3:26~28に記されている神さまのまなざしをしっかり味わいましょう。

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

聖なる三位一体の神が、皆さんの信仰と愛をいよいよ強め、すべてにおいて教会を守り、真理と平和の道に導いてくださいますように。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、 

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。 

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。 

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。 

平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。 

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。 

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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