聖霊降臨後第10主日

<特   祷>

主よ、どうか絶えることのない憐れみをもって主の教会を守ってください。人間ははかないものであり、あなたに頼らなければ倒れてしまうほかありません。み助けによって、害のあるすべてのものからわたしたちを守り、益となるものを与えて常に救いの道に導いてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ヘブライ書12:1~14

<メッセージ> 共に平和を追い求めよう

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

酷暑の中、また新型コロナウイルス第7波の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。皆様の健康が守られますように、お祈り致します。

 

さて、先日、信徒のF兄から、ご自身が新聞に投稿された文章の切り抜きのコピーを頂戴致しました。「高校野球 平和であってこそ」という題がついておりました。まず、このF兄の投書を、ご紹介させてください。

 

 <終戦の日を過ぎ、第100回(磯の追記:2018年)全国高校野球選手権記念大会も無事終わりました。この時期、祖母が大切にしていた私の父とその弟の遺品に思いが募ります。父の遺品は色あせた臨時招集令状。「二十年八月二十六日十三時」に部隊に参集するようにと書かれています。叔父は「選抜野球大会優勝記念」の文字入りのペーパーナイフや、「中等学校野球」の印が押され球友がサインした硬式野球ボール、昭和10年代の日記や軍隊入隊後に届いた手紙を残しています。戦前の中学学校野球で、叔父は活躍しました。1937年の春の選抜では優勝。同じ年、1回戦で敗れはしましたが夏も甲子園の土を踏み、捕手で4番、4打数で2安打を放っています。卒業議は東京六大学でもプレーしましたが学徒動員され、44年8月19日、台湾とフィリピンの間のバシー海峡で命を落としています。祖母がどのような気持ちで遺品を残したかと思うと、とても複雑で心苦しくなります。平和であってこその高校野球だと思います。ですので、8月15日を平和の日と世界に提案したいと思います。>

 F兄の父上、叔父上、そして何よりおばあ様への思いのこもった投書であり、この投書を下さったことに、心から感謝申し上げます。父上、叔父上の無念、おばあ様の悲しみはいかほどだったでしょうか。77年以上も前、本来殺し合う必要のない人々が殺し合い、また攻撃し合う中で、尊い命を失いました。アジアだけでなく世界中の未来ある人々が亡くなりました。多くの非戦闘員も亡くなりました。亡くなった方の未来は誰も取り戻すことはできません。

このメッセージを書いている今、ちょうど高校野球の真最中です。「平和あってのこその高校野球」というのは、本当にその通りです。

 更に無念でありますのは、その後も人類は平和を実現できてはいないということです。ウクライナとロシアはじめ世界中で争いは続いています。本来殺し合う必要のない人々が、殺し合い、尊い命が失われています。

 先ほど拝読いたしましたみ言葉を、今一度見つめてみましょう。ヘブライ書12:1b「すべての重荷やからみつく罪を捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者(導き手)であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。」私たちは、何の訓練に招かれているのでしょうか。

 故植松従爾主教(前北海道教区主教植松誠主教の父上)が、この箇所の説教で、「自分は走ることは好きではないが、歩くことは好きなので(教会を巡回されるときは、一つ前の駅で降りて歩いて、訪問されたそうです。私は見習わなければ!)主は許してくださるでしょう、主イエスを見つめながら歩きましょう。」と言われたことを思い出します。私たちはどのような訓練に招かれているのでしょうか。

 12:11私たちが「義という平和に満ちた実を結ぶ」ための訓練です。そして12:14「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。」と呼び掛けられています。私たちの主イエスは、平和の君であります。神さまは愛なる神さまです。戦争の神さま、報復の神さまではありません。

 神さまの願い、主イエスの願いは私たちが互いに愛し合い、平和に生きることであります。原爆の悲惨さ、戦争のむごさを知る私たちにとってまことに無念ではありますが、21世紀になっても平和は実現されていません。

 「義」と言う字を思い浮かべてください。「義」と言う文字の中には、「羊」、「王」そして「我」という文字があります。「羊」なる主イエス、平和の君、愛の人主イエスを、「我」は仰ぎ見ることが、「義」に生きるということです。私たちは、主イエスを仰ぎ見て、現実の世界にがっかりすることなく、諦めることなく、平和を求めて歩きましょう。

 F兄は、8月15日を「平和の日」とすると言う提案をされています。よい提案と思います。私は、投書を読みながら、より積極的に、「平和の実現を求める日」として、提案をしたいと考えました。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、 

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。 

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。 

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。 

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。 

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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