<特 祷>
全能の父よ、あなたはわたしたちを罪から救うため、独りのみ子を死に渡し、また義とするためによみがえさせてくださいました。どうか悪意とよこしまのパン種を除き、常にまことの信仰と清い行いをもってあなたに仕えさせてください。主イエス・キリストのいさおによってお願いします。アーメン
<聖 書> ヨハネ20:19~31
<メッセージ> 信じて、主イエスの名によって命を得る
父と子と聖霊の聖名によって アーメン
聖歌400番の詩をお聴きください。
- 喜びのみ告げ あまねく宣べよ
救い主イエスの み業と言葉
- み子を世にたもう み慈しみの
喜びのみ告げ あまねく宣べよ
- すべて世人を 解き放ちたもう
喜びのみ告げ あまねく宣べよ
- 憐れみ とりなす 主イエスの み業
喜びのみ告げ あまねく宣べよ
- 聖霊 われらを 遣わしたもう
喜びのみ告げ あまねく宣べよ
- 世界の果てまで すべての人に
喜びのみ告げ あまねく宣べよ
この聖歌の作詞者は、大阪聖三一教会や桃山学院の創始者ともいうべきC.F.ワレン大執事(1841年~1899年)です。私たちは親しみを込めてワレンさんと呼びます。今年2023年はワレンさんが来日されて150年の年です。
ワレンさんは英国ケント州にお生まれになります。カンタベリー大聖堂のあるケント州は豊かな農業地域で、父親は薬草学者だったそうです。ワレンさんは、18歳の時聖職の道・それも宣教師の道を志します。父親は、おとなしく勉強好きな息子が一生涯貧しい牧師になることに大反対でしたが、ワレンさんは、宣教師育成を掲げるCMイズリントン・カレッジに入学します。1864年執事按手、宣教師としてロンドンを出発し、喜望峰を回り香港へ。広東語を習得し、1867年香港大聖堂で長老(司祭)按手に与る。健康を害して帰国、母教会で牧師として勤務されます。しかし宣教師の夢捨てがたく、1873年、日本のキリシタン禁教の高札が下ろされたと聞くと、宣教師志願を提出、認可されて、今回はスエズ運河経由で神戸、そして大阪に来られ、川口居留地に居を構えます。日本語を習得されます。ワレンさんは語学の才がおありでした。現在の聖歌集に4曲、ワレンさんが作詞された聖歌があります。ワレンさん大阪、福山、広島、松江、大分、岐阜、東京と大変精力的に伝道活動をされ、教会、学校(神学校も含む)などの礎を築かれた。ところが1899年6月宣教師を励ますため訪れた福山で不慮の事故に遭い、亡くなってしまわれた。神さまと日本の人々に仕えた58年の生涯。命がけで遠い異国の地で働いて下さった。
宣教師たちが私たちにもたらしたものは何だったのか。
「魂」「知」「体」日本に何が必要なのかを彼らは知っていました。
「魂」→教会 「知」→教育機関 「体」→病院
社会福祉施設 幼稚園 保育園・・・・・となって実を結んでいます。
そこで本日の福音書を見つめてください。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって、命を得るためである。」(ヨハネ20:31)ヨハネによる福音書が書かれた目的が記されています。
私たちが、ヨハネの主イエスに関する証言を聴き、そのことを通して、主イエスと出会い、主イエスを神の子メシアと信じるために、ヨハネはこの福音書を記しました。さらに、主イエスを信じて、主イエスの名を知ることによって、「いのち」を得るために、ヨハネはこの書を記したというのです。
ヨハネは、主イエスが十字架の死を克服して、復活された方の「ことば」と「生きざま」の証人であると、自らを位置付けています。
このことは他の弟子たち、女性の弟子たちも自覚していることでした。弟子たちは皆、親しみと当惑を感じながら、主イエスに従い、旅をしました。弟子たちにとって主イエスを信じることは、難しくも楽しい旅路であったと思います。
しかし、思いも寄らないことが起こりました。愛する先生が、十字架上に無残な死を遂げられたのです。弟子たちはもうすべてが終わったと思ったでしょう。
絶望し、途方に暮れ、茫然自失となりました。ところが、ヨハネが証言しますように、終わりではなかったのです。主イエスは復活され、弟子たちの前に現れたのです。復活の主イエスによって、弟子たちは平和を与えられます。「あなたがたに平和がありますように。」(19節)
同時に、弟子たちには新たな使命が与えられていることが明らかになります。再度平和がお祈りされて、「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」(21節)更に、主イエスは弟子たちに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい。」(23節)と言われ、罪を赦す権威を与えられます。弟子たちは、主イエスの後継者として、主イエスの働きを引き継ぐことになりました。生きる希望が与えられたのです。
ワレンさんや宣教師も、この主イエスのことばを受け取り、先ほどのワレンさん作詞の聖歌にありますように、「喜びのみ告げ あまねく宣べよ 救い主イエスの み業と言葉。世界の果てまで すべての人に 喜びのみ告げ あまねく宣べよ」と遠い異国の地で、命がけで働かれたのです
私たちが主イエスを救い主として信じ、そして主イエスの名によって命を受けるために、宣教師たちは学校や病院、施設の礎を築いてくれたのです。
そして、畏れ多いことですが、私たちもこの十字架の死を乗り越える復活の証言を、受け取り、そして平和と使命を受け取っているのです。今日の福音のトマスは私たちと同様、復活された主イエスのお体を見ていません。他の弟子たちの証言を受け入れられないトマスは、主イエスから叱られます。これは愛情のこもったお叱りの言葉です。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(27節)
これは私たちにも語りかけられている主イエスのお言葉です。
私たちもヨハネやトマス、ワレンさんたちと共に、人々が主イエスを信じて、主イエスのお名前によって「いのち」を得るように祈り、働きましょう。
父と子と聖霊の聖名によって アーメン
<ウクライナとロシアの平和のための祈り>
正義と平和の神よ、
わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。
またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。
明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。
そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。
平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。
<黙想します。>
大阪教区成立100周年のため
この社会にあって生きづらさを感じている多くの人々のため
新型コロナウイルス感染症の収束のため
戦争や大災害に苦しむ人々のため
<主の祈り>
救い主キリストが教えられたように祈りましょう。
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を
ゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン