聖霊降臨後第19主日

<特   祷>

主よ、どうかみ民の罪を赦し、豊かな恵みにより、弱さのために犯した罪の束縛から解放してください。天の父よ。救い主イエス・キリストのいさおによって」お願いいたします。アーメン

<聖   書> ル  カ 18:1~8a

<メッセージ> お祈りの名人を目指そう

 父と子と聖霊の御名によって アーメン

 ルカ福音書を記したルカは、主イエスが祈りの重要性を力説したと伝える福音記者と言われています。主イエスの弟子たちも、絶えず祈るべきことを訴えました。

 今日のたとえ話は、祈りの大切さを語るために、主イエスは随分と極端な例を選んでおられます。「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」主イエスは弟子たちに語り掛けます。

ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいました。一方、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところにたびたび来ては、「相手を裁いて、私を守ってください。」と訴えていました。

 不正な裁判官と正しい裁きを求めても取り合ってもらえないやもめがいるのは、主イエスの時代だけではありません。今日でもそういうことがあることを私たちはよく知っています。やもめはめげません。執拗に、執拗に訴えでることで、不正な裁判官は根負けし、やもめは目的を達成します。

 このたとえ話によって、ルカ福音書11章9~10「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたくもの者には開かれる。」という主イエスのみ言葉が、確かなものにされます。主イエスは、たとえを用いて、不正な裁判官でもやもめの訴えを聞くのだから、まして神さまは、あなたの必要、あなたの叫びに耳を傾け、注意を払い、聞き届けてくださるにちがいない。私たちの祈り、叫びに耳を傾けてくださる方がおられるという確信へと私たちを導かれます。

 たとえ、しばし遅れているように思えても、聴き届けてくださる方がいるので、気を落とさずに絶えず祈りなさいと、主イエスは教えられるのです。

 祈り求めるということは、いくつになっても、人間にとってとても大切なことなのです。

 NHKの番組で、「おはよう日本」と言うニュース番組があります。番組で「ゆず」と呼ばれる一人の少女が登場します。彼女は受刑者で、刑務所が運営するプログラムに参加し、他の受刑者と一緒に、児童書や絵本を読んでいる様子が放送されていました。彼女が読んでいたのは、かこさとしさん「だるまちゃんとてんぐちゃん」という絵本でした。彼女が心惹かれたのは、次の一節でした。

 

 ちがうよ ちがうよ まるでちがうよ ぼくのほしいのは、さいている 「はな」ではなくて かおにある 「はな」だよ

 お友達のてんぐちゃんとお揃いのものが欲しいだるまちゃんが、お父さんのだるまどんに助けてもらいながらほしいものを見つけると言うお話です。

 「ゆず」とよばれる少女が、この絵本に触れて感じたのは、自分はだるまちゃんとは違い、誰も頼れる人がいない、誰にも欲しいと言えない幼少期を過ごしていたことに気づいたのです。両親はほとんど家にはおらず、日々、幼い兄弟姉妹の世話に追われていたことに気づき、そのような自分の過去を理解することで、「私は、心を改めて、悪の道から離れ、善良に生きたい」と誓うのです。私は「ゆず」の決断を信じたいと思いました。「ゆず」さんに、本当に信頼して、頼れることができる人、祈り求めることができる人と出会うことを祈り求めます。

幼きときだけでなく、人間には、信頼して祈り求める相手が必要なのです。そうでないと悪の道に向かってしまうかもしれないのです。

 

 お祈りはしばしば信仰者の生活の重要な手段とされます。しかし、お祈りは手段ではなく、目的です。信仰生活を送るために祈るのではなく、祈るために信仰生活を送るのです。私たちはお祈りして奉仕活動や様々な活動を始めます。奉仕活動や様々な活動がさらに多くの祈りを生みます。ところが私たちは、特に、私は、様々な活動の中で、誤りを起こしてしまいます。向かう方向を誤ることがあります。それは、祈りによる導きを欠いてしまうからです。

ヘブライ書11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とあります。神さまのお姿は見えないけれども、神さまの存在を信じるのが信仰です。見えないから、信じるのが信仰です。

 見て認知するのは、視覚の働き。触れて認識するのは触覚、嬉しさや楽しさは精神機能、では「信じる」とはどのような機能でしょうか。「魂の働き」だと思います。霊的な働きです。お祈りの目的は、見えない神さまに近づき、その御心を聴くことです。たやすいことではなく、神さまの恵みのうちに緩やかに成長して行くものです。気を落とさずに、粘り強くお祈りする中で、成長して行くものなのです。

 人間には、道を踏み間違わないために、いくつになっても祈り求めることは必なのです。私たちには神さま、主イエスさまがおられます。お祈りを大切に新しい一週間を歩み出しましょう。そして、神さまの恵みのうちに、お祈りの名人、お祈りの達人になっていきましょう。

 父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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