聖霊降臨後第22主日

<特   祷>

全能の神よ、何ものもあなたの支配に逆らうことはできません。どうかこの世の変動の中においても、常にみ国の到来とみ心の成就を望み、確かな信仰をもってひたすら主に仕えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン 

<聖   書> ルカによる福音書20:27、34~38

 

<メッセージ> 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 皆さんは養老先生を御存知ですか。猫の「まる」との心温まるエピソードや多数の著書(ばかの壁)を目にされ、読まれた方もあるでしょう。

 養老先生は、5歳の時に父上を亡くしておられます。その葬式のどういう場面だったのでしょうか。誰かから「お父さんにさよならをいいなさい。」と言われたそうです。でも言えなかった。それからしばらく挨拶のできない子になってしまって、「へんな子ね」と言われた。中年になってなぜ「さよなら」がいえなかったのかがわかった。父上と別れたくなかった。父上がどこかへ行ってしまうことが嫌だった。父上との関係が切れてしまうのがいやだった。もっと一緒にいたかったということが、中年になってわかったそうです。そして、父上と新しい関係の中で歩めるようになった。

 いくつになっても、大切な方とのお別れは、辛く、悲しいものです。神さまどうしてですかと叫びたくなることもあります。大切な方とのお別れを、受け入れるのに、時間のかかることもあります。

先主日もそうでしたが、今日の主日礼拝でも、逝去者記念礼拝を守っておられる教会があると思います。礼拝の中で、逝去された方々のお名前を読み上げる教会もあります。先主日もご提案しましたが、どなたでもいい、すでに天国に召されたお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、兄弟姉妹、教会の信仰の先輩、友人、どなたでもいい、お話をされてはいかがでしょうか。昔、私に、こんなこと、あんなこと、語ってくれたな、それもいいですね。今日お勧めしたいのは、今の私に何と言って下さるかを思い巡らすことです。すでに天国におられる、神様のみ許におられる方々が、今の私に何と言って語り掛けてくださるでしょうか。「見守っているから、大丈夫だよ」「祈っているよ。安心して歩んで」とか。どうでしょうか。

先ほど養老先生が、父上の逝去に際して、さよならが言えなかった、父上との関係が切れてしまうのが怖かったからだったと、中年になって気が付いたと

というお話を致しました。

 キリスト教の信仰において、死者とのかかわりはどうなっているのでしょうか。どのように信じているでしょうか。本日の福音に耳を傾けてみましょう。

復活についての主イエスとサドカイ派の人々とのやりとりです。サドカイ派はユダヤの上流階級の祭司や信徒による集団で、権力、富、ローマ帝国とのつながりを重視する集団です。ファリサイ派とは仲が悪かった。復活と言うことを信じてはいなかった。主イエスのこともこころよく思っていなかった。

 主イエスに滑稽なたとえを持ち出して、窮地に追い込みたいと近づいてきます。所謂レビラート婚です。「ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない。」

 「ところで、7人の兄弟がいた。長男が妻を迎えたが子がないまま死んだ。次男、三男と次々にこの女を妻としたが、7人とも同じようにこどもを残さないで死んだ。最後に、この女も死んだ。すると復活の時、その女はだれの妻になるのか。」すると主イエスは、相手が当惑するような返答をされます。

 次の世では、めとることも嫁ぐこともない。もっと自由な世界、新しい関係の中で生きることになる。天使に等しい人、復活に与る者、神の子とされる。モーセの柴の箇所とは、出エジプト記3章です。主はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。「私はある」と神さまが自己紹介をモーセにされる。神さまは過去・現在・未来生き続ける、存在し続ける方である。神さまは今も生き、働いておられる。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神だ。全ての人は神によって生きているからである」とお答えになります。アブラハムもイサクもヤコブも、神にあって生きている。神さまの御許に帰った死者は、神にあって生きているのです。そして、神を通して私たちと死者はつながっているのです。

 ヨブ記19:25・26には、「わたしは知る。わたしを贖う者は生きておられる。後の日には、彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされた後、わたしは肉を離れて神を見るであろう。」とあります。逝去なさった方は、神様を見、神様の御手に抱かれておられるのです。そして、神さまのみもとで生き、わたしたちのために祈ってくださっているのです。

 諸聖徒日、諸魂日、逝去者記念礼拝、墓前礼拝で憶える方々と私たちは神さまを通してつながっているのです。

 ですから、私たちは、大切な方とのお別れは悲しく辛いのですが、離れ離れになったり、関係が切れてしまうことはありません。恐れることはないのです。神さまを通してつながっています。わたしたちは祈られて生きているのです。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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