顕現後第4主日

<特   祷>

神よ、あなたはみ子を世に現して、悪魔の業を滅ぼし、わたしたちを神の子、永遠の命を継ぐ者としてくださいました。どうかこの希望によって自らを清く保ち、み子が栄光とみ力をもって再び来られる時、み姿に似る者とならせてください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> マタイ5:1~12

<メッセージ> 神の「まこと」が来りて心の扉をたたく

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 「まこと」ということばがあります。意味は、①事実の通りであること。うそでないこと。②偽り飾らない情。人に対して親切にして欺(あざむか)かないこと。誠意。なぜ「まこと」と言うことばを持ち出したかと申しますと、ある方の説教集を読んでおりまして、「信仰」ということばは、聖書によく出てくるのですが、これを「まこと」と表現しておられたのです。ローマ書1:16・17を次のように解き明かしておられたのです。「わたしは福音を恥としません。ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にもすべて信じる者には、救いに至る神の力です。すなわち、福音にあって、神の義は、<まこと>より<まこと>へと顕れるのです。義人とされて生きるのは<まこと>によってなのです。」

 神さまの「まこと」が私たちの家に来て、ドアを叩くようなもので、そのノックの音に気がついて、ドアを開けるそれが人間の側の「まこと」(信仰)なのだと言うのです。神さまの「まこと」が、私たちの心の扉を叩いておられるのです。神の「まこと」によって私たちは生かされるというのです。

 

さて、福音に耳を傾けましょう。

 今日の福音は有名な「山上の説教」です。マタイ5章から7章までの全体が山上の説教です。この説教は誰に向けて語られた説教でしょうか。「主イエスが腰を下ろされると、弟子たちがみもとに来た。」とあります。これは主イエスが弟子たちに教えを説く時の典型的な姿です。直接の対象は弟子たちです。けれども主イエスは、「群衆を見て、山に登られた」とあるので、群衆も意識しておられた。山上の説教の終わりと考えられる、7:28には「群衆がその教えに驚いた」とあるので。群衆も熱心に耳を傾けていました。主イエスは弟子たち、そして群衆みんなに語り掛けられたのです。そして私たち一人ひとりにも語り掛けてくださっています。主イエスの「山上の説教」を通して、神さまの「まこと」が私たちの心の扉を叩いているのです。

3節から6節では、貧しい人、悲しむ人、柔和な(へりくだった心の)人、義に飢え渇いている人が登場します。何らかの抑圧、苦しみ、悲しみを経験し、そのことを今必死に忍耐している人たちです。

7節~10節では、憐れみ深い人、心の清い人、平和を造る人、義のために迫害されている人が登場します。やはり何らかの抑圧、苦難、悲しい現実がある。それをバネにして、その中で隣人に対してあわれみ、やさしさ、平和の希求、正義を求めて働こうとしている、行動しようという人々です。

11節では、さらにつらい体験をしている人々が登場します。ののしられ、迫害され、身に覚えのない悪口を浴びせられている人、これはしんどいですね。

ここで人称が変化します。「その人たち」から「あなたがた」へと。

主イエスは、群衆たちに、そして弟子たちに「幸いなるかな」と語り掛けられます。最もしんどい状況にいる方には、「あなたがた」と親しく語りかけ、「幸い」と天の国での大きな報いを語りかけられます。

皆様もこれらの人々と重なる人生を、今生きておられるのではありませんか。

「幸い」 旧約聖書では、神さまと人との関係に関することで、神さまから賜るものです。新約聖書では、人が神の国の救いによって得る喜びを表しています。

「え、わたしが幸いな者」意外な知らせに、群衆は、うつむいていた顔を上げたのではないでしょうか。主イエスの「まこと」が、人々の閉じた心の扉を叩きます。「さあ、一緒に立ち上がり、歩き始めよう。」

神さまが主イエスを私たちのところにお遣わしになったのは、深い悲しみ、苦難、義への飢え渇いている、うつむきがちな心をもった群衆、私たちが、顔を上げ、立ち上がり、主イエスと共に歩みだすためです。それが神さまの願いです。

最初に申しました。神さまの「まこと」が私たちの家に来て、ドアを叩くようなもので、そのノックの音に気がついて、ドアを開けるそれが人間の側の「まこと」(信仰)なのだと。山上の説教は、私たちの閉じた心の扉を叩いています。

今日私たちは、主イエスの山上の説教を通して、神さまの「まこと」によって呼びかけられていることを憶えましょう。そして、心の扉を開く私たちの「まこと」をもって、主イエスと共に、「幸いの道」を歩み出しましょう。

新しい一週間が始まります。山上の説教に耳を澄ませながら、歩みだしましょう。

お一人お一人の上に神さまの祝福が豊かにありますように アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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