大斎節第4主日

<特   祷>

全能の神よ、み子イエス・キリストは大祭司として来られ、その血をもって至聖所に入り、ただ一たび永遠の贖いを全うされました。どうかご自身を神に献げられたキリストの血によって、わたしたちの良心を死に至る行いから清め、あなたに仕えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。

アーメン

<聖   書> ヨハネ9:1~13、28~38

<メッセージ> 主イエスの光に照らされた人

父と子と聖霊の聖名によって アーメン

まず、賛美「主は今生きておられる」の詩を味わってください。心の中で、繰り返し、唱えてください。

主は今生きておられる 我がうちにおられる

すべては 主のみ手にあり

明日も生きよう 主がおられる

今日川口基督教会において3名の方が、堅信の恵みに与ります。堅信、おめでとうございます。このことは、川口基督教会にとって、大阪教区、日本聖公会、世界に広がるアングリカン共同体、天上の教会にとって大きな喜びの日です。

私たちは堅信式において、川口基督教会というチームの一員になります。もっと言いますと、堅信とは「チーム・イエス」の一員になったことを意識的に自覚する時です。チーム 何かの目的を達成すために、何人かの人がそれぞれの才能や技能、力、能力を持ち寄って働く、それがチームです。

わたしたちは一つのチームです。

人は、洗礼をうけてイエス・キリストに結ばれました。その時、神さまからの声を聞きました。イエスさまも聞かれた声を聞きます。マルコ1:11「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」、この声は誰もその人から奪い取ることのできない声なのです。人生にはいろいろな時があります。うれしい時、悲しい時、力みなぎる時、自分の力のなさに落ち込む時・・・・・・しかしいかなる時も、人は神さまから見るとかけがえのない、なくてはならない、神さまの愛するこどもです。洗礼によってそのことを確信する。そして堅信式によってチーム・イエスの一員となります。そして、このとき、神さまからの声を聞きます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネによる福音書15:16)

イエス・キリストに従う巡礼者の一員となり、わたしたちは、主イエスから選ばれて、主イエスと神の国に向かって、人生を歩む旅人となります。

 さてチームの一員となったわたしたちは、何を大切に歩んだらいいかを、今日の福音を通して養われましょう。

 今日の福音は、主イエスの宣教活動の最も重要な一面を示す出来事となっています。主イエスは、生まれつき目の見えない人を目に留められました。この人は生まれつき目がみえないために、人々からの施しに頼って生きていました。弟子たちが、この人の逆境の責任は誰にあるかと、主イエスに問います。このような因果応報的な考え方は、今もそうかもしれませんが、この時代支配的な考え方でした。

 貧しさ、病気はある罪(神さまの道から外れたこと)に対する懲罰であるという考え方が支配的だったのです。主イエスは、貧困や病気に苦しみ、さらに彼らを縛り、精神的にも追い詰めるこのような考え方から、弟子たちを解放します。この目の見ない人も、その両親にも、目が見ないこと、貧困のうちにあることの責任はないと言われます。病気や貧困に苦しんでいる人々に罪を帰すことは、こうした人々を病気や貧困のさらに奥底に沈めてしまうことであり、さらには、こうした苦境から脱出する機会を奪うことになってしまいます。このようなものの見方は、今の時代にも続いています。主イエスはこうした状況をよしとされません。それどころか、驚くべきことを弟子たちに、私たちに語り掛けられるのです。

 「神の業が、神の栄光がこの人に現れるためである。」8:12「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」と言われ、ここでも、「私は、世にいる間、世の光である。」と言われます。そして、この目の見えない人に、光をお与えになります。主イエスは、弟子たちと私たちの因果応報的なゆがんだ宗教的なもののとらえ方から解放した上で、目に見えない人に、信仰の光を・視力の回復をお与えになります。彼の驚き、喜びはどれほどだったでしょうか。

 神さまは、罪人と言われた人々にも愛を届けたいのです。全ての人々に愛を届けたい、それが神さまのお心です。残念ながらファリサイ派の人々は、受け入れることができません。彼らは主イエスを「安息日を守らないから、神のもとからきたものではない」「罪ある人間」「どこから来たか自分たちの知らない相手」と呼びます。

 遠い存在なのです。 それに引き換え、目の不自由だった人はどうでしょうか。「「イエスという方」「預言者」「神をあがめ、その御心を行う人」「神のもとから来られた方」「主」といった具合です。だんだん近い存在になっていきます。

 ファリサイ派の人々は、この目の不自由だった人を、追い出してしまいます。

 主イエスは彼が追いだされたと聞いて、さらに彼に近づいて行かれます。

 「人の子を信じるか。」彼は言います。「主よ、信じます。」

 ここに珍しいイコンがあります。「主イエスとトマ」主イエスがトマと肩を組んでいるという珍しいイコンです。主イエスは、目の不自由だった人と肩を組まれます。

 先ほど、堅信式で、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」という主イエスの声を聴きますと申しました。その前に主イエスはもっと大切なことを言われました。15:15「私はもはや、あなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。・・・私はあなたがたを友と呼んだ。・・・」

 主イエスは目の不自由だった人に目をとめ、選ばれ。そして肩を組まれたのです。友となられたのです。今日堅信をお受けになる方々と主イエスは肩を組まれます。私たちとも肩を組んで歩んでくださいます。「いつくしみ深き友なるイエス」と共に歩みだすことを憶えて、神の国に向かって旅を開始しましょう。

父と子と聖霊の聖名によって アーメン

<黙  祷>

 ウクライナとロシアほか戦争状態にある国々・地域に平和が訪れますように。

 

 トルコ・シリアの大地震ほか大災害に見舞われている国々の人々、犠牲者と被災者、救援に当たる人々のため。

日本聖公会大阪教区成立100周年のため

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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