大斎節第5主日

<特   祷>

全能の神よ、み子イエス・キリストは大祭司として来られ、その血をもって至聖所に入り、ただ一たび永遠の贖いを全うされました。どうかご自身を神に献げられたキリストの血によって、わたしたちの良心を死に至る行いから清め、あなたに仕えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。

アーメン

<聖   書> ヨハネ11:17~44

<メッセージ> 聖霊よ、私たちの間に吹いてください

父と子と聖霊の聖名によって アーメン

私たちの日々の生活の中には、様々な意味で「死」の陰が存在しています。先日も同級生や1つ下の同窓生が続けて逝去し、やはり寂しさと共に、ショックもかんじました。主イエスは私たちをこの死の恐れや縛りから解放するために働かれます。

本日の福音書に登場するベタニアの村の家族は、主イエスの弟子であり、大変親しい友人です。その家族の一員ラザロが病気であるとの知らせが主のもとに届いていたが、すぐ来てほしいとははっきり言われたわけではなかったようです。ラザロのことは、11:3「あなたの愛しておられる者と言われており。それだけではなく11:5姉妹たちのことも主は深く愛しておられたとあります。

数日して主イエスは、ユダヤに帰ろうと言われます。友である愛するラザロや姉妹たちの所へ。しかし彼に会いに行くことは危険が伴いました。主の反対者は、このころには主イエスの命を狙っていました。ユダヤにいる間、主と弟子たちは死に、危険に囲まれています。トマスはそのことを感じ取り、16節「わたしたちも行って一緒に死のうではないか」という決心を口にしています。

主イエスがラザロとその家族の所に到着すると、ラザロはもう死んでいました。姉妹マルタは恨み言・泣き言を言います。友としての親しさからでしょう。主イエスには、悲しい心の内を申し上げていいのです。しかし、マルタは主から重要な言葉を引き出します。「私は復活であり、命である。」主イエスを信じることは、大きな命につながって生きることになるという、わたしたちの希望の言葉を引っ張り出します。(現実の厳しさの中で、私たちは「希望」を持って生きるしかないのです。)

主イエスはベタニヤの村で、私たちのうちの一人となり、主の民の友となり、その痛みを分かち合い、一緒に涙を流されます(35節)。深い悲しみと絶望の中にいるマルタとマリヤはこれですべて終わりましたと言います。

しかし主イエスは、毅然として「ラザロ、出て来なさい。」主イエスは、横たわっているものを起こし、死につながれている者を解き放ち、死んでいる者に命をお与えになります。これが私たちの間で起こる聖霊の働きです。死は終わりではないのです。私たちもこのいのちの運び手になるように招かれています。私たちも希望のいのちの運び手となるように召されています。

ラザロの復活の出来事を読みながら、私は袴田巌さんのことが思い浮かんで参りました。

2023年3月14日 朝日新聞朝刊 天声人語をお聞きください。

獄中からの手紙がある。「お母さん、僕の部屋には日めくりがあります。その日めくりに、子供をおぶったお婆(ばあ)さんが、夕日を見ている写真があります。僕はそれを見て、お母さんと息子を思い出しています」。家族に思いをはせ、自らを奮い立たせたのだろう▼筆をとったのは30歳の袴田巌さん。前年、静岡県で一家4人が殺された。無実だとの叫びもむなしく、死刑が確定した。きょうこそは自分が執行される番か、と恐怖にさらされ続けた心は病み、後年、面会者に言うようになった。「袴田巌はもういない。全能の神である自分が吸収した」と▼きのう、東京高裁の決定によってようやく再審への狭き門が開かれた。袴田さんは87歳。人生の大半をかけて冤罪(えんざい)と闘い、勝ちとった朗報であろう。だが本人から喜びの声は聞こえてこない。いまも自分の世界の中にいるからだという。何とむごいことか▼フランスの思想家モンテーニュは『エセー』で、無実の人を罰することは「犯罪よりも罪深い」と書いた。高裁は今回、有罪の決め手とされていた血染めの衣類を、捜査機関がでっちあげた可能性が極めて高いと指摘する。であるならば、「罪深い」という言葉ですら生ぬるい▼司法権力というものに眼(め)があるならば、己のしてきたことを見るがいい。夕日に母や息子を思った詩情の持ち主がどう変わってしまったか▼袴田さんは逮捕からきのうまで長く暗いトンネルを歩き続けた。その日々は日めくり2万662枚分にあたる。

 無実の罪を着せられ、死刑判決を受けた袴田さんはどれほど恐ろしく怖かったでしょうか。とうとう精神を病み、自分の世界の中に入ってしまわれました。お姉さんをはじめ、支援する人々によって、再審の細い道が開かれても、御本人は喜びの声を上げることはできません。

 その他にも。戦争で多くの尊い命が失われています。日本社会でも生きづらさは深刻で、死んだように家から出ることのできない人が沢山おられます。私たち聖公会の教会(病院、学校、福祉施設・・・・)も大変厳しい状況に置かれておいます。

 私は聖霊よ、この世界に吹いてくださいと叫びたくなります。私たちにはは真剣に祈る時が来ています。

 エゼキエル書37章枯れた骨の復活の場面で、14節「私があなたがたの中に霊を与えると、あなたがたは生き返る」と神さまは言われました。「あなたがた」なのです。独りではないのです。皆が集まり、祈り、手をつなぐとき、聖霊が働いてくださるのです。今死の陰の谷を歩んでいる方々共に、私たちも手を継ぎ、祈り、聖霊の働きかけを祈り求めましょう。「ラザロ、起きなさい。」

父と子と聖霊の聖名によって アーメン

<黙  祷>

ウクライナとロシアほか戦争状態にある国々・地域に平和が訪れますように。

トルコ・シリアの大地震ほか大災害に見舞われている国々の人々、犠牲者と被災者、救援に当たる人々のため。

冤罪や生きづらさに苦しむ人々のため

日本聖公会大阪教区成立100周年のため

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

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