聖霊降臨後第4主日

<特   祷>(特定7)

すべてのよい賜物を造り、これを与えてくださる力ある神よ、み名を愛する愛をわたしたちの心に植え、まことの信仰を増し加え、すべての善をもって養い、み恵みのうちにこれを保たせてください。主イエス・キリストによってお願い致します。アーメン

<聖   書> マタイ10:24~33

<メッセージ> だから、恐れることはない

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 6月11日大阪教区教区成立100周年記念感謝礼拝を無事終えることが出来ましたこと、そして皆様のお祈りに感謝申し上げます。この礼拝で完了ではなく、新しい一歩を歩み出せますように、お祈り下さいますようお願い致します。

 さてこの100周年をお祝いするために台湾聖公会から訪問団が来られました。台湾の皆さまはお茶が好きで、お土産にはお茶を頂きました。

 中国の方は、お茶が大好きです。中国にペー族という人々がおられます。彼らもお茶が大好きで、3種類のお茶を飲むそうです。そして、それは人生の3つの道を表しています。1つ目は、茶葉だけ。苦みのあるお茶で、朝起き掛けに飲みます。人生には苦く、苦しく、悲しい道を通らなければならないことがある。苦い道を覚悟して、朝を歩み出す。

 2つ目は、茶葉に、白砂糖、黒砂糖、しょうが、白クリームを入れるお茶。栄養もある、甜茶と呼ばれる。人生の中で、躍動の時、仕事に余暇に力みなぎる時を表しているそうです。気力みなぎる道。

 3つ目は、苦い茶葉に、とうがらし。山椒、しょうが、シナモンを入れ、最後にたっぷりハチミツを入れるお茶です。山あり、谷あり、甘く、苦い人生の道を歩んで来て、老境に入って来る。人生の甘いも、すっぱいも、苦いも合わせ飲む。

 「清濁併せ飲む」という言葉があります。器が大きく、善悪の区別なく受け入れることができるという意味。人生を積み重ねてきて、広い心で歩む道を目指して飲むお茶でしょうか。お茶にそのような意味を持たせているというのはとても面白い、それこそ人生を生きる知恵かもしれません。

 

 しかし、私たちの人生、私たちが経験致しますのは、苦い道、悲しい道、恐れの道が多いのではないでしょうか。先ほどの福音書をもう一度見つめましょう。

マタイ10:29~31を、もう一度読みます。「2羽の雀は1アサリオンで売られているではないか。だがその1羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地におちることはない。あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている。だから、恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れた者である。」

 このみ言葉を、読み、耳にします時、私は「1羽のすずめ~心くじけて」という聖歌をいつも思い出します。(新聖歌285番 インマヌエル聖歌500番)

 歌詞をご紹介します。

心くじけて 思い悩み

  などて寂しく 空を仰ぐ

  主イエスこそ わが真(まこと)の友

  1羽のすずめに 目を注ぎ給う

  主はわれさえも 支え給うなり

  声高らかに われは歌わん

  1羽のすずめさえ 主は守り給う

 この詩は、シビラ・マーティンさんという方の詩です。マーティンさんは、友人が病気で臥せっていると聞き、お見舞いに行きます。そして、落ち込んでいるのではと心配して、「大丈夫ですか」と問いかけます。

 友人は静かに、先ほどのマタイによる福音書10:29以下を口ずさみ、「神さまは1羽の雀でさえ、大切に見守り、養ってくださっているのよ。大丈夫。神さまはわたしのことを気にかけ、わたしのことを愛してくださっているから。」

 逆に、励まされたような気持になり、このあと、「1羽のすずめ~心くじけて」の詩を一気に書き上げたと言われています。

 皆様もよく御存じの、「主われを愛す、主は強ければ、恐れはあらじ」という聖歌も、病気で命の危機に瀕している友人をお見舞いに行った作詞をされた方が、「私は神さまの愛に守られており、神さまが共にいてくださるから、大丈夫よ。」と言われ、その経験から生まれたと言われています。慰めに言った人が、逆に慰さめられる、力をもらうことになり、そこで生まれた聖歌なのです。

 思えば、私たちも十字架の主イエスから力を頂きます、十字架の上で釘づけにされ全く動くことが出来なくなっている主イエスから力を頂きます。

以来、これらの聖歌は、多くの人々を励ます聖歌となっています。

神さまの深い真理、深い愛を伝えようとされた主イエスが、ユダヤ教の神殿で神さまへの犠牲のささげものとして、安価に売られている小さな存在であるすずめを用いて、大切なことを伝えようとされました。深い真理とは、神さまの目に、「どうでもよいものはひとつもない、大切でないものはひとつもない」ということです。

神さまは私たちの人生を大切に思ってくださっています。私たちを圧迫してくる世の力は大きく、負けそうに思います。しかし、神さまの大きな愛が私たちに注がれています。小さな存在であるすずめも神さまに憶えられ、私たちのっ髪の毛も1本残らず数えられ、憶えられています。だから恐れずに、神さまにゆだねて歩もうと、主イエスは語り掛けてくださっています。

一昨日23日は沖縄慰霊の日でした。第2次世界大戦末期沖縄戦では沖縄の住民4人に一人が尊い命を失いました。沖縄戦は苛烈な戦争、むごい戦争でありました。神さまがかけがえのないものとしてくださっている「いのち」が、沖縄の方々、韓国・朝鮮や中国の方、日本兵、米兵など沢山失われました。残念ながら、軍備の拡張は今も続いています。あきらめずに、平和を祈りましょう。かけがえのない命が、失われることがないように、祈りを合わせましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々と平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。

平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

沖縄週間を憶えて

大阪教区成立100周年のため 教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々

世界各地の災害(地震、洪水)犠牲者・被災者を憶えて。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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