聖霊降臨後第17主日

<特   祷>

憐れみ深い全能の神よ、どうか主の豊かな恵みによって、すべての害あるものから守ってください。体と魂とに備えをし、あなたのみ心の思いを喜んで成し遂げることができますように、父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願い致します。アーメン

<聖   書> マタイ20:1~16

<メッセージ> 「害あるもの」とは何でしょうか。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

本日の特祷で、「すべての害あるものから守ってください。」とお祈りしました。「害あるもの」とは何でしょうか。

朝ドラ「らんまん」、次のようなお話が出てきました。日本が台湾を支配下に置いた時(1885年頃)、日本から様々な調査団が台湾に行きました。その一行に主人公(牧野万太郎)が選ばれます。彼は植物の調査に派遣されます。主人公は台湾でマラリヤか何か病気に罹るのですが、台湾の山間部の人々に救われます。一方で、日本の台湾支配のため、争いがあり、台湾側に沢山の犠牲者があったこと、台湾の人々に日本語が強制されようとしている現実を目の当たりにし、大変心を痛めます。主人公が、「人間の欲望によって、ささやかないのちがないがしろにされ、失われている」とつぶやく場面がありました。人間とは欲が着物を着て歩いている、といったようなことが言われます。「欲望」これが害をもたらすものとして、一番やっかいなものかもしれません。

本日の福音に目を向けましょう。主イエスは、「ぶどう園の労働者」のたとえを語られます。「天の国は次のようにたとえられる」とありますから、私たちが招かれている天の国、神の国とはどういうところかを明らかにする主イエスのたとえであります。「ふさわしい賃金を払ってやろう」と主人は人々を雇います。それは一日1デナリオン(当時の日雇いの人の1日の給料)の約束でした。

朝早く、夜明け頃からぶどう園に雇われた人、午前9時頃に雇われた人、正午頃雇われた人、午後3時頃雇われた人がおりました。午後5時頃雇われた労働者には、主人は「なぜ何もしないで一日中立っているのか」と尋ね、彼らは「誰も雇ってくれないのです。」とい言います。気の毒に思ったのでしょうか、主人は「あなたがたもぶどう園に行きなさい」と雇い入れます。

夕方、主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来たものから始めて、最初に来た者まで、順に賃金を払ってやりなさい。」と命じました。

約束通り、5時過ぎに来た人々から、夜明けから来ている人まで、ちゃんと1デナリオンずつ支払われました。最初に雇われた人々は、一日中労働と暑さを辛抱して働いたので、もっと貰えるだろうと期待したのでしょう、1時間しか働かなかった連中と同じ扱いにするのかと、不平を露わにします。

私たちの社会においては、明らかに不公平です。不平を言う労働者に主人は答えます。「友よ、わたしはあなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にもあなたと同じように支払ってやりたいのだ。」

今日の福音は、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。みんなさぼっていたのではないのです。みんな待っていたのです。夕方雇われた人たちの立場に立ってみましょう。誰も雇ってくれないのではないか、今日の生活費を得られなかったらと、不安で、不安で、ずっと心配して待っていたのではないでしょうか。辛抱強く待ち続けていたのです。

このように考えたらどうでしょうか。雇われた人々が家族だったらどうでしょうか。なかなか雇って貰えない社会状況の中、夜明け前のお兄さんから始まって、次男は9時頃、三男は正午、4男は午後3時、一番下の弟、まだ年端も行かないで、体も弱かったかもしれないが午後5時と、みんな雇って貰えて、それも皆同じ1デナリオンずつ貰えた。皆一人前の労働者として扱って貰えた。お兄さんたちは喜びに溢れたのではないでしょうか。

しかし、たとえでは家族ではなかった、赤の他人なので、喜べないのでしょう。主人の寛大な心、大きな愛が喜べません。自分の方がもっともっと貰えるはずだ。もっともっと欲しい。私たちの欲深い心を思います。もっともっと豊かになりたい。人間の欲望は際限を知りません。今地球上で起こっている戦争や貧困、環境破壊は。その原因は人間の欲にあるのではないでしょうか。

「害あるものからお守りください。自由になれますように。」と心から祈りましょう。

今日の福音の始まりを思い出してください。「天の国は次のようにたとえられる。」私たちが神さまら招かれている天の国のたとえです。教会では、兄弟姉妹と呼び合います。生まれる前からメンバーである人、天に召される直前に神さまのこどもになる方もあります。人生の夜明け頃、9時頃、正午頃、午後3時、午後5時、私たちは主イエスと出会い、神さまのこどもと自覚する時期は、それぞれに違います。早いから、長いから、神さまに一番愛されているかと言うと、そうではありません。人生の何時だとしても神さまは、寛大で大きな愛を注いでくださいます。家族ですから、人生の午後5時に神さまの御許に来た人のことを、よかったと喜ぶのが教会です。

もっと言うと、私たちは地球号に乗る家族です。

「善いサマリア人のたとえ」を皆様ご存知でしょうか。(ルカ10:25~37)律法の専門家は、「わたしの隣人とはだれですか。」と主イエスに問います。主イエスはたとえの最後に、「だれが追いはぎに襲われた人の隣り人になったか」と言われます。律法の専門家は、真ん中に「私」がいますが、主イエスは、真ん中に「傷つき倒れている人」を置かれるのです。

今、じっと忍耐して待ち続けている人々、痛みと苦しみ、不安と生きづらさを感じている人々を真ん中において、傷ついている人々が、立ち上がっていくことを支援し、喜べる世界になるように祈っていきましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々と、平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年の年、わたしたちが聖霊の働きに心を開き、神の御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々 ほか

世界各地の災害(地震、洪水、山火事、台風)犠牲者・被災者を憶えて

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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