聖霊降臨後第13主日

<特   祷>

主よ、教会はただ主の助けによってのみ健全に立つことができます。どうか絶えることのない助けをもって主の教会を清め守り、恵みと力によっていつまでも堅く保ってください。主イエス・キリストによってお願いいたします。

アーメン

<聖   書> マタイによる福音書16:13~20

<メッセージ> 天の神さまの導きに信頼して歩む

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 本日の福音を理解するために、16章の前半から見つめてみましょう。新共同訳聖書をお持ちの方は、新約聖書31頁をお開けください。ご一緒に目を追って下さると幸いです。

 ファリサイ派とサドカイ派の人々が一緒に主イエスのもとにやってきます。ファリサイ派というのは「分離」を意味する言葉からきています。自分たちこそ選び分かたれたユダヤ教の主流であると自負し、神さまはあるところにだけ偏って存在されることを認めます。(シナゴーグでの礼拝を勧めていた。)学者による律法解釈を重んじ、(旧約)聖書に記されている律法だけでなく、口伝律法も価値あるものと認めていました。そして律法を固く守ることで救われる、守れない人は罪人であって救われることはないと主張していました。主イエスは彼らを偏った律法主義として、批判的に見ておられました。

一方サドカイ派は、神の遍在を認めず、神殿礼拝だけを認めておりました。シナゴーグ礼拝は認めていませんでした。貴族階級的なグループで、家系とか地位に価値をおき、口伝律法も否定。本来ファリサイ派とサドカイ派は犬猿の仲だったのですが、主イエスをやり込めようと、手を継いでやってきた。

 何を言いに来たかというと、主イエスが神さまから遣わされた人なのならば、そのしるしを見せろと言うのです。主イエスは、「時代のしるしを見ることができないのか、ヨナのしるし以外は与えられない。」とお答えになります。

 「ヨナのしるし」とは何でしょうか。神さまがヨナに命じて、大変栄えた都ニネベ、イスラエルからすると異邦人の地、堕落したニネベの人々を悔い改めさせよというのです。ニネベの人々が素直に回心しました。ヨナはそれが白くなくて、神さまに反抗的な態度をとると、神さまが言われます。「この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と無数の家畜がいる。」神さまの大きな愛と恵みが、異邦人の地の人間だけではなく、生きとし生けるもの(家畜)にも注がれているという、旧約聖書の中ではめずらしいヨナ書なのです。

 「ヨナのしるし」とは、すべての人々に注がれている神さまの大きな愛と恵みなのです。そして、このファリサイ派やサドカイ派の人々とのやり取りの後、主イエスは弟子たちに語り掛けます。「ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさい。」ファリサイ派の極端な律法主義、サドカイ派の名誉や地位にこだわる神殿主義に気を付けなさいと主は言われています。どちらもある特定の人にのみ神さまの救いに与ることができると主張するグループです。

また、前章15章の終わりには、4000人を超える人々が、7つのパンと小さな魚を主が祝福されると、お腹いっぱいになったという出来事が記されており、まことのパン種は主イエスと言うことが、証しされています。まことのパン種、主イエスのパン種とは、ある人にだけではなく、(ヨナに神さまが示されたように)すべての人々に注がれる神さまの大きな愛と恵みによって私たちを生かすパン種であります。

 そして、今日の福音を見つめてみましょう。主イエスと弟子たちは、フィリポ・カイザリヤ地方を旅しています。ユダヤを治めていたヘロデ王の息子フィリポが、カエサル、ローマ皇帝のために建てた町がフィリポ・カイザリヤであり、当時はローマ帝国の神々が祭られた神殿が沢山建っておりました。(今も遺跡があります。とてもきれいな水が流れている遺跡です。)神々の神殿のある町、その町で主イエスは、弟子たちに尋ねます。「あなたがたは、私を何者だ言うのか。」その前には、世間は私のことを何と言っているかと尋ねられ、弟子たちは「洗礼者ヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人」と返事します。

主イエスは、世間の噂ではなく、「あなたがたはどう思うのか」、と尋ねられます。シモン・ペトロが、「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です。」そして、シモン・ペトロの本名がわかります。「シモン・バルヨナ」バルヨナというのは、「ヨナの子」と言う意味。主イエスは、ペトロを祝福され、ペトロに「あなたはメシア、生ける神の子」と言わしめたのは、天の父なる神が、導いてくださっているからだと言われます。この岩・ペトロの上に教会を建てる、天の国の鍵もあなたに預けると主イエスは続けて言われました。すごい祝福の言葉ですね。しかし、ペトロは、ヨナの子でありました。ペトロに私たちと同様の弱さや欠け多きことがあったことを聖書は伝えています。(来主日には、ペトロがよくわかっていなかったことが露呈します。)

 弱き者、欠け多き者の上に教会を建て、天国の鍵を預けると、主イエスは言われます。それは、私たち、教会、そして主イエスに従おうとする者は、自分の知恵や力で生きる者ではないからです。天の神さまの導き、愛、恵みによって生かされる共同体だからです。

 全ての人々に開かれ、注がれている神の愛、恵みを信じて、歩み出しましょう。ペトロに与えられた祝福、「あなたは幸いだ。」というお言葉は、有難いことに、私たちひとり一人にも、語り掛けられていることです。

 私たちも、ペトロ同様、ヨナの子でありますが、天の神さまの導きに信頼して、歩みましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシア、世界の平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年の年、わたしたちが聖霊の働きに心を開き、神の御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々

世界各地の災害(地震、洪水、山火事、台風)犠牲者・被災者を憶えて。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

<祝   福>

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがわたしたちと共にありますように。アーメン

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