長谷川主教のメッセージは文章で掲載しています。
主教按手式 大阪教区主教就任式
主教被選者 バルナバ 小林 聡 師
救主降生 2025年 4月12日 10時
日本聖公会大阪教区 主教座聖堂
Bishop-Elect Barnabas Satoshi Kobayashi
April 12,2025 10:00 a.m.
Diocesan Cathedral Kawaguchi Christ Church
主教 フランシス 長谷川清純 師 説教
「神よ、新主教に祝福を」
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ
わたしの言葉と思いが御心にかないますように アーメン
本日も皆様に、神様の祝福がありますように!
おはようございます。私は東北教区主教の長谷川です。京都教区管理主教でもあります。
まずは、大阪教区に属する信徒、教役者、関係する諸施設に連なるすべての皆さまに、おめでとうございますのお祝いの言葉を申し上げさせていただきます。そして主教被選者とお連れ合いそしてご家族の皆さまにも祝意を述べさせていただきます。誠におめでとうございます。
けれども、2年前の2023年4月22日に主教に叙階された私の当時、主教という職位の責任の重さを意識する自分にとっては、「おめでとう」とご挨拶されるお相手に、素直に「ありがとう」というのが少々躊躇されたのを思い出します。そうではありますが、やはり公会に新主教が誕生するという喜びは大きなもので、これ以上ない慶事であると言わなければなりません。
本日はこの栄えあるバルナバ小林聡主教被選者の主教按手式ならびに大阪教区主教就任式に当たり、小職が主教被選者から説教者に指名され、とても光栄に存じております。彼から説教者にと依頼を受けた際、私は反射的に、謹んでお受けさせていただきますと即答いたしました。これほどに名誉な事はございません。本当に心から嬉しく存じます。
それにしても、何故私なのだろう?と、正直、考えてしまいますが、それは何かしらお互いのエモーショナルな反応があったからのように想像しております。
小林主教被選者は、―正確に言えばこの時、按手前はまだ「主教被選者」なのでしょうが、何回も言うと口が回らなくなりそうですから、もう「主教」と呼ぶのを、皆さまどうかおゆるしください。いいでしょうか。
個人的なことを少し述べます。私は、小林主教とは密度はおそらくそれほど濃いというほどでもないかもしれませんが、出会いは40年ほど前に遡ります。ですから長いお付き合いをしているように錯覚しています。私が京都復活教会に行き出した大学生の頃に、出会っていました。琵琶湖の北小松キャンプ場でハウス・キーパーをしていた私と、キャンパーとしてキャンプに来ていた彼と出会っていたかと思います。
彼が京都教区の青年として、ある夏に、青年キャラバン隊で奈良県五條市の小さな教会・五條聖三一教会で、一緒にワークキャンプをしました。ペンキ塗りですね。
小浜市に青年キャラバン隊をした際には、私は、プログラムの一つに、当時、反原発運動のリーダーをしていた中嶌哲演和尚からお話しを聞く機会をセットしました。それが、今日まで繋がって二人は現在、日本聖公会正義と平和委員会・原発問題プロジェクトのメンバーです。彼はまた、NCC(日本キリスト教協議会)の平和・核問題委員会委員も務められています。
私が、2000年ジュビリー運動「世界中の最貧国の債務帳消しキャンペーン」に仙台で関わっていた時、彼はイギリスにいて、セリオーク・カレッジで神学修士課程を卒業し、バーミンガム大学より宣教学修士を取得していますが、本場のイギリスでジュビリーの渦中をつぶさにし、帰国後、私は彼と情報共有をしたと記憶しています。
今までほとんど知られていませんが、実はこのような関係が二人にはありました。
さて、私が東北教区臨時教区会で主教当選者となり、その日から主教按手式を前にして改めて「主教と何か」を考察したのですが、今回説教するにあたり、再度主教職の奉仕職について学び直す機会となっており、2年前よりもっと身を入れて勉強している感じです。当時そうしておけばよかったのにねえ、です。
と言うのも、現在、日本聖公会が宣教協働を進め教区再編、新教区設立に向けての途上にあって、北海道教区と東北教区の宣教協働・チーム北国は、まさに只今「主教とは」「主教座とは」また新教区の名称等々を議論している最中だからです。
小林主教さまも「主教職とは」を黙想されてこの場に臨んでおられると推察いたしますから、ここで申し上げるまでもないでしょう。ただ、いくつかの要点を覚えたいと思います。
1988年ランベス会議では、主教職の奉仕職について「全教会の宣教ならびに奉仕職に関する広い意味合いにおいて、教区はしばしば、地域教会の生活と一致にとって基本であると見られる。この一致は主教の職務の中に人格化され、象徴化される。神の下にあって、主教は世の宣教にあたり、地域教会を指導する。」とされています。「宣教における教会一致の象徴」などは言うまでもありません。
1998年ランベス会議の基礎文書でもある『ヴァージニア・レポート』では主教職の預言者的責任の重要性を強調しています。主教職のこの預言者的働きを、私は本年1月21日にライブ映像で目撃しました。「ワシントン国民大聖堂」(=米国聖公会ワシントン教区主教座聖堂)で、大統領就任後の「国民のための祈り」が行われ、この礼拝で、ワシントン教区のマリアン・バディ主教が、ドナルド・トランプ大統領を前にして説教をされました。それは、まさに預言者の声だったと、私には聞こえていました。その説教は、強烈な印象になっています。私には、預言者としての主教が新鮮に映し出されて、目覚めさせられました。主教は(もちろん主教ばかりでなく司祭団にも、信徒たちにもですが)、特に主教は神の僕としての絶対的な信頼と忠誠心、神の正義を語る勇気、福音に生かされている確信と喜びとに満たされた人なのです。
「教えるミニストリー」という主教職は、同労の聖職と信徒、地域、社会の人びとの声と動きに「傾聴」して初めてなされます。「2023年日本聖公会宣教協議会からの呼びかけ」がなされましたが、まさに「声に聴く」です。「神のみ声に、人々の声に、そして世界の声に耳を傾けよう ~となりびととなるために~」です。
「一致の焦点」としての主教の職務は、ローカルな視点とグローバルな視点をダイナミックに繋げていくことです。象徴的に社会の中で働くミッションが与えられている主教は、社会への関心は、特にマイノリティの人々、周縁化された人々の叫びに聞き、また時には彼らの声なき声を代弁するのです。
小林主教は国際的な一面をお持ちで、先程もジュビリー2000運動に関心を示していたことを述べましたが、2014~2018年に聖公会東アジア教会協議会の常任委員でしたし、管区の青年委員でCCEAの青年大会に参加しています。また、ここ数年では、2023年9月にサンパウロで開かれたブラジル聖公会宣教シンポジュウムと、ブラジルにおける日本人宣教100周年記念礼拝に参列されておりました。2024年9月28日の台湾聖公会設立70周年記念式典に、大阪教区訪問団の一人として参列されてました。 まさに海外を行き来しておられます。
ですから、私は彼が国際的な視野の広がりを持って、大阪教区また日本聖公会の主教としてお働きをされるものと期待してところです。
小林主教さんは今日から1週間後の19日に、原発のない世界を求めるZoom caféで発言します。そのチラシに、「主教按手式を迎えるにあたり、大阪の釜ヶ崎、沖縄の愛楽園、辺野古、基地建設反対の活動をしている、うふざと教会などでリトリート(黙想)の時を持ちます。特に釜ヶ崎におられる本田哲郎神父、うふざと教会の島しづ子牧師に導かれながら、聖書の言葉、平和の言葉を黙想し、寝泊まりした経験を、みなさんと分かち合えたらと思います。」とリード文を寄せています。まさに「一致の焦点」として「人々の声を聴かれる」を実践しておられます。
本日の聖書はご本人が選択されたもので、管区の礼拝委員会の許可を得て朗読されました。ここに見られるのは、「子どもが第一」という小林主教さんの熱い思い入れです。旧約聖書と使徒書を子どもたちが朗読してくれました。「ありがとう!」。小林主教さんの教会の未来、希望としての子どもたちへの目線が強くあります。次世代を育む営みが、同時に教会を育んでいくという信念がそこにあります。チームの中にいる子どもに対する愛が、共同体を温かく、家族的にし、成長させていくものなのです。それは、正しくイエス様の目線、イエス様のお心です。
主教が一人で頑張ってもいけません。「協働的な働き」でもありますから、教区の信徒、教役者たち、神の民全体で担い、分かち合うものです。主教と共に走り、地域の人々と繋がっていくのは、大阪教区の皆さま、すなわち聖職、信徒すべてを含めた一人ひとりに他なりません。全員がチームとなってミニストリー(奉仕)に尽くし、宣教されて、子どもを守りいつくしんでいく教区として、神の家族を形成して参られますように、神様の励ましとお導きをお祈りいたします。
最後に、私の経験からもう一言。主教にとってお連れ合い・パートナーとの協同も欠かせないことを話さなければなりません。篠田茜さんを大事にしてください。だが言わずもがな、でした。昨夕、ばっちり目撃しましたから、余計なお世話ですね。二人がお互いに尊重しあい、労り合いながらそれぞれに与えられている使命と人生を全うすることにおいて、主の愛と平和と正義を証しされていかれる事は誠に幸いな事です。
短くお祈りします。
愛と慈しみに富んでおられる正義と平和の神様が、小林主教さまとご家族、ご友人、そしてすべての皆様に祝福をお与えくださいますようにお祈り申し上げます。主よ、どうか、大阪教区と小林主教を聖霊で包み、その行く道を守りお導きください。バルナバ小林聡主教を主の僕として豊かに用いてくださいますようにお祈りいたします。主の御名によって。 アーメン