降臨節第2主日

<特   祷>

慈しみ深い神よ、あなたは悔い改めを宣べ、救いの道を備えるため、預言者たちを遣わされました。その警告を心に留め、罪を捨てる恵みをわたしたちに与え、贖い主イエス・キリストの来臨を、喜びをもって迎えることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> イザヤ40:1-5、9-11

        Ⅱペトロ3:8-15a

マルコ1:1-8

<メッセージ> すべての人を救うために

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 先日教えてもらったのです。「歩く」の「歩」と言う字について、分解すると、「止まる」と「少し」。「少しは止まれ」忙しく動き回るのもいいけれど、アドベント「紫」の季節ですから、「少しは止まれ!」。ボンフェッファーと言う有名なドイツの牧師さんがおられました。神学生の指導もしておられた。「外へ向かう前に、内的な集中が必要だよ。」主イエスと親しく歩むこと。

 少しは止まって、主イエスとの関係がどうなっているか、チェックしてみよう。今日は、心を静めて、イザヤ書、Ⅱペトロ書、マルコ福音書からの呼びかけに聴きましょう。旧約・使徒書・福音書から短いメッセージを致します。

 <イザヤ書から 慰めよ、わたしの民を慰めよ>

 この「慰める」と言う動詞のギリシャ語について、カトリックの雨宮慧神父は、「深く息をつく」という意味を持つと語っておられます。神さまは地上に悪が満ちたのを見て、「深く息をついて」がっかりされました。神さまはがっかりして終わる方ではありません。神さまは再び深く息をつき、苦しむ民を慰めるために、新たな道を用意された。それは、バビロンに追いやられていた捕囚のユダヤ民族を、エルサレムへ帰還させるために、ペルシャのキュロス王を用いるという方策でした。バビロンとエルサレムの間にあるのは荒れ野ですから、普通はユーフラテス川沿いに北上するルートを用います。しかし、民を慰めようとする神さまは、荒れ野に広い道を通し、まっすぐ西進させて、一刻も早い帰国を実現させようと計画されます。元気な人だけではなく、子どもからお年寄りまで、障がいのある人、身重の人もみんなが通れる道を神さまは用意される。

 バリアフリーですね。神さまはどんな道でも乗り越えて、やって来てくださいます。私たちは、そうではありません。私たちが通れるようにバリアフリーにしてくださる。そして、羊の群れを導く牧者が、先頭が行ったり、しんがりとなったりするように、荒れ野を導く神さまも捕囚民の先頭に立ったり、しんがりを守られたりしながら、エルサレムへと導かれます。こうしてエルサレムを憐れみ、深く息をつかれた神さまの「慰め」が現実となる。預言者イザヤの目には、その日の到来が見えていたのです。

 <黙想>

 <Ⅱペトロの手紙から 神さまは、忍耐しておられる>

 「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。」というよびかけから始まっています。神の国が到来する時、主イエスが再び来られるということに対して懐疑的な人々おりました。ペトロは愛する人たち(私たち)に「主のもとでは1日は千年のよう、千年は一日のよう」と伝えます。神さまの時間と人間の時間には雲泥の差がある。それだけではなく、神さまは約束の時間を遅らせているのではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるまで、忍耐しておられると説きます。だから、焦らないで、神さまにおゆだねして、慌てないで信心深い生活を送るようにと諭します。神さまの忍耐は、大きな愛のお心の現れなのです。

 ヨハネ3:16「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をえるためである。」

 <黙想>

<マルコ福音書から 聖霊による洗礼―すべての人の救い>

 イザヤの預言は、紀元前539年に現実のものとなりました。キュロス王はバビロンに無血入城し、捕囚民となっているユダヤ民族のエルサレム帰還を許しました。マルコは、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と言われた神さまのもっと大きな新しい解放の出来事を信じ、人々に伝えようとしています。

新しい解放も荒れ野から始まりました。洗礼者ヨハネが荒れ野に現れ、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」と叫びました。バビロン捕囚からの帰還は場所の移動でしたが、この時の「道」は場所の移動の道ではありませんでした。主イエスと私たちとをつなぐための道でした。私たちが、主イエスのもとへと向かうための道でありました。

 これは私の心に敷かれる道ですが、その道筋をまっすぐになるように、人々は「水による洗礼」を受けました。これは人の手による洗礼でした。

 洗礼者ヨハネは、人の手によらないすべての人を招く神さまのなさる洗礼について語ります。すべての人を招く洗礼を授ける方が、後から来られると告げます。洗礼者ヨハネは、主イエスの到来を指し示します。罪の赦しを現実にするのは主イエスの十字架ですから、洗礼者ヨハネの洗礼は、人の手による準備の洗礼でしたが、神さまのなさる洗礼、それが聖霊による洗礼です。全ての人に開かれています。すべての人に注がれ、すべての人を包む洗礼です。神さまは私たち一人一人の苦しみに、息を合わせて慰めをお与えになります。

 マルコ福音書は、いよいよ主イエスによる新しい大きな救いの業を、神さまは開始しようとしておられることを宣言します。すべての人々が、主イエスから招かれています。

クリスマス、すべての人の所にやってこられる主イエスのことを、まわりの人々に紹介しましょう。

 <黙想>

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとガザの戦争終結と平和の実現のため祈りましょう。>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシア、パレスチナ・ガザとイスラエル「の人々のために祈ります。またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙祷しましょう。>

大阪教区成立100周年から101年に向かって、わたしたちが聖霊の働きに心を開き、神の御力と主の御光が大阪教区と私たちの足元を照らし導いてくださいますように。

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々 ほか

世界各地の災害(地震、洪水、山火事、台風)犠牲者・被災者を憶えて

難民となっている人々のために

<主の祈り>

救い主キリストが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を

ゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

<祝祷>

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。アーメン

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