聖霊降臨後第13主日

<特   祷>

主よ、どうか主の民に世と肉と悪魔との誘惑に打ち勝つ恵みを与え、清い心と思いをもって、唯一の神に従うことができますように、主イエス・キリストによってお願い致します。アーメン

<聖   書> 

申命記      30:15~20
ルカによる福音書 14:25~33

<メッセージ> 主イエスに従うとは

父と子と聖霊の御名によって アーメン

私たちの人生には、いろいろなことが起こります。老い、病気、大切な方の死、事故、事業の失敗、仕事がうまくいかない、人間関係のトラブル等があります。心配なこと、いやなこと、こまったこともいっぱいあります。また、私たちの社会には、ゆがみがあったり、不正、分断や分裂、対立をもたらす力が働いたり、犯罪、戦争、飢餓、災害が起こります。そうした中、悩みながら、考えながら、どうより良く生きていくかは難しい問題です。

そこでは宗教の果たす役割は大きいものがあります。

ところが、今マスコミをにぎわしている宗教団体、実際は宗教の仮面をかぶったカルト集団です。ゆがんだ社会の中で、悩む人、もがいている人に近寄ります。目的を失い、いきがいを見つけられず、人生や社会、まわりの人々に不満を持ち、孤独に悩む人にやさしく接近し、働きかけます。彼らは巧みに人々を取り込み、マインドコントロールして、考えること、悩むこと、主体的に生きることを奪い、ついには家庭を破壊し、財産を収奪し、かけがえのない人生を奪い、人々に精神的にも経済的にも苦しみを与えています。人を不幸にする自由は宗教にはありません。

今日の福音に目を向けてみましょう。「弟子の条件」と言う見出しがついています。主イエスに従うとはどういうことか。主イエスが私たちに言おうとしていることを理解するのは一見容易ではありません。どう受け取るか、カルト集団のことを思いますと、気を付ける内容を含んでいます。

今日の福音を理解するために、先ほど拝読した旧約聖書申命記30:15以下のことばを、まず見つめてみましょう。「見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前におく。」私たちの人生そのものです。あるドラマで、妻を亡くし、そのことが受け入れられない人に、友人が語り掛けます。「愛する人の死は、あって欲しくないことだが、人間には生と死の現実があり、そのことをこうしたことで知り、生きることを大切にせなあかんとかを学び、人生を分厚くしてくれるんやないか。」命と幸い、死と災い、19節では生と死、祝福と呪いがある人生をどう生きるのか。申命記は、16節「あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなた方は命を得、かつ増える。・・・」19節には、あなたが命を選び、あなたもあなたの子孫も命をえるようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさいとあります。より良い人生、命を得る道を歩むために、「神、主を愛し、御声を聞き、従うこと」を第1にすることだと申命記は語っております。

宗教の果たす役割、命を得る道へと導くことです。

主イエスが、ルカ14:26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、子供、兄弟、姉妹。更には自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」27「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」これはどう理解したらいいでしょうか。特に、「憎む」ということばです。

前の聖書協会訳では、「捨てる」、私がよく引用します山浦訳では、「この俺(主イエス)より後回しにしていない者は俺の弟子ではない。」

この「後回し」という訳は、主イエスの使っておられたことば、アラム語の独特の文化的環境をくみ取った訳となっています。アラム語での「憎む」という動詞の意味は、「次に置く」「後に置く」「第2位に置く」という意味を持つのだそうです。

すると、主イエスは、最も愛する人々、自分のいのちへの憎悪に私たちを導こうとしているのではないことがわかります。

申命記が言っているように、まず神・主を愛し、御声を聞き、従うことを人生の基礎、私の人生の土台に置くのであります。主イエスの十字架の出来事、神の大きな愛を私の人生の土台に、基礎に置くのであります。大切にするのです。そこから、生きる知恵と悩み、苦しむ力が与えられて、よりよき人生を歩む道が開かれるのであります。

 宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などで有名なアニメの監督さんがおられます。ある会見でこのようなことを言われました。「アニメを作ってきたその動機、使命は、こどもたちに、この世は生きるに値すると伝えたい、それだけです。」「現実には嫌なことがいっぱいあって、思うようにはいかないけれども、どこかでいいことが、必ずあるはずだ。それを伝えたい。」こどもたちに希望を与えたいと言い換えていいでしょう。

 今の時代、一番必要なのは、生きる希望だと私も思います。おこがましいのですが、宮崎監督が同志のように思えて、インタビューをうれしく見ていました。

 詩編30:6「泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」私の大好きな聖句があります。希望を与えたい、喜びの朝を迎えさせたい、これが主イエスの願い、神さまの願いです。

 私たちも神さま、主イエスを愛し、御声を聞き、従うことを人生の土台において、歩みましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

正義と平和の神よ、

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

関連記事一覧

PAGE TOP