聖霊降臨後第21主日

<特   祷>

全能の神よ、あなたは独りのみ子を与えてわたしたちの罪のいけにえとし、また清い生涯の模範とされました。どうか深く感謝してその計り知れない恵みを受け、常に力を尽くしてみ跡を踏むことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン 

<聖   書> ルカによる福音書19:1~10

 

<メッセージ> 捜し出された命

父と子と聖霊の御名によって アーメン

今日の主日礼拝では、逝去者記念礼拝を守っておられる教会が多いのではないでしょうか。礼拝の中で、逝去された方々のお名前を読み上げる教会もあると思います。ご提案ですが、どなたでもいい、天国に召されたお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、兄弟姉妹、教会の信仰の先輩、友人、どなたでもいい、お話をされてはいかがでしょうか。昔、私に、こんなこと、あんなこと、語ってくれたな、それもいいですね。今日お勧めしたいのは、今の私に何と言って下さるかを思いめぐらすことです。すでに天国におられる、神様のみ許におられる方々が、今の私に何と言って語り掛けてくださるでしょうか。「見守っているから、大丈夫だよ」「祈っているよ。安心して歩んで」とか。どうでしょうか。

さて、今日の福音に耳を傾けましょう。有名な主イエスとザアカイとの出会いの出来事です。主イエスはエリコという町を通っておられます。私はエリコの町に行ったことがあります。紀元前9000年以前からあった町で、荒れ野の中のオアシスです。豊かな水が泉から溢れていました。果物の産地。果物のとてもいい香りのする町でした。そのエリコにザアカイという人がおりました。徴税人の頭で金持ちでした。彼は主イエスに興味を持っていました。どんな人か見ようと、背が低かったので、群衆に遮られて見えないので、先回りして桑の木に登って主イエスが来るのを待っていました。

主イエスが、ザアカイの登った木の下をお通りになりました。すると、上を向いて、主イエスの方から語り掛けられます。「ザアカイ、(名前もご存じです。)急いで降りておいで。今日はぜひあなたの家に泊まりたい。」同じ目線どころか下からよびかえる主イエス。徴税人の頭、ローマ帝国の手先ですから、罪びとと呼ばれていて、みんなから嫌われていたことでしょう。この金持ちのザアカイは、どんな人だったでしょうか、なぜこんな大勢の群衆がいる中で、主イエスはこのザアカイにだけ声をかけたのでしょうか。なぜザアカイのことを知っておられたのでしょうか。イエスが、ザアカイは私です。あなたです。ここにキリスト教の秘密がある。

主イエスはザアカイのことをもう前から知っておられて、今日あなたの家に泊まりたいと言ってくださる。ザアカイは皆さんのことです。主イエスは、あなたのところに行きたい。自分の力のなさにがっかりしているあなた、自分の罪深さに苦しむあなた、今悩んでいるあなた、今疲れ果てて何も考えられないあなた、救いを求めて、コンプレックスを抱えている、そんなあなたのところに、主イエスがどうしても、「今日あなたのところ行きたい」と言われるのです。ザアカイは大喜びで木から降りてきて、主イエスを迎え入れます。

突然ですが、ラテン語に「CARPE DIEM」(カルペ ディーム)という言葉があります。英語ですと「Seize the day」 随分前の映画に「今を生きる」(1989年)ロビン・ウィリアムズ主演の映画がありました。あるミッション・スクール、これからのアメリカを支えるエリートを育てようという名門校に、キ-ティング先生に扮するロビン・ウィリアムズ、大変型破りな国語教師、生徒たちに語り掛けます。「CARPE DIEM Seize the day, Boys!」

 意味は、自分らしく神さまがお与えくださる新しい時をつかみ取り生きること、それが大切であることをキーティング先生は生徒たちに語り掛けます。「神さまからプレゼントされる新しい瞬間・時を、上手につかみ取りなさい。ボーイたちよ。」他の誰でもない、この私に、あなたに、君に、向けられた神さまからの不思議・恵みをつかみ取る力を持とうという意味なのです。他の先生は上から目線でエリート教育をしようとします。キーティング先生は、生徒と同じ目線、時には寝転がって生徒を見上げながら、語り掛けます。

ザアカイは、神様からの不思議な恵みをつかみ取ったのです。

主イエスは、ザアカイに呼びかけます。「今日救いがこの家を訪れた。人の子は失われたものを捜して救うためにきたのである」と宣言されるのです。ザアカイはそれまで、お金持ちで、いっぱいいいもの食べて、いい暮らしをして生きてきたけれども、それは本当のザアカイの人生ではなかった。ザアカイは今、主イエスに見いだされた、捜し出されたのです。ザアカイは主イエスに承認されている、愛されている自分に気づいたのです。

ザアカイは、この私であり、あなたなのです。

主イエスは、ザアカイの家に入って行き、そこに救いをもたらされます。この時ザアカイは、「私は主イエスによって、探し出された者である」「主イエスに覚えられている者であること」を知りました。ザアカイは、喜びにあふれて「財産の半分を貧しい人々に施します」(どこかの教団にではありません。)「半分」とはすごい額です。さらに、権力をかさに着て、いろんな人からだまし取ったりもしていたのでしょう。人の苦しみを気にも留めず、みんなからだまし取ったりしていた。そのことをザアカイは改心して、「4倍にして返します」。これは徴税人の生き方ではなく、神さまに喜ばれる生き方です。

主イエスとの出会いは、ザアカイにとっては、新しい命の始まりでした。主イエスと共に永遠の命に向かう世界、そういういのちの世界に向かうために、ザアカイは主イエスによって見つけ出され、捜し出されたのです。

 今日お名前を挙げて憶える逝去者の皆様も、主イエスによって捜し出された方々です。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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