招宴 2013年10-11月号 牧師巻頭言から

 

説教を聞くために


思い巡らすことを大切に


牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)


 説教については宮﨑光司祭が清瀬聖母教会でお書きになった「礼拝・五分講話」という小冊子の中に詳しくありますが、全文を引用するわけにはいかないので主要な部分を引用しながらご一緒に考えてみましょう。 「説教は聖餐式において朗読され、宣言されたみ言葉への応答です。語られたみ言葉を通して、私たちが主イエス・キリストとの出会いに導かれるように促す教会の福音宣教の直接的な行為です。」少し難しい言葉ですが、説教は教役者の個人の思いを伝えるのではなく、聖書を読み、その中で教役者が聖書のメッセージを捉え、どのような喜びの福音が語られているかを分かち合う作業なのです。そして主の晩餐に導かれて進むようにと願う大事なものになっています。そのために教役者は信徒の皆さんが最も理解しやすい言葉を探す努力をしているのでしょう。

sermon

聖書の言葉は読めばわかるということでもありません。翻訳の狭い範囲で言葉を選ぶために聖書の言葉がわかりにくいこともありますので、よりわかりやすい言葉で聖書のみ言葉を分かち合う作業が必要になってきます。
 それでは、「説教をどのように聞いたらよいのでしょうか。説教に集中しながら、思い巡らしてください。」と宮﨑司祭は語ります。説教を聞きながら思い巡らしていると別な思いになったり、「心が湧いたり」「胸騒ぎしたり」共感の思いを持つことがあります。このような思い巡らしの結果、神様に促されることも出てくることでしょう。 語られた説教に対する疑問やコメントも出てくることがあるでしょう。そのような時は説教者へ質問したり、コメントを話すことはとても大事な行動です。説教者自身もそのような応答があることで教会の会衆と思いを分かち合うことが出来るのです。
(カギ括弧内は宮﨑先生の小冊子からの引用です。)